13年間いじめと付き合ってきたことについて
皆さんこんにちわ。
本日も沢山のnoteの中からこちらの記事に目を留めてくださり、ありがとうございます。
今回はいじめについて自分の経験談も含めてこちらのnoteに書いていこうと思います。
よろしかったら最後までお付き合いください。
目次
・いじめは当たり前?
・加害者と被害者の立場
・最後に
・いじめは当たり前?
今では昔と違って「いじめ」という言葉に特別感を感じなくなってきたように感じます。
というのも、今は昔と違い身体的な暴力や言葉による暴力、無視をしたり何か物を隠したりするなど精神的ないじめ、そしてSNSなどを使ったいじめなども増えてきているからだと思います。
私は幼い頃、よくいじめに遭っていました。
正直に言うと、保育園から高校生まで様々ないじめを受けてきました。
保育園や小学生の頃はまだ幼いということもあり、暴力や暴言を言われることが多かったです。
暴力は殴る蹴る、コンパスの針で背中を刺す、ストーブの上に無理矢理手をのせられるなど。
暴言はよくありますね。
「死ね」
「キモい」
「学校に来るな」
などいじめにはよく聞くような言葉を多く言われた記憶があります。
中学の時は知識や思考力が多少ついてきたからでしょうか。
全員で順番に誰かをシカトする、部活の先輩やクラスメイトに悪口を流すなどされました。
噂というのは本当に怖いもので、誰かが私に対する暴言を流してからあっという間に学年中に広がったことを今でも覚えています。
高校の時はSNSによるいじめに遭いました。
当時私がやっていたブログのコメント欄に「死ね」「ブス」という言葉を下までずっとスクロールしても続いて書かれていた日々がありました。
今思うと、これが1番手のこんでいたというか、よくあれだけ長く同じ言葉を連ねていたなぁと思います。
その時間があるなら勉強したり友達と遊んだりするなどやることがあったのではないだろうかと思いますが。。
さて、話が少し脱線してしまいました。
大体自分が遭ってきたいじめはこんなところでしょうか。
見てお分かりになると思いますが、
時代や環境の変化、子どもの成長によって知識や知恵が増えたことでいじめは本当に沢山の種類があり、ましてやいじめがないという状況はほとんどないのではないかと思うのです。
勿論、いじめはないに越したことはありません。
ですが、近年になって「いじめ」という言葉を聞いても何か違和感を覚えたり憤りを感じることは少なくなってきたのではないでしょうか。
私1人でさえもこれだけの多様ないじめを受けてきたのです。
これよりももっと辛い状況にいる人は沢山いるでしょう。
ではそもそも、いじめをする人とされる人。
被害者と加害者についてもう少し触れていきましょう。
・被害者と加害者の立場
これについては加害者が悪いとよく言われますね。
私もそれについては全く同意見です。
どんな理由があっても相手を傷つけていい理由なんてありません。
無意識のうちに誰かを傷つけていることはあるかもしれませんが、故意的に人を傷つけていい理由なんてないと思います。
ですが大人になった今、いじめを保育園から高校まで受けたことがある私から見て、気になることがありました。
いじめをしてきた相手は、果たして幸せだったのだろうか。
もしかしたら、いじめをしてきた相手にも何か嫌なことがあったのかもしれない。
家庭のことや学校のことで何か辛い思いをしたのかもしれない。
、、こんなことを書いているといじめをしている加害者を庇っているように
見えますがそういう訳ではありません。
ただ一概に、加害者のことを責めることが正しいとはどうしても思えないのです。
例えばの話ですが。
クラスでいじめがあったとしましょう。
幸いにも、そのクラスの担任の先生が「いじめがある」と聞いて迅速に対応、素行を正したとします。
そしたら何が起こるのか。
いじめを受けていた被害者はきっと、いじめを受けることはないでしょう。
では、いじめをした加害者は?
、、この疑問に対して「それは自分の自業自得だろう」という方はたくさんいると思います。
ですが。
被害者も加害者も、どちらも子どもなのです。
たった一人の、子どもなのです。
勿論これは世代にもよると思います。
小学校でのいじめと高校生のいじめとは訳が違います。
ですが、その判断や対応をするのは私達大人の役目なのではないのでしょうか。
被害者も加害者も、悪いことははっきり伝える。
ただ、その後の加害者の気持ちも汲み取ってあげる。
片方だけの視野だけでは、その後の解決にはならないのだろうなと。
今の時代の様子を見ているとそれを痛感します。
・最後に
私はいじめを受けない期間も勿論ありましたが、高校になっても自分がまたそういう目に遭うとは思っていませんでした。
間が空いた期間も含めて13年間、いじめと向き合ってきました。
いじめがきっかけで変わってしまった部分やトラウマになっていること、無くしてしまったものはあります。
ですがそれと同時に、見えてくるものや自分の中で一つの芯みたいなものもできました。
ただ、これだけは言います。
「いじめを受けたから強くなれた」
それはお門違いです。
受けた傷は癒えることはあっても消えることはありません。
それは私がはっきり断言します。
「今我慢すれば、大人になったら自分の糧になる」
いじめを受けなくたって学業や部活、アルバイトなど自分の糧になるものは沢山あります。
いじめは我慢して耐える必要なんてないですし、ましてやそれを理由に自殺を選ぶなんてしなくていいのです。
いじめを受けている自分は弱い、とよく思いがちですが。
大丈夫です。そのいじめを誰にも言わないで耐える貴方はもう強いです。
自信を持って、誰かに伝える勇気を持ってください。
長くなってしまいましたが最後まで読んで頂いた貴方、本当にありがとうございます。
それではまた、次のnoteでお会いしましょう。