【記憶の始まり】

私がこの世に生を受け記憶がある所から話そう
私が覚えているのはもう何十年も前。
そう昭和だ。
随分と時が経った。
私がまだ幼い頃は親といとこたちが
常にいる状態だった。
兄弟姉妹もいない私はほとんどがいとこと
居た。
皆さんが思う貧乏とは、想像を絶する世界で
生きていた。
ある時はつくしや、セリ、その辺に生えてる草などを母親は健気に調理し、食卓にならんでいたものを未だ外を歩くと思い出す。

服なんてものは今は激安で買えたりもするが、当時は高く我が家ではタオルをミシンで縫ったものを着ているか、はたまたおさがりなどだったと思う。
未だに私はタオル生地が1番落ち着くのはその頃の記憶だろう。
インターネットもない
もはやスマートホンなんてものもない
ゲームなぞ買えるわけもなく
遊びはいつも外で男の子のようだった。

そんな環境から私の人生が始まる……

とはいえ全て記憶に残っているわけでは
無い。
ただ、覚えていて今の私を構成した
経緯を読んでいただけると嬉しい

私の家は父親は職人母親は主婦、主婦といえど
私の祖母にあたる人、そしていとこ家族が常に居た為かいつもバタバタとしていた

私は言わば【連れ子】だった。
本当の父親は1歳頃に蒸発したらしい
(それを知るのは中学生の頃)
そのためだろう祖母には私という存在は
消されたような扱いだった。

いとこたちは祖母に
沢山のお菓子やお小遣いをもらい
駄菓子屋へあそびにゆく

私は母親に30円~50円を貰い
ついていっていた。

なぜ?私は祖母にわかってもらえないの?
なぜ?お母さんは私より従姉妹を抱きしめるの?
心の中で思いながら
ただ 私は大丈夫!と笑っていた

いとこ達は優しかった。
お菓子をわけてくれたり、一緒に遊び、一緒に眠る。そんな幼少期であったが、
暮らす家では、祖母からの迫害で
ほぼひとりぼっちだった

ただ……貧乏ながら
犬がいた。それも沢山の。
時に寂しくなると犬小屋や自室へ犬を入れ
犬が隣にいてくれた安心感で眠る。

そしてまたそれすら怒られたりしていた。
そんななか、私は小学生になっていた。
父親は暇があるといとこや私をトラックに
乗せ、山、海、川、自然で遊ぶ所へつれていってくれていた。
(遊び)ときくとなにを思いますか
低学年では
いとこと海へ生き、落ちている釣り糸と木の棒などで牡蠣を餌にハゼを釣り、テトラポットで遊んだり、祖母のもつ畑でとうもろこしやイチゴを
勝手に食べたり……
いわゆる
野生児である。

楽しかったがやはり
母親はほかのいとこの面倒をみるため
私を構ってくれた記憶はない、

私は我慢という事を覚えた。
犬がいてくれたのが幸いだった。
だが今考えれば
父親は猫をほうきで殺し
犬が面倒になればその辺に捨てる
身勝手で自己中心的。
母親も私も恐怖からなにも手を出せなかったが
母親は懸命に向かうがいつも
両親はひどい喧嘩をしていた。

私はかげで怯えるしか脳のない子供だった。

そんな人生の始まり。
今思い出すと壮絶
そしてきっと皆様は考えられない時を
刻んで行くことになる……

次の投稿は、
小学校高学年からとしようか
【次回 イジメのはじまり】

こんな長文を読んでいただきありがとうございます。

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