俺を信じてくれた同僚に告げた残酷な真実
「春道、俺たちも副業をやるべきなのかな?」
22時頃に業務を終え、一緒に歩いて帰宅する同僚が私にこんな質問を投げかけてきた。
「そうだよ。」私はそう答えた。
同僚は心底驚いたという顔をしていた。
求めていた答えでなかったのかもしれないし、毎日こんな時間まで残って会社の仕事に従事している私がそう答えたのが意外だったのかもしれない。
その両方かもしれないし、もしかしたら全然違う感情かもしれない。
答えはわからないが、少なくとも彼にとって想定していたものとは違う回答が返ってきたという反応だったことは確かに読み取れた。
社内の私に関する評価は、ありがたいことにそれなりに高いようだ。
営業成績が飛び抜けて高いわけでもないし、なんならムラはある。
それでもそんな評価を受けられるのは、仕事に対する姿勢として後輩たちにも見習って欲しいものがある、それを背中で見せてくれているというのが理由のようだ。
正直驚いた。自分でも狙ってそう見せてるわけでもないし、以前に流行った「出世のために飲み会に行く行かない論争」でいえばまったく行っていない。アピールしていない。
こうしたnoteや自己研鑽に時間を使いたいというのもそうだが、そもそもまったく酒が飲めないしお金もない。
そんな理由で飲み会に足を運ぶことは少ない…まぁ飲めないことは単なる言い訳なのだが、そこは今回の論点ではないのでご容赦願いたい。
それと私の実績次第ではあるが、しばしば上のポストについての興味を聞かれることから、一定の割合で上司の中で推薦したい気持ちもあってくれるのではないか…と邪推している。
人から見れば大したものではないかもしれないが、私にとっては気付けばそんなポジションに来て評価していただいているのだ、と感慨深いものがある。
私がそうまでして会社に従事する理由はたくさんあるが、一つに恩返しの意味も含まれる。
過去の記事にも書いたことがあるが、私は突然の社内異動で仕事のやり方が大きく変わりその後数年を棒に振った経験を持っている。
ただ、それでも生活は破綻しなかった。会社が毎月一定の給料を私に与えてくれたおかげだ。勤め人には安定がある。
もちろん100%従順になれるわけではなく、文句もあるが基本的には会社の仕事を全うして給料(というか変性があるのはボーナスだが)上げていきたいと思っている。
そして雇われにはリスクが少ない。
現在進行形で私が勉強していることを、お客様や会社に提案することは自分で商売を行う上では結構大変なことである。それを低リスクで行うことが出来るメリットがある。
色々言われることも多い勤め人に関してだが、上記のようにメリットもそれなりに多いし出来ることもたくさんある。これが私が本業にコミットする理由だ。
…と、こんな風に書けば「じゃあ副業いらないじゃん」と思われた方も多いだろう。
私もそうだった。ちょっと前まで。
ただ考えを改めたのだ。
この国では解雇規制の緩和が検討され始めている。
仮に、次に私が別部署の異動となり成果を出せなかった場合、メンヘラおじさんが爆誕してそのままクビを切られる可能性は0ではなくなってしまったのだ。
そうなってしまう可能性を鑑みれば、私が以前のように会社に忠誠を誓うべきかは怪しくなってくる。
私が会社に対して恩や義理を感じても、たとえそれが伝わろうと伝わらなかろうと、デジタルに判断を下される可能性は高い。
生殺与奪の権を、ガッツリ他人に握らせることになる。
そうあってはならない。自分の人生の手綱は自分自身でしっかりとグリップしておく必要があるのだ。
そのためには、副業をやることはもはや「やった方がいいかなぁ」のレベルをとっくに抜けて義務レベルになっているとすら私は感じている。
おそらく文脈的には同僚の温度感は「稼ぐために」であったように感じるが、私にとっては「生きるために」必要なものであると思っている。
もちろん副業をやればすべてが解決するわけではない。
「ルールが変わって今日までやってきたことがなんの役にも立たなくなる」ということは、本業に限らず起こり得る。なんなら自分で商売を行った後に起きた方がダメージは甚大だ。
つい先日、Xで10,000人以上のフォロワーがいらっしゃるアカウントが、唐突に無慈悲に凍結を喰らいかけた事件は記憶に新しい。
私のような弱小アカウントは今のところ杞憂だが、Xも noteもある日突然積み上げた物ぶっ壊される可能性が0ではない。そんな不安は、どこにいても逃げようがない。勤め人だろうが、独立していようが、だ。
ただ、良くも悪くも「どこにいても逃げようがない」のだ。
その事実は私たちに覚悟を与えてくれる。どこにいても同じなら、私は納得感のある戦場に身を置きたい。
そこは、私が所属している会社では残念ながらなさそうだ。ただ、出来る限りのことはやって貢献し、自分の力にもしていきたいと思っている。
共存する思いと反発する思い、どちらも胸に抱いて飛ぶ必要がある。
同僚が私に答えを求めた時、彼は自分を肯定して欲しかったのだと思う。
毎日こんな時間まで働いている。
会社に捧げている。
そんな自分が報われないはずがない。
なぁ春道。そうだよな。俺間違ってないよな。
彼はそう言いたかったのだと思う。
痛いほどわかるよ。俺もそう思ってるから。
俺たち、報われるべきだよな。
心の中にあるその本音は飲み込んだ。
それは弱者の道徳だ。奴隷道徳だ。我慢しているから救われるわけではない。
救われるのは盲目的に目の前のことをやり続けた人間ではなく、指し示された正しい道を正しく死に物狂いで歩んだ者だ。
私は彼の頑張りを否定したくなかった。
だから真正面から考えを否定した。
辛く苦しい毎日の中で、一緒にいられる家族や仲間の存在は思っているより大きなものだ。私にとって彼はかけがえのない仲間だ。
だからこそ、俺たちは誰かの手に命を握られるべきではないんだ。
冗談じゃねぇよ、殺されてたまるか。
驚いたかもしれないが、それが私が胸に秘めていた本音だ。
これは私の意見である。
彼に、そして読んでくれたあなたに無理強いするつもりなんてない。
ただ、あなたがどんな道を歩んだとしても、歩き方や道は違っても同じ思いを持っている同志がここにいることは忘れないでほしい。
一緒に、生き延びてやろうぜ。
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