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貧すれば鈍する(ようこそ!FACTへ感想)
今週の土日に面白そうなマンガを見つけた。
「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」という漫画だ。
早速調べてみたら数々の著名人が絶賛しており、全4巻と試しやすい巻数であったことから、近場のレンタルコミック店に一走りし、息継ぎなしで一気に読んでしまった。
正直、このマンガはかなり感想を書くのが難しそうという第一印象を持った。
ただ、何か引っかかるものを感じ、何度も読み直してこのマンガで何が私に伝わってきたかがわかる気がしてきた。それはこのマンガを評するほかの方たちの内容とは違ったように感じている。
このマンガで作者が伝えたかった要点は、この記事のタイトルではないかと私を感じた。
※以下かなりネタバレあります。まだお読みでない方はご興味があればぜひご覧になられてみてください!
主人公の渡辺君が陥っていたこと。
主人公の渡辺君は非正規雇用で働く自身の未来に不安を感じていた。それは冒頭出てくる「俺の人生が始まっていない」という言葉からも伝わってくる。
そこで彼は行動する。自分を変えるために自己啓発セミナーに参加するのだ。
しかしその自己啓発セミナーは単なるマルチ商法の温床であった。そこで彼は自分が騙されていたことに気づく。
そんな彼が行き着いた考え方は、騙されてもなお自分は間違っておらず、世界が間違っているという穿ったものであった。
騙されてなお自分が間違っていないと思ってしまう意思の薄弱さと、何もないから過去に縋り切りたかった渡辺君の話が心に刺さった。
渡辺君は、子供の頃に行った事をずっと自分の誇りとしている。それを捨て切ることができないまま人生を歩んでいる。
ただこの能力に関して「必死こいて手に入れた能力」という描写はなかった。たまたま上手くて、たまたま褒められたことをずっと自分の優れた能力として捉え切っているだけの話である。
だから、彼は自分が自分の力で何かを為すということを全くわからないまま、人生を歩んできたことになる。
努力をしたことがないからこそ、自分が変わるということをそもそも思い着くことが出来ないのだ。
彼は独善的な他責思考であった。自分を変えると言うしんどいことには一切向き合わず、俺以外の何かが変われ、俺以外の何かが間違っているから、俺がこんなに苦しんでいるんだということを本気で信じていた。
そして、陰謀論者と出会い、その考え方にどんどんのめり込んでしまう。他責思考が極まれば、このように自分を慰めたくなってしまうものだということは非常に示唆に富むものであった。
これだけ間違ったことをされている中で、まだ世界の方が間違っていると思うのは何が原因なんだろうか。私はその答えを見つけることに最後まで難儀した。
本当は本人だって気づいていたはずなのだ。漫画の最後の方で、渡辺君が未来の自分と対話するシーンがある。
未来の自分は、今の非正規の仕事をしたまま会社の休憩室の隅っこでいつもの弁当食べながら非難がましく言う。
なんで友達を作らなかったのか
なぜ部活をしなかったのか
なぜあんな奴のことを信じてしまったのか
恐るべき事は2つある
まず、渡邊君自身が未来の自分がそうなるということを自分自身ですでに予見していると言うことだ。
そしてもう一つ。
未来の自分ですら、他責思考なのである。渡辺くんが歳を重ねたときに見える未来は、今の自分の問題を過去の自分に擦りつけようとする醜い心であった。
私がこのマンガで見た重要なメッセージはここである気がする。
誰かのせいにして生きようとする浅ましさを陰謀論にのめり込むと言う形で、この漫画では表現したかったのではないだろうか。
答えが何かわからないが、私が感じたことはそういったものになった。
渡辺くんはどうするべきだったか?
この漫画の中では、何度も小さなことを1つずつと言う言葉が出てくる。
しかし渡辺くんは、自分の人生を一足飛ばしに何とかして変えていこうと思っていたのだ。
人生なんかそんなに簡単に変わるわけがない。ただ彼は自分の人生を振り返ったときに、そんなに必死で対峙したことがないからこそ、簡単にそういった行動に行きついてしまうのではないかと感じた。
渡辺君は根性なしなんかではない。マルチ商法の方法に騙されながらも、路上で知らない人に声をかけ署名をもらうという偉業は一応は成し遂げている。(中身はめちゃくちゃだったが)
また、自分の意思で陰謀論者のもとに辿り着き話をするということもできている。
つまり、彼は何も行動ができない人なわけじゃなかった。だから、彼はその自分の行動できたことをただ認めてあげるだけでよかったはずなんだ。
ただ、彼はそれを認めてあげることができなかった。自分の人生をヒロイズムに劇的に変わるべきなんじゃないかと、そういうふうに感じてしまったのである。
それが彼を蝕んでしまった思考の罠ではないかと私は感じた。
現実に即した、飯山の考え
私のこの漫画中で感嘆したのは、物語の最後で飯山がピッチに臨む場面だ。
飯山と対峙した投資家は、彼女に現実を語る。
夢を叶えるために足を引っ張られたり足を引っ張ったり。
金やしがらみに束縛されて、自分のやりたいことできないことがあるなど、投資家の女性はあくまで事業のリアルを突きつけに来る。
正直私はこの話をオチとして、テレビ局の重役の娘としておそらく何不自由なく暮らし、今もボランティアやサークルに従事しながら、どこか自分のやっている事と言うことをキラキラ感を持ってやっているような感覚を持つ飯山が失敗する話として描かれるものだと思っていた。
しかし、この投資家の女性に「私が何を言いたいかわかるか?」という問いに対して、次のコマで飯山は毅然とした態度で回答する。
「それでも夢を持つことを禁止されていない」。
彼女は自分の夢を、キラキラした夢物語として捉えているのではなく現実的な汚い部分も加味したうえで追いかけることを選んだのだ。
実際どうなるかわからない、その汚い部分は予想だにしないようなものでやはり彼女の夢をむしばむ可能性はあるし…というかそもそもがマンガの話なので次とかもないのだが、少なくとも彼女が選ぶ道のりがどういったものであるかをポジティブに描かれていることに感嘆した。
陰謀論は「ヒーローになりたい人」のために存在する。
この社会で自分の身の回りの世界を変えたい!と願う人たちは多数いると思う。
このマンガの中でも「世界をよくしたい」という夢が何度か登場した。
ただ、そういった人たちが本気で望んでいる先にあるのが「良くなった世界」か、「世界を良くしたカッケー自分を承認してくれる社会」なのかの違いがあっただけだ。
前者は現実を見て行動を起こし、後者は夢想した。
なぜ夢想する先で選んだものが「陰謀論」であったのか?
マンガの中には出てこなかったが、私はこう推察している。
「なんかそういうの暴くのがカッコいいから」ではないか。
登場人物の年齢などを考えたら色々感じるところはあるのだが、そうした面も含めてこのマンガを評する人は「承認格差」という表現を用いたのではないだろうか。
渡辺くんに関しては飯山さんと付き合いたいという目標は見えるものの、師匠に関してはその先の未来がまったく描かれていない。いや、渡辺くんに関してもか。
上記に書いた未来の渡辺くんとの対話についても、陰謀論を解決することとはイコールにはならないのだ。
それでも人間はよくわからない陰謀論に囚われ、解決することを望み、意味の通らない行動に走ってしまう。
それはさながら自分本位の子どものわがままにしか感じられなくなった。
なるほど確かに、知能に格差は存在するようだ。
ただ最初に書いたような「渡辺くんの非正規雇用を続ける未来」「貧しいまま閉じていく人生」が好転する様が最後まで描かれなかった。
これらの行為は貧しさからの一時的な現実逃避でしかなく、そこから逃れることは簡単だが広がる格差は永久に埋まらない、という悲しい事実がこのマンガのテーマではないだろうか。
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