バッチコイ!35歳限界論!
あなたもこういう文言にぶち当たったことは一度や2度ではないのであるのではないでしょうか。
「キャリアの設定は35歳までに終わらせなさい」
「35歳までの積み上げでその後の人生は変わる」
私も立派なアラフォー男子ではありますが、確かに30歳を超えたあたりから周囲の目が変わりはじめた印象はあります。
少なくとも私は一生懸命に生きてきたつもりではありました。
苦手な営業で、難しいお客様の対応に苦戦しながらもなんとか要望に応えたり、大口顧客の失注によりノルマの達成が難しいとなれば夜中まで残って戦略を練り朝一番から出社して顧客の開拓に臨むなど…
当時の私にとって出来る限りのことは尽くしてきた。そういう自負はありました。
ですが、勝ちきることができませんでした。
毎日一生懸命同じような仕事をする中、同期が自分以上の結果を残していく、ドンドン出世していく場面を見て悔しくなったり情けなくなったりしました。
苦手な営業に加え長年慣れ親しんだ業界から大幅に異なる業界の営業に異動を命じられ、今まで培ったものが通用せず苦戦する毎日。
今となっては大いに感謝しているが、毎日上司から精神的な甘えを指摘されることで精神状態もドンドン悪くなっていく、普通の表情で会社に行くことが困難になっていく。
前述した後輩以外にも、新しくできた部署の後輩たちにもおそらく「この人大丈夫かな…いや、ダメだな。終わってる人だしそういう対応でいこう」と感じられていたように思います。
簡単に言えば、舐められたもんだな、と今でもハッキリ思っています。
そういった期間をなんとか踏みとどまりながら、逃げずに精神もギリギリで持ちこたえて壊れずに日々を過ごし、ようやく新しい部署でも馴染めて人並みの結果を残すことが出来るようになりました。
しかし、あくまで人並みです。
そうなってしまった中年男性に残された道とは果たしてなんなのでしょうか。
「20代についた差は一生埋まらない」
「20代の過ごし方でその後の人生が決まる。」
そんなポストを見るたびに、「ほな○ねちゅうんかえ」と大声で叫びたい気持ちにもなりました。
ですが、そういうわけもいきません。
この高齢化社会、労働人口が減るのはそのまま国力の低下につながるでしょう。
先日映画化もされ話題になり、私も大好きな伊坂幸太郎さん著の小説「マリアビートル」の中では登場人物がしきりに「どうして人を○してはいけないのか?」という質問をしていきます。
数ある回答の中で、私にとっても一番しっくり来たのは「国が困るから」というものでした。
人は生まれて死ぬだけで立派なものなのです。
物価が上がり、治安が悪くなり、とても暮らしにくくなっていることは事実です。
ですが、毎日一生懸命持ち場で働く我々のようなおっさんのおかげで、社会が回っています。それも事実です。
というかそんな大それた理由を持ち上げなくてもいい。
誰かのためにならない仕事なんてない。立派に社会を回しています。
そして、誰もがいつか土に還ります。生き抜いたものを讃える美しい場所。そこまでたどり着く権利を誰にも奪わせてはいけないのです。
35歳限界説?やってやろうじゃねぇか。
限界だろうがなんだろうが、出来ることをやっていくしかないのです。
出来ることがないなら、何かを成していくしかないのです。
そんな時に、大好きなフランケンさんがXに記してくれました。
私には何もありません。
一生懸命生き抜いたつもりの毎日は、私に何も残してくれなかったように思います。
だが、それがなんだというのでしょうか。
諦めるにはまだ早い。というか、諦めたらそこで試合終了なのであれば、足掻こうがわめこうが、諦めようが結果は同じというのなら、いっぺん足掻いてみようじゃないか。
こちらを書きながら私には2つ持っているものがあることに気づけました。
「闘争心」と「反骨心」。
諦める前に一度戦ってみようという意志だけは明確に持っていたようです。
バッチこい残りの人生。
私が残りの人生を足掻き抜いたという道標の最初の一歩をここに残していこうと思います。
そして最初の内容のポストを量産して流しているアカウントに告ぎたいです。
ターゲットが20代であることは重々承知ですが、こちとら見る度ムカついてんだ。マジで見返してやっからな。おっさん舐めんなよ。