一流がなぜ一流たるか、ちゃんと考えたことある?
「こんなに金も持ってて成功してて才能もあるのに、声でかいんや」
こんにちは、Rです。
昨日たまたま見たYouTubeが衝撃的で私の考え方にも大きく影響を及ぼしてくれました。
https://youtu.be/iQyhcWf5QOc?si=xcfWn9zTsVzc3DEr
ダウンタウンの松本人志さん。面白くて好きです。
私も彼に憧れて芸人を目指したり…とかはまったくありません。
ですが彼の作り出す笑いに没頭し、陰キャながらも目の前の相手を笑わせたいという欲求を持つことはするようになりました。
そんな彼のエピソードを、同じく吉本の芸人である小籔さんが話してくれているものです。
(よろしければ動画をご覧の上、その後の文章をお読みいただければと思います。というか逆に動画だけでも見てください。俺のnoteは最悪いいです。)
小籔さんは言います。「松本さんはボソボソ話すイメージで、センスのある一言で笑いをとっている印象がある。」
私も同じように思っていました。ですが小籔さんは「そう思っていたらすべらない話に出た時の松本さん、誰よりも声がデカかった。」と述べています。これを私たちにも応用できる一言で言うと、「基礎」になるのではないでしょうか。
私は新卒で入社後一貫して営業職に就いています。やはり営業職の登竜門というべきか、泥臭い電話営業や飛び込み営業なども厭わずやってきました。
そしてだんだん気づいていきます。
「なんか売れてる奴とか先輩、これやってなくね?」
話を聞いてみるとノルマを達成するために紹介をたくさんもらう、顧客課題を深掘りしてフィットした提案を行い受注単価を上げている、など。
ひたすらドブ板営業に従事して周りが見えなかった頃には気づかなかった創意工夫を発見することができました。そして自分自身も思うのです。「もっと楽したい、少ない労力で売れるようになりたい」と。
ですが考えるべきは「なぜそうしたいか」です。
本来この「楽したい・少ない労力で売れたい」の裏にあるものが「空いた時間でもっと他の客先に営業をかけ売上を作る」といったものならまだいいですが、それ以外だったら転落。
ですが最近のX界隈でも「仕事の対価は仕事」と揶揄されるように、実際の給料にはつながらないこともままあります。
それを受けて最低限の仕事をすればいい。と上司も部下も思い始めます。
私は上司に「俺も昔は1日何万歩も歩いてさ、ドブ板営業もやったもんだよ」と何度も聞かされました。
後輩は言います。
「もうそんな武勇伝いいんすよ、コスパがいい方法を拾って上手いことやっていければいいっす」と。
上司側に出来るならもっと頑張れよと思い、後輩側のスタンスに気になるものがあります。
努力できる天才がどこの会社・業界にもいる中で泥臭いことから逃げて何が残るのでしょうか。
上手に出来る人の劣化コピーで自分のスタイルを作れずに何が残るのか。
それを恥ずかしいと思うかは人それぞれだが、きっと待っているのは「努力し続けた後輩に頭を下げてやり方を学ぶ未来」ではないでしょうか。
それが悪いとはいいませんが、少なくともそれが出来るのは努力できる天才の方だと思います。
…少なくとも私は遅れをとってしまいました。
ちっぽけなプライドをかなぐり捨てて、後輩から学ぶ毎日です。
ですがありがたいことに自分はまだ「取り戻そうとする過去の蓄積」に対して貪欲になれ、そのために行うことに多少の楽しさと向上心を抱けました。
ですがそれが出来なかったときはどうだったか…
考えるだけで身の毛がよだちます。
これを読んでくださったあなた。
あなたがどんな生き方や仕事をしているかはわからないし、とても失礼なことを言っているのかもしれません。
またはこの文章がまったく刺さらない私の上司世代や後輩世代の方かもしれません。
ですが…少しでも刺さったなら。明日からの生き方は少し考えてみるのがいいですよ。
最後までお読みいただきありがとうございました。今後もあなたの日々の生きやすさや気づきをお渡しできるように精進します。