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Young Jeezy、46歳、かく語りき。

2000年代半ばに豪快なダミ声とストリート上がりのタフなスタイルでヒットを連発したアトランタのラッパー、ジージィ(Jeezy / Young Jeezy)。46歳になった今も健在で、先日タイニーデスク・コンサートに出演した様子をこちらで紹介しました。

実はジージィ、2023年に初の著書となる回想録『Adversity For Sale』を執筆しています。今回は出版に合わせて行われたジージィのインタビューを抄訳しながら紹介していこうと思います。

「音楽はいつも大好きだった。まず初めにマスターP、8ボール&MJG、ダ・ブラット。学校へ行く前に毎朝聴いていた。たいていの人はその曲が好きだから聴くんだろうけど、俺の場合は楽曲を聴いて、そこから学んでいたんだ。読書の代わりだよ。あの頃は実際に本を読むのは大きらいだったからね」

名前が挙がっているマスターP、8ボール&MJG、ダ・ブラットはそれぞれニューオーリンズ、メンフィス、アトランタと1990年代を通して合衆国南部を拠点に活躍したラッパーです。ジージィがタイニーデスクでも触れていましたが、90年代はNYとLAが中心のヒップホップ観のもとで南部のラッパーは非常に低く見られていました。それだけにジージィも思い入れがあるのだと思います。インタビューではこの後に2パック愛も語っています。

ジージィは父親が軍人だった関係で少年時代の一時期を沖縄で過ごしています。それまで育ったフッドの環境の狭さと、そこから抜け出ることの難しさが察せられます。

「自分の近所じゃ見られない外の世界があるんだってことを知ったよ。ジョージア州に戻ると友達にビーチがあったんだって話した。(内陸のジョージア州では)ビーチもヤシの木も見たことがなかったからね。黒人と白人じゃない人種の人々もそれまで見たことがなかったんだ」

ジージィといえばラッパーになる前はドラッグディーラーとして大成功していますが、Yahoo! Newsというちゃんとした媒体だからか、そこらへんのエピソードは「アトランタの有名ストリップクラブ、マジックシティで何千ドルも使いまくった」の一文だけで、すっ飛ばされています。

「なんとかしないといけないとわかってた。このままだと刑務所に行くか、残りの仲間たちみたく死んでいくかだと。俺の音楽の多くは…自分の声を聴いてほしいっていう俺自身なんだ。自分はもういなくなるんだろうと思いながら曲を書いていた。だからいつも、前のものよりも良い、最高の言葉を言おうとしていた。それが『Trap Or Die』と『Thug Motivation』だ。最悪のケースにも備えていたけど、これで音楽を続けられると思って同じエネルギーを次のプロジェクトに注ぎ込んでいった」

『Trap Or Die』はメジャーデビュー前に非正規でリリースされていたミックステープですが今では手軽に聴くことができます。自信を持って余裕たっぷりに言葉を乗せて行ったり裏から「イェーイ」と合いの手を入れたりする特徴的なスタイルが既に完成していることがわかります。


ジェンキンス(ジージィ)のキャリアは音楽業界の伝説的な重役、LAリードと出会ってすぐに花開くことになる。リードは当時デフジャムのチェアマンを務めていた。ジェンキンスがパフォーマンスを披露すると、リードは言った。「ヤング・ジージィ、今日ここに来る前にやってた仕事はもうやらなくていい。ここから成功するんだ」

 ジージィのインタビューの細かい点に関してはぜひ元記事を読んでみてください。また、LAリードは先日リル・ジョンのインタビューでも名前が出てきていたので、改めて重要人物だなと思いました。

ヒップホップの世界では40歳前後でぱったりと音楽を新しく作ることを止めてしまうことが少なくありません。売れなくなったり、逆にビジネスマンとして成功して音楽を止めたり、アンドレ3000のように「この年齢でラップすることなんかない」と言う人もいます。

そんな中で46歳になったジージィはかつて憧れた2パックのように2枚組の新作をリリースしています。タイニーデスク・コンサートでもジャズ・ベーシストのデリック・ホッジを迎えて編曲を任せたりと、音楽への情熱を見せており、これからも応援したいと思わせてくれるラッパーです。


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