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デカすぎる背中とプレイステーション2

父親は自分の意志や話をあまりしない人なので、「その時どう思っていたのか」とかは聞いたことがありません。

父の日の引用リポストを見ながらふと、初任給が出て一番最初に父に食事をご馳走したことを思い出しました。

父親はそうやって感じるものなのか。
あの時父はどういう気分だったのだろうか?
複雑な表情をしていた気がします。「喜んでくれた」と思ってるし、それも正解だと思うけど、他の感情もあったのかなと今になって勉強になりました。

そのイベント後、私は新卒入社後1か月分の営業成果の不振により会社から給料の30%減を言い渡され(閉店後のスーパーじゃないんだから…)、ご馳走するどころかされてなんとか命をつなぐ立場になっていました。

心配だっただろうな。帰ってきたらいいのにって思っただろうな。でも私は意固地になってしまい、どうしても帰るという選択ができませんでした。


私の実家はとある田舎町で、祖父の立ち上げた会社を家族経営で営んでいました。

忙しく毎日を過ごす両親。ただ家と会社はすぐ近くにあったので、なにかあればすぐ会社に行けるし両親に会えます。祖父母も親戚もいて、手が空いていたら可愛がってくれます。寂しいと思ったことはありませんでした。

また、欲しいものがあれば土日に子どもでも出来る仕事を手伝わせてもらい、お小遣いをもらったりもしていました。そのお金でゲームや当時流行っていたおもちゃの数々(ミニ四駆とかハイパーヨーヨーとか)

ずいぶん経って私もだいぶ大きくなったころ、両親はすごく忙しくなりました。父はお休みの日や夜中にも会社に行き、仕事をするようになりました。なんとなくいつもとは様子が違うことは、察していました。

ただ社会やお金の仕組みがわからなかった子供の私は、当時クリスマスプレゼントに出たばかりのPS2をねだったりしていました。

父はプレゼントするためにお仕事を頑張ってくれてたのかな。
そう思っていた私は、嬉しさはもちろんあるけど夜中まで頑張る父に対する申し訳なさは胸の隅っこに残したまま、当時流行っていたゲームをやっていたことを覚えています。

それから数カ月ほどして。
父は、祖父が立ち上げた会社がなくなることを私に告げました。
私にプレゼントをしてくれた時も、きっとギリギリの財務環境だったのではないでしょうか。ただ当時の私は、申し訳なさはあってもそんな思いを汲み取れるほど大人ではありませんでした。

ただ当時の少し肩の荷が下りたような、朗らかな表情を見て「これでよかったのかもしれないな」と思ったような記憶があります。


時が経って、私が進学で親元を離れたころ、父が一度病気になりました。

私の家系は曾祖父から心臓を病気しやすくかつヘビースモーカーが多くて、私の父もその通りの生活環境でした。

身体を壊しても無理はない。当時はそう思っていたけど、今となっては会社の終わりごろから多大なストレスとプレッシャーの中生きていたことは容易に想像できます。

学生時代にはじめての海外旅行に行くために、帰省せずにバイトに明け暮れていた私はそんな父の状況はつゆ知らず、その3か月後。旅行後に知らされました。曰く心配をかけたくなかったとのことでした。

当然怒りましたが、まぁ大したことはなかったのかな、無事でよかったと勝手に思いました。


大学の卒業の頃になって、私も就職活動が始まりました。
リーマンショックと東日本大震災が重なった時分。

時代のせいにして就職活動が難航しているという言い訳も立ちますが、根本が社会をなめて遊びまわっていた学生気分が抜けない私を採用する会社もあろうはずがありません。

なんでこんなに苦しい思いをしなきゃいけないんだろう。
そんな甘ったれて場違いな被害妄想を抱いたりしていました。

なかなか上手くいかない。そんな私に食事をしながら相談に乗ってくれていた兄はこんな話をしてくれた。

「仕事に対していろんな考え方はあるけど、目標は持つべき。
俺は、30歳までに1億円稼ぐことが目標だった。」

学生気分の抜けない私は「お金を目標にするなんて!」と青臭い思いを伝えました。

兄は続けて、こう教えてくれました。

「いいか。お前は気づいてないだろうけど我が家はとても裕福だったんだよ。両親も親戚も、毎日一生懸命働いてその対価を得て、近くのお家に比べたら俺たちには贅沢な暮らしがあったんだ。」

「だけど、お前も知る通り会社がなくなった。お前にどう告げたかはしらないけど、俺たち(兄2人)はリビングで両親に泣きながら謝られたんだ。申し訳ないってな。」

「父さんは、稼ぐために東南アジアに出稼ぎに行くっていう話もあったんだ。俺たちを守るためにな。運よく周りに恵まれてそれは回避できたし、お前が父さんと一緒にそのあとも日本の家で過ごせたことは、当たり前ではなくすごくラッキーで幸せなことだったんだ。」

「その後、お前は『家が貧乏になった』とか、思ったことがあるか?
多少、昔連れてってもらったような美味しいごはんとかは行けなくなったかもしれないけど、普段の生活に不足を感じたことはないはずだ。
父さんはすごく頑張ってくれてたんだよ。」

「俺の目標は、会社が最後に抱えていた借金の額だ。俺は社会にリベンジしたいんだ。」

兄が教えてくれてようやく、当時の父の思いを知りました。
そして今書いてまとめながら、ようやく大部分を理解できた気がします。


その後私は以前のコンテンツなどにも書いたかもしれませんが、新卒の会社で歯を食いしばり耐え抜きながら過ごし、転職でまぁまぁ名のある会社に入ることが出来ました。

そしてそれ以外の生活でも変化がありました。父は学生時代にある格闘技をやっており、私が30過ぎて趣味でやり始めたことは喜んでくれたように思います。私が人生をかけられそうな趣味を見つけ、父も過ごした道であったことは嬉しかったのかもしれません。

ただそれで父を安心させきることもできません。恋人も作らずプラプラしている息子が心配でたまらなかったことでしょう。

父が友人に先日会ったところ、若いころは男前だった友人が家族も作らず一人で過ごし、ずいぶん見た目も変わってしまってショックだったという話を聞かせてくれました。父には、その友人と私の未来がダブって見えたのだと思います。

私は最近流行りかもしれないが、別に一人で生きていく覚悟を持っているわけではない。
その不安は私にもある。でもどうしたらいいかわからない。
私は頭でわかっても脳が拒み、その話に気だるそうに相槌を打ちました。

それ以降、父が私にその心配を伝えることは無くなりました。


一昨年、父が二回目の心臓の病気になりました。
私の学生自体に、父が患ったものと同じ病気です。

夏の長期休暇で実家に帰る前日、ジム帰りにLINEで母から届いた報せに動揺し、その日どのように家に帰ったかが思い出せません。それほど動揺していました。

1回目から10数年経ち、父の身体もそれだけ年齢を重ねています。
今回のダメージがどれだけのものかわからない。


急いで実家に帰ろうにも、当時住んでいた場所から私の実家があまりにも遠すぎたため、もうその日中に帰る術がありません。

ただ祈るしかなく、いつもお参りしている神社に参杯に行ったり、天国の祖父母にお祈りしたり、落ち着かない時間を過ごしていました。

夜になって母親から父の無事が知らされ、全身の力が抜けました。

以前の経験から、父は何度も病院に通って異変を伝えていたようで、早めの処置が施せたことが功を奏したようです。

何をどうしたらいいかはわからないけど、もっとちゃんと生きようという決意だけは新たにしました。


それから程なくして、私は異動になりました。
前回の経験からなにかあっても駆け付けられるように、少しでも近く、もしくはアクセスが良い(飛行機や電車が直通)場所に住むことが目標と上司に告げたところ、運よく願いが叶う異動を申し付けられたのです。

さらに幸運は続き、その場所で今の恋人と出会うことが出来ました。

非モテを貫きすぎた私は「こういうときどうしたらいいかわからない」状態になりましたが、1番は父さんに伝えようと以前から決めていたことを思い出し、電話をしました。

男性は歳をとる毎に感情を出すことが難しくなると聞いたことがあります。

果たして父の喜びようはとんでもないものでした。「明日そっち行く!会いに行く!」と言い出す始末です。
(さすがに付き合って2日後に父が来るなんてドン引きされそうで断りました)

ただ、これだけ喜んでくれること・喜んでくれる人がいることに申し訳なさはちょっとありつつも、私自身もとても嬉しい気持ちになりました。


その出来事の後、帰省した際に改めて家族に報告した私ですが、実家でガッツリ被災しました。

運よく何事もなかったとはいえ、当時の私は本気で「今日人生が終わるのかもしれない」と感じました。

父は何度も病気をしました。今では健康で元気な体でいてくれるものの、いつ何が起こるかわからないことを私は二年前に痛感しています。

そして人の心配だけではなく、私にも同じことが言えるのではないかと思います。

歳を重ねるごとに、周囲の死が近づいてきたように感じます。
祖父母などすごく年の離れていた人だったはずなのに、先日ついに去年までよく一緒に運動していた人の訃報を知らされることとなりました。

人生になにがあるかはわからない。
大切な人の最後なんて想像したくもない。でもしなければならない。

それでも回避したい。だから父は修羅場を乗り越え、家族の心配をしながら、一生懸命守ってくれていたのだと思います。

ずっと思い続けるなんて出来ないけど、それでも私はことあるごとに今みんなが生きている奇跡を改めて実感しながら毎日を過ごしています。

先日、私の実家に彼女が一緒に来てくれました。
付き合い始めた2日後に現れようとした父はもちろんとても喜んでくれました。

元気なお父さんに彼女を紹介出来てよかった。
これは当たり前の出来事ではないのです。

ずいぶん遅くなったけど、これからはたくさん今まで以上に親孝行するからね。

そのときに撮った写真。私と彼女に挟まれて、真ん中で満面の笑みを浮かべる父さん。

そんなつもりはなかったけど、これを書き終わったらその写真を印刷してフレームを買って、部屋に飾っておこうと思います。

父さんが父さんになって、43回目の父の日おめでとう。
俺たち3兄弟と約束している100歳まで生きてって約束が守れるように、長生きしてね。

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