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『怪物』 本気考察


 映画『怪物』の考察を本気でしてみました。2万字くらいになりました。

 今回はパンフレット、インタビュー、脚本、ノベライズ、そして「脚本家 阪元裕二」を読んで、そして2人の過去作も改めて何本か観て考えてみました。また参考にさせて頂いた動画は、1番下にリンクを載せました。『怪物』も映画館で何回か見ました(とりあえず、色々読んで是枝監督も阪元裕二さんもスーパーキュートであり魅力的で、多くの人に愛されているということは分かりました)。

 今回は疑問に思った点を個別に考察したいと思います。脚本を読みながら考察している為、重大なネタバレを含むこと、映画には出てこなかったセリフ等についても触れるのでご注意ください。また、脚本やノベライズだと足されている設定にも触れていきます。そしてセリフは要約して書いている場合があります。ご了承下さい。
 何より、あくまで私独自の考察になります。結構無理やり考察してしまった部分もあります。色々な捉え方がある作品であり、脚本やノベライズを読むと分かりやすいところも、映画だとあえて語られていなかったりします。それを踏まえて読んでいただけると嬉しいです。

※今後、何か気付いたことがあれば編集して追記していくかもしれないです。

1.怪物考察

 ①名前

初めに、登場人物について触れたいと思います。 

 麦野湊(むぎのみなと)…主人公
 麦野早織(むぎのさおり)…湊の母
 保利道敏(ほりみちとし)…湊の担任
 星川依里(ほしかわより)…湊のクラスメイト

 他にも校長の伏見や、依里の父の清高、他のクラスメイトなどが登場しますが主な登場人物はこの4人になります。  

 まず湊の名前ですが、この話は諏訪湖の周りの街を舞台にしています。「」とは「水の集まるところ」という意味があります。湊を中心としたこの物語は、湖を中心とした街で起こる物語です。「湊」=「湖」を思わせるシーンがいくつかあります。
 映画では火事が起きている夜の街のカットが3回挟まれます。湖の周りの街で火事は起こりますが、湖はその喧騒の中で真っ暗に静かに佇み、何も語ることはありません。そしてその火事を起こすのは(明言はされていませんが)湊のクラスメイトである依里です。依里(火事)をきっかけに、今まで静かに何も言わなかった湊(湖)は悩み、苦しみます。なぜ依里は火事を起こしたのでしょうか。
 映画の終盤では台風が来て、湖から水路を通じ濁流が流れるのを伏見校長が見ています。台風が来て荒れる湖の濁流と轟音は、まるで湊の涙、悲しい怪物の咆哮のようです。最初は何も言わずに佇むだけだった湖も、台風で荒れ、そして台風が去った後はまた元の穏やかな湖に戻ります。しかしこの湖の水は、以前と全く同じ水ではありません。

 そして湊以外の3人の名前について、ローマ字に読み替えてみます。
 MUGINO SAORI
  HORI MICHITOSHI
  HOSHIKAWA YORI
"ORI"というスペルが共通していることに気が付きました。"ORI"が含まれる代表的な英単語に、Originglがあります。辞書で意味を引くと、
①最初の
②独創的な
③原文の
とありました。また、名詞として「独創的な人:奇人変人」という意味もありました。

 湊の周りには自分の考えや個性(Origingl)を持つ人達がいました。3人ともそれぞれ、自分独自の、固有な事情を背負って生きていました。湊はこの3人に対して結果的に嘘をついたり、いじめたり、窮地に追いやってしまいます。
 ただそれは湊が悪いのではなく、早織や保利も含めた周りの人から押し付けられた「普通」「優しさ」「期待」「世間(教室)での立場」といった様々な要素が、湊に嘘をつかせたり、問題を起こさせたり、対話を拒ませたり、そして湊自身のことを傷付けたりします。早織に本当のこと(依里との関係)を知られない為に、そして自分が「普通」の幸せを手に入れる為についた嘘(依里との関係や、自分のセクシャリティがバレたら幸せになれないからついた嘘)が、保利を死へと向かわせます。
 自分らしく生きることができていなかった湊が、自分だけのOrigingl(YORI)を手に入れ、そして自分だけの幸せを見つける為のスタート地点(「最初の」という意味でのOriginal)に立つまでの話だと私は考えました。

 ②火事

 作中で明確には示されていませんが、今回は火事を起こしたのは依里だという前提に基づいて考えてみます。
 作中で依里が火をつけるのは、猫の死体です。この時に依里は「こうしないと、生まれ変われないんだよ」と語っています。また、依里は父から「矯正のため」虐待されており、痣や火傷跡があります。もしかしたら、父から「生まれ変わらせる(異性愛者にする)」と言われ、火傷を負わされていたのかもしれません。つまり父がいるであろうビルに火をつけたのは、父に生まれ変わって欲しかった、生まれ変わって虐待しない父になって欲しかった、ありのままの自分を父に受け入れて欲しかったという理由なのかなと思いました。
 ではなぜこのタイミングで火をつけたのか考えてみます。父からの虐待は、恐らく今までも日常的に行われていたと思います。単に父に生まれ変わって欲しかったのなら、火事を起こすタイミングはもっと前でも良かったはずです。父は「だからね、私はあれを人間に戻してやろうと思ってるの」と保利に行っています。父の言う「人間に戻す」は「同性愛者から異性愛者へ矯正する」という意味です。依里がどこまで父の話を間に受けていたのか分かりませんが、異性愛者に矯正されたくない、と考えて火をつけたという可能性があります。
 依里は湊に「今度のクラスでも友達できないと思ってた」と語っています。つまり湊は依里にとって初めてできた同性の友達だと思われます。この時点で依里から湊へ恋愛感情があったとしたら、父に異性愛者に矯正されたら困ります。つまり湊を好きでいたい、湊と一緒にいたい(父から矯正されなければそれが叶うから父を生まれ変わらせたい、父に邪魔されたくない)という意味もあり、湊と友達になったタイミングで火事を起こしたのではないでしょうか。
 この翌日に「2時(に寝た)」「寝るのもったいないって思うことない?」と湊に話しています。個人的に「寝るのがもったいない」は「その日に起こったことを噛み締めていたいから眠りたくない」という感覚が近いと思います。父に生まれ変わって欲しい、そして湊と一緒にいたいという切実な願いと期待が、火事を起こした日の夜の依里にはあったのではないでしょうか。

 そしてこの火事を、早織と湊は安全な家の中で見ています。早織は火事(依里の願い)を消そうとする消防車に対し「がんばれ!」と応援しています。湊も火事の時点ではまだ、早織に守られている安全な室内にいます。「がんばれ!」という応援や、湊が体を乗り出すと早織が引き戻すシーンは、早織が依里から湊を遠ざけようとするようにも見れます。
 また保利は、火事(依里の願い)の横で彼女にプロポーズをしています。保利は依里とは違って、今の日本の制度上、「結婚」できる立場にいます。火事など眼中になく、自分は幸せの渦中にいる様子が分かります。
 そして火事を消そうとする消防車の後ろを自転車で走るのは、依里をいじめていたクラスメイト達です。消防車、つまり依里の思いを消そうと応援する側に彼らはいた、というように解釈できます。また保利の彼女は火事をスマホで撮影しています。恐らくSNSに投稿するのでしょう。依里の切実なな願いが背景にある火事だったとしても、このように軽薄に見せ物として消費されてしまいます。
 そして火を付けた後であろう依里が落としたチャッカマンを拾うのが、校長である伏見です。伏見は何も言わず、依里に手を貸しています。伏見は、早織や保利にとっては「敵」の立場にいましたが、湊や依里に対しては最後まで味方でいました。
 冒頭の火事のを取り巻く人々の描写は、依里自身を取り巻く状況をそのまま表しているとも言えます。

 この火事の裏には、依里の切実な願いが込められていた、と考えると、冒頭の「怪物」というタイトルが入る火事の描写は切なく思えます。
 また後日、チャッカマンを取り上げた湊は、依里に「星川くんがガールズバー燃やしたの?」と尋ね、依里は「お酒を飲むのは健康に良くないんだよ」と答えています。もし湊と出会ったことが理由で火をつけていたとしたら、この場面も切ないですね。

 ③保利の趣味「誤植探し」と「作文」

 保利の趣味は「誤植見つけて出版社に手紙を送る」ことです。つまり「間違い」を見つけ「正しい」意味を伝える(見つける)ことが趣味とも言えます。保利が映画で誤植を見つけるシーンは3箇所あります。
①火事を見た後、彼女と家にいるシーン
②自分が報道された雑誌の記事を読んでいるシーン
③(誤植とはいえませんが間違えた文字を見つけたという意味で)湊と依里の作文を読んでいたシーン

 今回は主に②と③について考えてみます。

 まずについて、誤植以前にこの雑誌の記事は内容自体が全て間違えています。保利は湊に虐待などしておらず、キャバクラへ行ったりもしていません。保利は伏見や他の教師に対して、散々誤解だと主張してきましたが、学校側の圧力により辞職にまで追いやられました。「誤植探し」という趣味を持つ保利にとって「間違っていること(湊をいじめたこと)」について謝罪させられることは、何より辛かったことだと思います。そして保利は「正しいこと(湊をいじめていない)」を主張しようと躍起になり、視野が狭くなっていきます。なぜ湊が嘘をついたのか分からず、結果「湊は依里をいじめている」という誤った主張をしてしまいます。
 彼女との会話の中で「うがった見方を間違った見方という意味で使うのは誤用だよ。本来は本質を深く掘り下げるという…」というセリフがあります。まさに保利は「間違えた見方をして、本質を深く掘り下げることをしなかった」のです。誤用を見つけることが得意だったはずの保利は、「本質」に気付かず、まさに本来の意味ではなく、誤用されている意味での「うがった見方」を湊に対してしてしまう訳です。そして保利は学校を去ることになってしまいます。

 そしては、湊と依里の作文を読んで、真実に気付くシーンです。2人の作文には、横読みで「むぎのみなとほしかわより」「ほしかわよりむぎのみなと」と記されていました。そしてその中でも「みなと」は鏡文字になっていました。保利はこの「誤った文字」を見て「本質」に気が付きます。
 ここで思い出したいのが、この作文のテーマは「将来」だということです。保利自身が小学5年生の時に書いた作文には「太陽が眩しい。海の匂いを胸いっぱいに嗅ぐ。いつもと違う匂いがする。僕は生まれ変わったんだ。僕は誓う。絶対に西田ひかるさんと結婚します」とあります。つまり保利自身は、湊達と同い年の時に書いた作文で、「生まれ変わった自分は好きな人と結婚する」と書いています。その後「作文には素直な気持ちを書けばいいんだよね…」と生徒に伝えています。
 つまり湊と依里は「将来」は「生まれ変わって2人で結婚したい」そして教室ではお互い話せなかったけど、作文では「素直に」それを書くことができたのではないでしょうか。2人が作文を書いた時点で、そこまで意図していたかは分かりませんが、保利が気付いたことはこういった意味だったのではないかな、と思います。
 湊は依里は実は仲が良かった。依里の父も、湊もなぜ「豚の脳」と言っていたのか。依里の父はなぜ依里のことを「化け物」と呼んでいたのか。本当に依里をいじめていたのは誰なのか、なぜ湊は嘘をついたのか。
 「豚の脳」は「同性愛者」だと気付いた時、湊と依里がお互いを好きかもしれないこと、依里は父から「豚の脳」と言われていること、自分が湊や依里にかけた言葉が2人を追い詰めていたこと、湊が不器用に依里をいじめから救っていたこと、湊が嘘をついた理由などの「本質」に保利は初めて気が付いたのだと思います。
 依里のいじめの解決にもっと真剣に取り組んでいれば、依里の家庭訪問にもっと早く行っていれば、自分の真実を伝えることに躍起になる前に湊がなぜ嘘をついたかという本質に気付いていれば、湊が依里をいじめていると思い込まなければ、そして誤植(鏡文字)を見つけることが得意だった保利なら、この作文のことにももっと早く気が付けたかもしれません。
 「世間」「普通の幸せ(彼女との結婚)」から外れてしまった時、保利は問題の「本質」に気が付きます。しかし湊と依里は、ずっと「世間」や「普通」から外れたところで苦しんでいました。
 最後に保利は湊のもとへ走り出し、大雨の中、大声で「ごめんな、先生間違ってた」「間違ってないよ、なんにもおかしくないんだよ」と叫びます。この時初めて、保利は湊と同じように不器用に生きる1人の人間として、湊に話しかけることが出来たのだと思います。

 ④伏見とお菓子泥棒

 火事が起きた日、伏見は拘置所にいる夫と面会をしています。この時の2人の会話について考えてみます。
 まず伏見は夫に対し、孫に好きなお菓子を買うように言うと「お菓子泥棒」が出るから嫌なの、と言われた話をします。「お菓子泥棒」は目を離すとお菓子を持って逃げてしまい「誰なんだろうね」と孫と話したことを、伏見は夫に語ります。それに対して夫は「なるほどね」と言い、伏見は「何でもなるほどねって」と不満そうにしています。
 まずこの場面から、夫は伏見の話をあまり聞いておらず、ちゃんと対話が出来ていないことが分かります。「お菓子泥棒」の話の面白さを共有できていません。何を話しかけても「なるほどね」としか返さない夫はまるで、早織に対応していた伏見自身のようです。
 しかしこの後の会話で、孫のお墓を別で用意するという会話の際、伏見は「それがいいと思ったけど」と夫に言います。この伏見の発言からは、仕方がないと分かってはいるけど、孫と同じお墓に入れなくて寂しいという心情が読み取れます。この伏見を見た夫は「そうだね……お菓子泥棒か。いや、面白いこと言うね」と笑って返します。
 つまり、最初は夫と対話ができていませんでしたが、孫のお墓という話題で2人とも同じ寂しいという感情を共有したことで、「お菓子泥棒」についても2人はちゃんと対話することが出来るようになったと言えます。

 以上を踏まえ、伏見の心境の変化について考えていきます。早織が伏見に「お孫さんを亡くされましたよね」「悲しかったですか。苦しかったですか。それ、私の今の気持ちと同じです」と詰め寄ります。伏見は何も言いませんが、この時、廊下で保利を捕らえた際に「全国日本吹奏楽コンクール優勝記念のガラストロフィーが落ち、音を立てて割れる」と脚本にあります。後日、伏見は湊に「昔は全国大会にも出てた吹奏楽部だったの」と話していることから、このトロフィーは伏見自身が取ったものとも考えられます。
 ここで伏見がなぜここまで「学校を守る」ことに固執しているか考えてみます。なぜかというと、明言はされていませんが、孫を轢いてしまったのは伏見自身だからです。夫を犠牲にしてまで選択してしまった、自身の「校長」として学校を守るという立場を、何があっても守り通さなければいけなかったからです。
 つまり、トロフィーは「学生時代から吹奏楽に打ち込み全国大会にも出て、音楽の先生になり、そして校長になった優秀な経歴を持つ自分」を表しています。そのトロフィーが割れたのは、孫を失った悲しみは今の自分と同じだと早織に指摘され、本来の「愛する孫を殺してしまい、更に嘘をついて夫を犠牲にしてしまった自分」へと伏見が変わっていく合図だと考えられます。
 トロフィーが割れた後の伏見は、保利を記者会見へ向わせる際に「あなたが学校を守るんだよ」と冷たく言い放ちます。伏見にとって「犠牲にした夫への償い」=「学校を守るため保利を犠牲にする」ことになっていきます。そして保利が学校を去る時に「隠したって孫を死なせた罪は消えませんよ」と言われますが、伏見は無視して「学校の汚れを落とす作業」を続けています。この伏見が執拗に学校の汚れを落とす描写は、校長として学校の汚れ(早織のような親、生徒をいじめていたとされる保利のような教師)を落としているかのように見えます。しかしノベライズだと保利が学校を去る時、「床に汚れがあるようには見えない」とあります。本当は汚れなどないのに、汚れを落とそうと床を擦り続けるこの執拗さも、伏見が嘘で固めた「校長」の自分で居続けることに無理が出てきたことを表しているのかなと思いました。
 そして保利が辞めてから約2週間後、学校に戻ってきた保利に追い詰められた湊はベランダで「ごめんなさい」と呟きます。早織が心配していたように、そのまま飛び降りてもおかしくないような状況です。ここで声をかけたのが伏見です。伏見は、嘘をついてしまったという湊に、楽器の吹き方を教えます。伏見は湊に「嘘言っちゃったか。一緒だ」と言います。ようやく学校で、初めて伏見が自分の嘘を認め、本来の自分になっていきます。映画ではカットされていますが、脚本だと伏見は自分の孫の話を湊にしています。そして湊から「幸せになれない」と打ち明けられます。お互いの悲しみを共有した伏見と湊は、「対話」ができるようになります。これは伏見が、早織や保利とはしてこなかったことです。そしてこの「対話」は湊を救います。
 (脚本だと、湊と依里が音楽室で2人で話しているところを、伏見に聞かれていたかも、と湊が思うシーンがあります。つまり伏見は、湊と依里の関係を知っていた可能性もあります。もし伏見が湊と依里との関係を知っていたとしたら、学校を守る目的以外に2人を守ろうとしたと思えば、早織に本当のことを言わなかったり、保利を犠牲にしたことも筋が通ります。ただこれについては依里のいじめを隠蔽するためともいえるので、2人の秘密を守る手助けをしたとは言えない面はあります。)
 様々な背景があったとは言え、伏見と湊は2人とも、自分の社会的な立場(伏見は校長という立場、湊は教室での立場や母に対しての立場)を守るために嘘をついて、自分の周りの人(伏見の夫、保利)に罪を着せてしまいます。そんな2人が「誰にも言えないこと」を楽器の音色に込めます。
 伏見の「誰にも言えないこと」は孫を殺してしまった悲しみ、犠牲にしてしまった夫への申し訳なさ、その嘘を守りぬくため犠牲にしてしまった保利への謝罪、湊の母である早織に対して誠実な対応をしなかったことへの謝罪が考えられます。湊の「誰にも言えないこと」は保利への申し訳なさ、自分は早織が望む幸せになれないという悩み、依里への愛情や申し訳なさなど色々な気持ちが考えられます。要は2人とも「悲しみ」「謝罪」「愛情」といった気持ちを音色に込めたのだと思います。この音は保利を死から救います。伏見や湊の言えなかった本当の気持ちが保利に届いたかのようです。
 そして「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。しょうもないしょうもない。誰でも手に入るものを幸せって言うの」と伏見は悩んでいる湊に伝えます。このセリフはまさに、早織の「湊が結婚して、家族を作るまでは頑張るよって。どこにでもある普通の家族でいい。湊が家族っていう、一番の宝物を手に入れるまで…」というセリフと対になっています。世間や自分の価値観に縛られた早織が言う「幸せ」と、1人の悩んでいる子供に寄り添った伏見の言う誰でも手に入る「幸せ」。早織の言う「幸せ」に縛られ苦しんでいた湊が、伏見の言う「幸せ」で自分らしく生きていくことを決意します。

 そしてこの伏見のセリフには「お菓子泥棒」の話に通じるところがあると思いました。孫は「好きなお菓子を買うと、お菓子泥棒が出る」「誰なんだろう」と伏見に言います。
 私なりの強引な解釈ですが「好きなお菓子を買う(自分の思い通りの幸せを手に入れる)」と「お菓子泥棒(誰か)」が奪ってしまう。しかし本当は「お菓子泥棒」なんていません。自分の思い通りの幸せ(お菓子)を手に入れても、誰も奪う人(お菓子泥棒)なんて本来はいないはずなのです。
 自分の中で「自分の好きな人を選んでも、幸せになれない」と1人で結論づけてしまった湊に「自分の好きなお菓子を選んだら、お菓子泥棒が来てお菓子を奪ってしまう」と言った孫を重ねたのかもしれません。伏見は孫に「好きなお菓子を選んでもいいんだよ、奪う人なんていないんだから」と言ってあげたのだと思います。湊にも同じように「誰を選んでもいいんだよ、その幸せを奪える人なんていないんだから」と伝えたかったのかなと思いました。
 早織が伏見に向け「不祥事とか不始末とかあっても、でも学校っていうのは、人が人を育ててる場所なんだっていう、確かなものが欲しかったんだよ」と言うシーンがあります。このセリフは不誠実な対応をする伏見に向けられたものですが、湊に対して伏見はまさに「不祥事を起こしても、先生として湊を導いた」人でした。早織にとっては不誠実だった伏見も、湊にとっては早織が求めていた通りの理想的な先生だったわけです。

 まとめると、最初は「自分が孫を殺した」という嘘を守り抜くため、校長として学校を守ろうとして、早織や保利に不誠実な対応をしていた伏見。しかし早織の言葉や、追い詰められた保利を見たことで、徐々に伏見の「校長」としての立場は揺らいでいきます。そして湊とお互い嘘をついていると打ち明け合い、本来の子供や孫に対して優しい伏見が顔を出し、悲しみを共有した2人は「対話」ができるようになります。伏見と湊が吹いた楽器の音が保利を救い、伏見の言葉で、悩み続けていた湊は依里との幸せを選ぶことを決めます。
 映画だとカットされていますが、脚本だと台風の日に伏見が退職届を書き、孫の写真を鞄にしまい、荒れた湖へ歩き出すという描写があります。孫を殺してしまったこと、夫や保利を犠牲にしたことを、自分の死で償おうとしていました。そしてまた、ここで伏見が死ぬのを踏みとどまらせたのが、台風の中自転車で依里の元へ走る湊の姿です。
 その後、伏見は湊と依里を助け、2人を台風の中へ送り出します。その際依里に「ありがとう」と言われた伏見。この「ありがとう」は「校長」としての自分でなく「本来の自分」に向けて言われたものです。2人を見送った伏見は、孫が好きだった「いしかり」のことを呟きながら服を片付けます。「優しいおばあちゃん」であった伏見の姿です。その後脚本に伏見は登場しませんが、まだ「本来の自分」にも救える人がいると知り、生きて罪を償う覚悟を決めたのかもしれません。学校のベランダで飛び降りていたかもしれない湊を伏見が救ったように、今度は湊と依里が死のうとしていた伏見を救いました。

 最後に、伏見がスーパーマーケットで女の子の足をひっかけて転ばすシーンについて考えたいと思います。映画だとこのシーンは、早織が学校に2回目の抗議した日にあります。それが脚本だと、湊と2人で楽器を吹いた日にこのシーンがあります。エグいですね。
 この「子供を転ばせる」という行動は「校長」の伏見なら取らないはずです。つまり「本来の伏見」が取った行動だと思われます。
 私はこの行動は、孫を殺してしまった自分への後悔、切なさ、悲しさが咄嗟に目の前の子供に向かった結果だと思いました。伏見自身が、自分が孫を殺してしまったという事実を受け止めきれず、どうしたらいいか分からなくてとってしまった行動なのだと思います。「本当は孫と買い物してたはずの自分」と「孫を殺してしまった自分」との乖離に耐えられず、「自分が殺してさえいなければ走り回ってたであろう孫」と同じくらいの歳の女の子を見ることが、耐えられなかったのではないでしょうか。つまり自分の罪を償えていない、直視できていない、悲しみを受け止めきれてないからこそ、このような行動をしてしまったのだと思います。

 ⑤湊がついた嘘(時系列順に)

 保利は湊をいじめた疑いをかけられ、追い詰められ辞職してしまいます。こうなった理由は、子供たちがついた嘘が原因のひとつとしてあります。なぜ彼らは嘘をついたのか考えていきます。
 まず湊がついた嘘についてです。湊は早織に対して、「保利先生(にいじめられた)」と嘘をつきます。なぜ保利にいじめられたと嘘をついたか、結論から言うと
①依里をいじめから庇ったことを正直に話すと、依里と自分の関係がばれてしまうため
②保利の「男らしく」という発言に怒り、失望した
③湊だけで抱えるには限界で、仕方なく保利に言われたことにして、早織に辛さを打ち明けたかった
という理由が考えられます。
 なぜこの嘘をついたのか、更に詳しく湊に起こったことの時系列に沿って、湊や依里の心情を考えてみました。かなり長くなったので飛ばしても大丈夫です。

 ※脚本を元にしているので、映画本編と時系列がずれているかもしれません。

4月24日
・火事が起こる。「豚の脳」が移植された人間について早織に聞いてみるが、それは「人間じゃない」と。
・翌日に依里の「病気」について「教えたよね」と話していることから、依里から自分は「豚の脳」が入っており、同性愛者であることも恐らく教えられている湊。    

4月25日
・朝、依里の首に痣を見つける。依里と話していると他のクラスメイトが依里を突き飛ばすが助けられない。
・依里と片付けに2人で音楽室へ。依里に髪を触られる。
・夜、髪を切る。自分が依里を好きかもしれない、という不安を断ち切りたくて触られた髪を切ったのかも。

5月12日
・ゴールデンウィーク明け。いじめっ子達が依里の机を汚している。湊もいじめに加担してしまい、依里に目撃される。
・いじめに屈さず「思ってないことは言えないよ」と依里。ここでいじめっ子達「もっちもちよー」からのキスコール。それを止めさせようと暴れる湊。保利が気付き、湊を叱りみんなに謝らせる保利。保利の肘がぶつかり、鼻血が出る。
恐らく、初めて依里へのいじめを止めようと行動した湊。「キスコール」に耐えられなかったのは依里への優しさ、もしくは依里への独占欲があったのかも。しかし結果は保利に叱られ、肘が当たり鼻血を出し、依里をいじめたクラスメイトも含めたみんなに謝らなくてはいけなくなった。
・放課後、依里と2人で帰る。依里に謝り、スニーカーを2人で分け合う。冒頭ではパピコを早織と分け合っていたが、ここでは靴を依里と分け合う。早織と2人でひとつだったのが、依里と2人でひとつになっていく湊。

5月14日
・初めて依里と2人で廃線跡へ。「花の名前を知ってる男は気持ち悪いって?」「暗いところを怖がる男はモテないよ」と依里。花の名前を知っている依里は「男らしさ」からは外れているが、暗いところは怖がらない。依里は「男らしさ」という世間の価値観から外れたところにいるが、暗闇を抜けて湊を新しい世界に連れて行ってくれた。トンネルの向こうは、「世間」の価値観に縛られない2人の世界。もったいなくて他の人には言わない世界。「男らしく」なくても魅力的な依里。

5月15日
・昼にやった組体操が崩れてしまい「男らしくない」と保利に言われてしまう。廃線跡と比べると、学校は教師や他のクラスメイトの価値観に縛られた場所。
・この日、死んだ猫を燃やす。
・家に帰ると父の命日。ホールケーキに対して「お父さんなら2口だね」と早織。直接は言われていないが、家でも「男らしく」という母からの期待がある。父の生まれ変わりについて話す。
・教室で依里へのいじめに加担してしまったこと、依里をうまくいじめから助けられないこと、自分でもよく分からない依里への気持ち、そして保利や早織からの期待で板挟みになり、この時点で生まれ変わらないと幸せになれないと思い、悩んでいたかもしれない。

5月16日 
・朝、起きれず早織から「病院に行こうか?」と聞かれるが学校へ行く湊。早織に水筒の泥を発見され「理科の実験」と答える。

5月19日〜6月4日
・車両を飾りつける2人。宇宙のように飾りつける。パンにピーナッツバターを塗ったり、インディアンポーカーをやる2人。
・依里の「君は敵に襲われると、体中の力を全部抜いて諦めます」に対し「僕は星川依里くんですか?」と湊。
・そしていじめられていることを「保利先生に言ったら?保利先生いい人だよ」という湊に対し「男らしくないって言われるだけだよ」と依里。
・保利を「いい人」と言っている湊。しかし依里は保利のことを信用していない。保利は湊に対して「男らしくない」と言ったり、湊がいじめをやめさせたことに気付かず、むしろみんなに謝らせた。依里はまさに「男らしくない」という理由で父から虐待され、教室ではいじめられている。保利の「男らしく」という言葉は、依里には重く響いた。
・そしてお互い親に気を遣ってると話す2人。依里の父と、湊の死んだ父について話す。

6月6日
・車内で作文を書く。お互いの作文に「むぎのみなと」「ほしかわより」と。湊は「保利先生、気付くかな」と少し期待しているようだが、依里は「気づかないでしょ、保利先生は」と保利に期待していない様子。
・2人でビッグクランチの話。もうちょっとで何もかも元に戻り、また宇宙ができる前に戻る。「生まれ変わるんだね」と。父の生まれ変わりに期待して火事を起こしたが、結局父は元のままだった依里。この時には自分が転校することも分かっており、やはり生まれ変わるしか幸せになれないと依里も思ってこう言ったのかも。
・湊がぶつかり怪我をする依里。手当てをしている時、依里が転校するという話を聞く。「いなくなったら嫌だよ」と依里の体を掴む湊。依里が手を回し、首に顔を寄せ「みなと」と。自分の体の異変に気付き「待って、どいて」と依里から離れる。「大丈夫なんだよ、僕もたまにそうなる」と依里。怖くなって依里を突き飛ばし逃げる湊。今までは髪を切ったりして不安から目を背けてきたが、この時に自分が好きなのは依里だということが確信になる湊。
・脚本だと、この日の夜は「2時に寝た」「寝るのがもったいなかった」と湊は依里に翌日のLINEで伝えている。湊は依里を好きだと確信を持てたことを、怖くなってしまったとはいえ、前向きに捉えていることが分かる。

6月7日
・いじめっ子達が、依里の机の上に絵の具を塗りたくっている。依里の絵の具を拭く雑巾が、隣の女子から湊へ。迷って依里へに返す。すると始まる、いじめっ子達の「ラブラブ」コール。湊は依里からタオルを取り上げようとするが、依里は離さない。絵の具まみれで、泣き出しそうになりながら掴み合う2人。
・昨日、依里への感情を確信した後のこの一件は、湊にとってかなり辛かったはず。好きなはずの人に「世間(教室)」の目を気にして、泣きそうになりながらも掴みかかってしまう。一方、依里はいじめに対して「体中の力を全部抜いて諦め」るはずだが、今回は湊に抵抗している。依里も湊にだけは、いじめられるのが嫌だったのかもしれない。もしくは、もうこれ以上「世間(教室)」に迎合しなくていいという湊へのメッセージだったのかもしれない。
・保利が止めに入る。脚本だとこの場面に入る前に「うちは開校以来、一度もいじめがない」と教頭から聞かされていた。保利は2人を止めさせるが、引き離した時湊は耳に怪我をする。「大丈夫?」と聞く保利に、笑顔で頷く依里。依里は保利を信用しておらず、いじめと気付かれないため、もしくは湊を庇うための笑顔で保利に接している。
・保健室にて「本当は職員室に報告しなきゃいけないんだけどさ、内緒にしとこうか。はい、じゃあ仲直りだ。男らしく握手しよう、ほら」と無理やり2人を握手させる保利。
・正直、映画を見た時はこの保利のセリフをそこまで重大に感じなかったが、湊だけの時系列にしてみるとどれだけ致命的な一言だったか分かる。
 湊が依里を好きだと確信した後に起こってしまったこの一件。まさに「男らしく」ない自分たちの幸せと、「男らしく」ないと幸せになれない「世間(教室)」との板挟みに遭い、かなり苦しんで依里に掴みかかったのに、最後は保利に「男らしく握手しよう」と無理やり終わらせられてしまう(保利が報告しなかったのはいじめを隠すため)。
 かなり辛い思いをして依里に掴みかかったにも関わらず、いじめは解決しないまま、「いい人」だと思っていた保利には「男らしさ」を求められてしまった。「世間(教室)」での幸せはもうない、と湊は思ってしまったのではないか。
・廃線跡へ向かう湊だったが、依里はいない。脚本だとLINEで「怒ってる?」「怒ってない」そして依里から「もう行かない」「何で」「またさわりたくなるから」「さわっても大丈夫」というやりとりの後、依里が廃線跡に向かうと返事をしている。
 トンネルまで迎えに行く湊だったが、そこに現れたのは早織。早織の背後に見える依里は帰ってしまった。急に来た早織に困惑する湊。
 家に向かう車の中で恐らく「僕ね、お父さんみたいになれない」と打ち明けようとするが、トラックにかき消される。それを恐らく「お父さんみたいになりたい」と勘違いした早織。父の「男らしい」ところが好きになったと。更に「お父さんに約束してるんだよ。湊が結婚して、家族を作るまでは頑張るよって。どこにでもある普通の家庭でいい。湊が家族っていう1番の宝物を手に入れるまで」と続ける。またノベライズでは「こんな話を湊にするのは初めてだった」とある。このタイミングで依里からの着信。
・昼に教室で保利に「男らしく」と言われて傷付いた湊。だが「世間(教室)」では言えなかったことや諦めた幸せも、依里を好きになったという確信がある今、母になら打ち明けれると思ったのかもしれない。しかしここで、初めて聞く早織からの「お父さんとの約束」。この早織のセリフも、タイミングが違ったら湊も反論できたかもしれないが、今の湊にとっては追い討ちをかけられただけだった。しかも早織が来たせいで、依里と会うことができなくなってしまった。依里の転校が分かったと同時に依里を好きだと確信し、「世間(教室)」でも幸せになれず、母が思う「普通の幸せ」にもなれそうにない。ここで依里からの着信があり、咄嗟に飛び出す湊。
依里は元々、父に虐待され、教室ではいじめられており、味方は湊や女の子の友達だけだった。湊も学校では保利の言動に傷付き、今まで味方だった親にも「自分の幸せ」を否定されてしまい、依里しか味方がいなくなってしまった。そしてその依里も、父のせいで転校していなくなってしまう。
・お互いがお互いしかいなくなってしまったところで、そしてその依里もいなくなってしまうことで、追い詰められた湊は車から飛び出してしまったのではないか。
・車から飛び出した後、病院でCTを撮る湊。ノベライズだと「頭の中を覗かれて、すべてがバレてしまうのではないか」と心配している。そして早織の車が警察に押収されてしまったことに責任も感じている。帰り道で言葉に詰まってしまう湊。早織から「なんで髪短くしたの。靴片方無くしたの。(怪我している耳にふれ)これどうしたの」と。全て依里とのことだから湊に「普通の幸せ」を願っている早織に、本当のことは言えない。
・これに対し湊は「湊の脳は豚の脳と入れ替えられてるんだよね」「そういうところ、なんか変っていうかさ、化け物っていうかさ…」と続ける。
・過去の依里との会話「豚の脳じゃないよ。星川くんのお父さん、間違ってるよ」から、湊が本当に「豚の脳」の話を信じているとは思えない。つまり、実際に自分の脳は「豚の脳」なのか心配しているというよりかは、自分は依里を好きなだけなのに、保利先生もお母さんも依里のお父さんも邪魔をしたり「男らしく」とうるさくて、どうせ自分は「豚の脳」なんだからほっといてよ!という自暴自棄のようなセリフにも思える。
 早織が「誰に言われたの?蒲田くん?蒲田くんでしょ?」と。蒲田くんとは、依里をいじめている主犯。ここで「蒲田くん」と答えてしまうと、湊が依里のいじめを早織に話すことになり、湊が依里の味方をしていることがばれてしまう。保利は蒲田を叱るかもしれないが、「男らしくない」だけで解決され、いじめが酷くなったりターゲットが2人になることも考えられる。
・「じゃあ誰?誰に言われたの?」と早織。すると湊は「保利先生」と。今まで湊なりに依里のことで悩み、やっと昨日の廃線跡で見つけた「依里を好き」という答え。しかしそれを「世間(教室)」のいじめに、保利に、そして早織に否定されたような気になり、「自分だけの」幸せと「世間」「普通」の幸せに苦しむ。そして何より、教室で依里に掴みかかってしまった自分のことが許せない。自分らしく生きたいのに器用に生きれず、依里のことも傷付けてしまうし、何より自分が苦しい。
 つまりなぜ「保利先生」という嘘をついてしまったのかというと、保利に「男らしく」と言われて傷付き怒っていた、という理由もあると思うが、何より、この辛さを1人で抱えることが限界だったのだと思う。それを今まで1番の味方だった早織に素直に伝えたいが、本当のことは言えない。仕方なく保利に言われたことにして、自分の辛い気持ちを打ち明けたかったのではないか。
・湊が保利にやられたと早織に話したことは「体操着袋を廊下に捨てられたり、授業の支度が遅れただけで給食を食べさせてもらえなかったり」「叩かれて腕をきつくねじられたり、耳から血が出るくらいひっぱられたり。先生、痛いですってお願いしたら、嘘を言うなって言われて…お前の脳は豚の脳なんだろ。これ痛い目に遭わないと分からないだろ」と。もちろんこんなことを保利はやっていない。
 ではなぜここまで具体的な嘘をついたのかというと、湊の中で、自分が依里を好きなことがバレたら、このくらいひどいことをされてしまうだろうと不安に思ったことを、保利にされたことにして早織に伝えてしまったからだと思う。そしてこの話は、依里が父からされていたと思われる虐待の内容も多い。湊の中で「保利」=「大人の男」=「依里の父」のような大まかな括りがあったしたら、「大人の男」を象徴する存在として保利の名前を出したことも自然だと思える。もしくは「学校の担任」は小学生にとって「自分の未来の姿」や「世間」「社会」の象徴だったのかもしれない。自分の将来に対する不安や、世間に対する不満をぶつける相手として保利の名前をあげてしまったのかもしれない。
・湊に保利を追い詰めたい、という意図はなく、むしろ自分が追い詰められて抱えるのが限界になり、かといって本当のことは言えず、仕方なく保利の名前を出したのだと思う。
 実際、依里は父から同性愛者だからという理由で、暴力を振るわれて虐待されている。自分も本当のことがバレたら、依里がされているように、保利たち大人や、クラスメイトからいじめを受けたり虐待されたりするのではないか、と思っている。繰り返しになるが、本当のことは早織に言えないから、仕方なく「保利先生」がやったことにしたのではないだろうか。

 ⑥依里がついた嘘

 続いて、依里が職員室で「保利先生はいっつも麦野くんを叩いたりしてます。みんなも知ってるけど、先生が怖いから黙ってます」という嘘について考えてみます。
 そもそも依里は、湊との会話から分かるように、あまり保利のことを信用していません。繰り返しになりますが、保利は湊や依里に度々「男らしく」と言っています。依里への虐待、いじめは「男らしくない」という固定概念によって起こっていることです。こんな境遇にいる依里は、他の生徒より「男らしく」と言う保利に不信感を持っていても不思議ではありません。そしていじめが保利にバレそうになると、いつも笑顔で誤魔化します。これは先ほど、時系列順の考察でも触れたように、頼りない保利にいじめがバレても、さらに悪化するだけで解決はしないと思ってるからだと思います。もしくは、保利を通して父にいじめられていることがバレたら「男らしくない」という理由で虐待が悪化するから、という懸念もあるかもしれません。
 依里はいじめられても、いじめっ子達に抵抗はしません。しかし依里へのいじめをやめさせようと暴れたのが、教室ではたった1人、湊だけでした。家にも学校にも居場所がなかった依里にとって、湊は唯一の味方だったのかもしれません。そんな風に依里を助けた湊を、保利は(事故とはいえ)怪我をさせ、みんなの前で謝らせます。唯一依里をいじめから助けてくれた湊に対する扱いへの不満、そして保利が湊を叱ることで、もう湊は自分と仲良くしてくれなくなるのではないか、という不安もあったかもしれません。

 職員室で嘘をついたのは、依里が本当は誰にいじめられているか言ってもいじめは解決しない、という諦めがまずひとつあると思います。そして、唯一いじめから助けてくれた湊を疑っている保利に対する怒りや失望があったのから嘘をついたのではないでしょうか。理由を整理すると以下の通りです。

①保利が湊をいじめていることにしないと、湊が嘘をついたことになってしまう。保利を信用していない依里は、湊が嘘をついている理由を悟り、保利のせいにした。
②保利のせいにしないと「自分は蒲田たちにいじめられていて、湊が助けてくれた。湊はいじめをやめさせたくて暴れ、しかし本当のことが言えず嘘をついた」という本当のことがバレてしまう。しかしこのことを保利に言っても、保利はいじめを解決してくれないだろうし、むしろひどくなりかねない。本当のことを伝えるにはリスクがある。
③早織や保利に、湊が依里のいじめを庇ったことがバレると、湊と依里の関係もバレてしまうかもしれない。早織の対応によっては湊と会えなくなるかもしれないし、保利には教室で(依里の父のように)いじめられてしまうかもしれない。

このように湊を嘘つきにしない為にも、本当のことを隠すためにも依里は嘘をついたのかと思います。
 最後に「みんなも知ってるけど、先生が怖いから黙ってます」と付け足したのは、他の生徒が呼び出され、本当のことを言ってしまったら困ると思ったから先手封じのために言ったのではないかと思います。これで他の生徒が何を言っても「保利が怖くて本当のことを言えないんだな」と理解されるからです。賢いですね。

 ⑦他の生徒たちがついた嘘

 では他の生徒がついた嘘について考えていきたいと思います。まずは湊の隣の席に座っていた女子、美青(みお)についてです。美青は自分の席でBL漫画を読んでいたことが印象的です。映画ではカットされていますが脚本だと、湊に対して依里との関係を「わたしはね、応援してるの」「二人の関係はね、尊いものだよ。カミングアウトした方がいいと思う」「わたしが代わりに言って…」と話しています。この時、音楽室で湊の髪を触る依里の隠し撮りを湊に見せています。しかしこの後、湊が怒って美青を突き飛ばします。
 美青は、自分は湊と依里を応援している、と言いながら、実際に依里へのいじめをやめさせようとしたり、湊の相談に乗ったりしている描写はありません。脚本だと特に、隠し撮りをしたり、BL漫画を湊に見せたり、勝手にカミングアウトしようとしていることから、美青なりに2人の心配はしていたかもしれませんが、ただ2人の関係を傍観者として楽しむことが第一だったと考えられます。また美青の口から2人の関係をバラそうとしていたことから「2人の理解者である自分」「2人の関係を取り持つ自分」でもありたかったのかなと思いました。

 ではここで美青がついた嘘について考えてみます。まず美青は、保利に対して「見たんだよ。麦野くんが猫で遊んでるとこ」と伝えます。実際、猫を見つけたのは依里で、猫の元には2人でいたはずでした。しかもそれは1ヶ月ほど前の出来事です。なぜ湊だけが死んだ猫で遊んでいたと嘘をついたのか考えてみます。
 まず、なぜこのタイミングで保利に伝えたのか考えてみます。美青が嘘をついた時点で、湊が依里に掴みかかってから 2週間ほど経っており、その間湊は車から落ちたこともあり学校を休むことが増えます。美青としては2人に何が起こったのか知りたいはずです。特に隣の席の湊から、何か事情を聞きたかったのかなと思いました。しかし湊は何も語りません。
 そのため美青の中に「なんで好き同士なはずなのに依里のいじめに加担するのか」「なんで自分に打ち明けてくれないのか」「なんでクラスメイトや保利先生に本当のことを言わないのか」といった湊への不満や苛立ちがあったのかなと思いました。そこで美青はある計画を思いつきました。
 美青が保利に湊のことを言いつけた日の放課後、美青は湊に「カミングアウトするべき」「わたしが代わりに言って…」と伝えます。2人の関係が進展していなさそうなことが不満だった美青は、カミングアウトさせることで、教室での2人の仲を取り持とうとします。
 美青の計画としては、「保利先生に麦野くんが1人で猫で遊んでいたと伝えた。このままだと麦野くんが1人で怒られることになるけど、星川くんと一緒にやったと言えば1人で怒られずに済むし、麦野くんが星川くんと本当は仲がいいと先生に伝えられる。保利先生に、本当は麦野くんが星川くんのいじめをかばっていると伝えられる。だからカミングアウトしよう」というものだったのかなと思いました。脚本で美青は、湊に対してBL漫画を見せて「結ばれない運命なの」と伝えるシーンがあります。美青なりに、湊と依里にはこの2人のようになって欲しくなかったのかもしれません。
 保利に「湊と依里が2人で猫の死体で遊んでいた」と言わなかったのは、湊が教室で依里との関係を隠している以上、美青も湊の許可を得ずに言うことはやめたのかなと思いました(アウティングは絶対にダメです)。
 結果、カミングアウトを提案した美青でしたが、湊に「話したら殺す」と言われてしまいます。この翌日、保利に「麦野が猫を殺したかもって話」と詰め寄られますが、美青は「言ってません」と逃げてしまいます。実際、美青は「湊が猫を殺した」とまでは言っていないです。それに加え、湊にカミングアウトを断られて怒らせた以上、保利に対して嘘をつき続ける理由がありません。追い詰められた保利が怖かったこともあり、あの場から逃げ出してしまったのかなと思いました。
(この美青の行動について考えるのが一番大変でした。我ながらかなりこじつけになってしまいました……。)

 では次に、生徒たちが答えたアンケートについてです。実はこのアンケートは、脚本を読むと「保利先生が麦野湊くんを叩くのを見たことがありますか?」「体操着袋を投げ捨てたのを見たことがありますか?」とあり、みんなが丸を付けていきます。実際、保利は湊が暴れているのを止めた際に、誤って鼻血を出させていたり、「こうされたらどう思う?」と湊の体操着袋をぽんと投げて見せたりします。つまり、生徒が「はい」と答えたのは、保利が実際にやったのを見たからです。
 アンケート本来の目的は違う意図がありましたが、「見たことがありますか?」と言われたら「ある」と答えてしまった生徒が多かったのかなと思いました。また、いじめっ子たちがいじめを隠蔽したかったという理由から、アンケートでは「保利が湊をいじめていた」と回答したのかなと思いました。そして依里がついた嘘である「みんなも知ってるけど、保利先生が怖いから黙ってます」という発言もあり、嘘をついていないクラスメイトのアンケート結果も「保利に怯えて本当のことを書けない」と解釈されてしまったのかもしれません。

 ⑧早織と嘘

 ではここで、早織ついて考えていきます。
 他の要因もあったとはいえ、自分の発言をきっかけに湊に「嘘」をつかせ、その湊の「嘘」を信じ、学校側に「本当のこと」を求め、依里の「嘘」を信じ、その結果世間に対して保利に「嘘」をつかせて窮地に追いやった早織。湊や校長室での依里の発言も、保利が湊をいじめていたということも、早織が信じたことは全て「嘘」だった訳です。そして湊が成長し、決断するきっかけを与えたのは早織ではなく、敵視していた伏見でした。
 台風の中、真実に気付いた保利は湊の元へ走り出しますが、結局早織は映画の最後まで真実に気が付きません。しかしこの時の早織は、もう真実などに興味は無かったと思います。ただ湊が無事でいてくれたらいい、という気持ちだけで、敵だったはずの保利と2人を探しに行きます。この時に保利を受け入れたのは、保利のことを「人間」だと思ったからだと思います。真実を知って謝りたいと湊を探す保利と、真実を知らないが湊への愛情だけで突き動かされている早織のコントラストが面白いです。

   ⑨この映画の構造

 この映画の中で、様々な背景があったり、無自覚だったとは言え、誰かを傷付けていない人は1人もいません。湊の嘘だけが原因ではなく、様々な要因が積み重なった結果、保利は死を選ぼうとします。

 図にするとこのような感じかなと思いました。湊がついた嘘をきっかけに、伏見を含めた学校側の対応、ヒートアップした早織、嘘をついた依里や生徒たちがさらに保利を追い詰め、死に追いやります。しかし湊が嘘をついた原因の根本にあるのは「世間」「偏見」「普通」といったものに縛られた周りの言動です。
 そして最終的に「世間」から攻撃に遭い「偏見」を持たれ、彼女や職を手放し「普通」を保利は失いました。大袈裟に言えば、自分の言っていたことが自分を追い詰めた訳です。
 火事に例えると、湊や依里は小さな火種を起こしただけで、それを早織や伏見が更に燃え上がらせ、湊達が予期しなかったほど火は大きく燃え上がった、というイメージです。

 しかし湊と伏見の吹く楽器の音で、保利は死ぬことをやめます。校舎で保利は飛び降りませんでしたが、今までの「世間」に縛られていた保利はここで一度死んだのかなと思いました。
 上記から考えるこの映画は、大きな「世間」や「普通」という枠組みと対立した(外れた)、個人が抱える悩みと成長、そしてただ1人の人間としてそのまま生きていることは美しい、という内容なのかなと思いました。
 この個人の悩みと成長、美しさというのは、主人公である湊や依里にも言えますが、保利や伏見にも言えるのではないかと思います。そして最後まで真実に気付かなかった早織は、この映画においてはあくまで「世間」「普通」の象徴だったのではないかなと思いました。しかしラストシーンで保利と早織は手を取り合い湊を探します。つまり「世間」や「普通」の中にいる早織も、そこから外れてしまった保利と手を取り、たった1人の、湊だけの幸せを願えるはずだ、というメッセージがあるのかなと思いました。2人が台風の中、廃線跡の電車の窓を何度も拭うが中々車内が見えないというシーンがあります。電車の中は、湊と依里が自分らしく、誰にも邪魔されずに楽しく過ごせる唯一の空間です。保利と早織は「電車の中」にある「真実」が何なのか、なかなか見ることが出来ません。そしてやっと見えた時には、湊と依里はもうそこにはいません。湊と依里はもう、保利でも早織でもなく、保利と早織の敵だった伏見の言葉に勇気づけられ、自分達で生きる道を決めた後だったのです。

 ⑩「怪物」とインディアンポーカー


 これについては既に色々な方が解説されていると思いますが、「怪物」とは何だったのか考えたいと思います。
 唯一この映画に出てくる「怪物」は、湊と依里が作ったインディアンポーカーの中のカードの一枚です。台風の日、湊がいないことに早織が気付くシーンで「怪物」「人間」というカードが床に落ちています。
 インディアンポーカーに描かれているのは「怪物」「人間」そして何種類かの「動物」です。2人は自分について質問をし、相手について答え、自分が「怪物」か「人間」か、もしくは何の「動物」なのか考えていきます。劇中のセリフではたくさんの動物が出てきます。そして2人とも動物にかなり詳しいです。阪元裕二脚本らしいですね。
 まず2人が最初にインディアンポーカーをやっているシーンでは、湊は「豚」で依里は「カタツムリ」です。湊=豚だとされていることから、自分の脳は「豚の脳」ではないかと悩む湊に繋がっていきます。しかし「豚」は「動物」なので「怪物」ではありません。
 そして次のターンで「ナマケモノ」を引いた湊は、その特徴から「僕は星川依里くんですか?」と答えを出します。つまり「湊=依里」です。依里は「人間」なので、やはり「怪物」ではありません。
 つまり2人は、お互いが誰なのか、ということを質問や対話によって考えて見つけていきます。そしてその対話の結果、自分が「怪物」ではないことに気付きます。これに対し、早織、保利、伏見は対話を拒み、また疎かにしたことで自分を「怪物」にしてしまいます。しかしこれも、誠実な対話があれば、本来は「怪物」でなかったことが分かったかもしれません。つまり「怪物」は、お互いを誠実に分かりあおうとしなかった時に生まれるものだと思います。最初は依里も、湊にとっては「怪物」だったかもしれません。しかし依里と仲良くなっていくうちに、そうではないと気付いたはずです。
 当たり前ですが、この映画に出てくるのは「人間」だけです。その前提を忘れてしまった時、人はそれぞれ固有の悩みや苦しみを抱えていることを忘れてしまった時、自分の利己に取り憑かれてしまった時、「人間」は「怪物」になり得るのかもしれません。

 映画ではカットされていますが、脚本だとラストシーンの前にもう一度「夜なのか、トンネルの中なのか、それとも別の場所なのか、ひどく暗い」場所を走る電車の中で、2人がインディアンポーカーをやるシーンがあります。その中で依里は再び「カタツムリ」を引きます。最初の場面では、湊は「カタツムリ」の特徴について「コンクリートを食べます」「割と高級品です」と言います。
 しかしラストのシーンでは「歯が一万本以上あります」「コンクリートを食べます。マイナス120度でも生きられます」と言います。
 ちなみにこの時、湊は「ゴリラ」を引き「(空を)飛びません。君はね、好きな人にうんちを投げます」と依里に言われます。
 突然ですが、この作品は「銀河鉄道の夜」がモチーフのひとつにあると思われます。「銀河鉄道の夜」では、ジョバンニとカムパネルラの少年2人が銀河鉄道に乗って旅をし、最後に2人一緒に「ほんとうのさいわい」を探しに行こう、と話したところでジョバンニが目を覚まし、カムパネルラが死んだこと知らされます。最後、父が漁から帰ってきたと知らされたジョバンニは、胸がいっぱいになりながらも、母に父の帰りを知らせようと走り出すところで物語は終わります。
 これを元に「ゴリラ」の特徴を考えてみると「(空を)飛べない」というのは「自分達が乗っている電車は銀河鉄道じゃない」という意味なのかなと思いました。銀河鉄道に乗れない以上、2人は現実を生きなければなりません。しかし銀河鉄道に乗れない湊は、ジョバンニがカムパネルラを失ったように、依里を失うことはないとも考えられます。そして物語のように父は戻って来ず、母の元へ戻るラストでもありません。
 つまり、2人は「−120度」で「(空を)飛べない」、厳しい現実を、親の手を離れ生きていかなければなりません。現実では「好きな相手にうんちを投げ」てしまうように、好きなのにいじめてしまうこともあるかもしれません。しかし2人の乗っている電車は、銀河鉄道ではありません。ラストシーンも色々な解釈がある映画かと思いますが、私は2人とも生きていて、新たな人生を歩み出したのだと思いました。生まれ変わらなくても、銀河鉄道に乗れなくても、元のままでも手に入る幸せを2人は知ることができたのだと思います。厳しい現実でも、生きていけると覚悟を決めたのだと思います。

2.最後に


 最後に、ここまで拙い文章を読んでいただきありがとうございました。考察をするため、人ごとに時系列で行動をエクセルでまとめたり、初めてノベライズを購入して心情の検証をしたりしました。この面倒くさい作業のおかげで、考察を自分のものにできたと思います。最後に参考にした本の情報と、動画のURLを貼っておきます。また何かあれば追記したいと思います。

「おまけの夜」
 https://youtu.be/uAyMLDN9g8E
「さけねこの映画チャンネル」
 https://youtu.be/knXLLnkS7Xk
 阪元裕二(2023)「怪物」(シナリオブック)
 佐野 晶(2023)「怪物」(ノベライズ)
 ギャンビット(2018)「脚本家 阪元裕二」

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