カウント10
「竹原ピストル」という歌手がいます。
お名前を聞いたことがある覚えがある、もしくは聞いたことがない方でも、この歌を聞かれたことがある方は多いのではないでしょうか。
私が出会ったのは確か中学生の頃、音楽番組の中だった気がします。
中学生の頃の私にこの方の深すぎる歌詞を理解できるはずもなく、その場はそういう歌手がいる、という反応だけで終わりました。
時は10年以上流れて。
「さや侍」という映画が世間で取り沙汰されるころ、改めてその名前を聞くことになりました。
松本人志さんが彼の名前を出し、取り上げられることになったのです。
(話はそれますが、彼もまた引き上げられた人物の1人であったのではないでしょうか。)
社会人になって私も彼の歌の良さや温かさを以前より知ることとなり、聞くことが増えることとなりました。
挑戦しているのかいないのか、頑張っているのかいないのか。自分自身でもわからない毎日を過ごしながら竹原ピストルの歌を毎日聞きながら会社へ通勤していました。
今でもよく聞いている。しかし…
ファンの方は芸能人にも多い竹原ピストルさん。
そしてファン層をちょっと調べてみても、やはり中年男性が多いように思います。私自身もそうです。
一度ライブに参加させていただいたことがありますが、やはり周りの方は私と年代の近い男性層が多かったです。
傷つき疲れれば彼の歌が背中を押してくれる、励ましてくれる。
たくさんの方にとって彼の歌が救いになっていることは想像に難くありません。
ですが…
ふと思いました。
いつまでこの場所に帰ってくるつもりなのでしょうか。
自分の挑戦しているものはなんなのか
彼の歌は、負けても、ボロボロになっても、倒れてもまたいつでも立ち上がって走り出すことが大切であると述べてくれます。
しかし、彼が歌うのは例えば荷物も持たずに夢だけを追って家を飛び出し、がむしゃらに追いかけるような人に対しての歌ではないのでしょうか。
少年野球のように練習試合にでも赴いて「今日もダメだったね」というふうに帰ってくるような人や状況に歌われるものではないはず。
でもこの歌が好き!と言っている人のうちの何人がそういう風に思っている前者のように思えているのか。少し不思議に思ったのです。
自分は挑戦できているか。戦い続けているか。
自分の仕事にも。コンテンツにも。
少しずつの成長感でとりあえず行動することが自分の挑戦になっていた気がします。
それ自体は悪くないと思っています。何度も書きすぎて耳タコかと思い大変恐縮ですが、コンテンツを上げ始めて気づくことや出来ることは大量に増えたと思っています。
ですが、それをすることでどうなっていきたいのか。
もっと詳細に言えば、どうやって「勝ち負け」をつけていくのかは自覚していかなければならないと感じ始めています。
以前に拝見したこちらのコンテンツでも言われていますが、挑戦ややり直しには期限があります。
こちらについては私も同意です。
だからこそ。今勝負できていることはめちゃくちゃ価値があり大切なことなのです。
今勝負に挑んで勝ち負けをハッキリさせることをビビッて放棄してしまうことは絶対にダメなんです。
カウント10だけは自分の諦めが数えるもの。
ですがもう一つ負けがあります。
レフェリーストップです。
自分がどれだけ戦える、まだやれるとファイティングポーズをとったところで、世間が、市場が、社会が「もうダメだ、この試合は終わりだ」と両手を振ってしまったら、その時点で問答無用で試合は終わってしまいます。
カウント10を数えるのは自分の諦めでしかない。
ただその諦めが来る直前まで戦い続けられることをもう少し噛みしめたほうがいい。
本当に勝ちたいのであれば。
カウント10を聴きながら。
だから今この挑戦をこそ大切に私は戦っていきたい。
勝てるかはわからない。でも勝ちに行く。
勝ち負けをハッキリさせることにビビって放棄することだけはしない。