【13日目】免許合宿の記録。
13-1:中間地点
13日目。
今日はみきわめと仮免修了検定。
朝は7時起き。大変な早起き。
シャワーを浴びてタラタラしていたらいつの間にか集合5分前。
急ぎつつ受付へ。
最初の1時間は検定前最後の技能教習があって、そのあとみきわめ。
そして仮免検定という流れ。
技能試験に合格できれば筆記試験を受けてそれも合格できれば仮免修了。
8:00から1コマ目の技能。
方言強め教官。
最後の確認とか。クランクとかS字カーブとか坂道発進などを確認。
9:00からみきわめ。
反社にいてもおどろかないルックスのおじさん教官。
淡々と走る。
確認など忘れがち。
みきわめはとっぱ。
10:00から修了検定。
前の人の検定を後ろの座席で見てから自分の番。
緊張はそれなりにしたけれど、それなりにスムーズに運転できたと思われる。
クランクとか坂道発進などは普通にできたが、確認など所々忘れていたらしい。覚えていない。
とっぱ。
次は学科の筆記試験なのだけれど、少し時間挟んで学科試験かと思っていたらそのまま試験へ。
復習できず。
引っかけに警戒しすぎたら引っかけじゃないものに勝手に引っかかってしまい1つ間違えた。
友人Jは満点。納得はいかない。
そんなかんなで、仮免は無事取得。
13日かけて内容的にはこれで半分。
結果発表まで部屋で待ってろと言われ待っていたら昼ごはんを食べ損ねた。
13-2:打ち上げのオアシス
とりあえず合格発表まで終わって、14:30ごろ。
試験で疲れたし、時間もあるしということでカフェへ。
今日は真木悠介『時間の比較社会学』の残りを読む。
時間からの疎外、時間への疎外。
近代社会では時間は無限に未来へと続くものと考えられていて、大きな視点から見れば、今やっていることも時間が経てばいつかはなくなり無意味なものになってしまう。
「こんなことをやっていてもなんの意味があるのだろうか」(時間のニヒリズム)としばしば考えてしまうのは、時間が経てば全てのものは無に帰すだろうという考えからくる。
真木はこうした近代社会における時間感覚が絶対的なものではないことを非西洋文化における時間感覚との比較や過去の記述における時間の概念との比較によって指摘し、近代の時間感覚の成立を論じる。
その上で、近代的なニヒリズムからの解放を論じている。
時間が経てば無意味になるというニヒリズム的感覚は、『暇と退屈の倫理学』で論じられる論点とも多くを共有するように思えた。
実際、両者ともパスカルの『エセー』からそうした感覚を読み取って分析を始めているし、ニヒリズム的感覚への対処も似たようなところがあるように見える。
ちょっと、両者を比較しつつ考えるのも楽しそうだなと思ったり。
帰りはいつもとは別の道で帰ってみる。
一本道を入るとまた街が別の見え方がしてきて面白い。
13-3:3日連続ノームービー
帰ると夕食時間ギリギリなのですぐ夕食へ。
現実(刑務所)へ戻る。
夜は『コンビニ兄弟』を読み終える。
一つのコンビニに集まる人たちのそれぞれの短編がオムニバス形式で入っているが個人的には「偏屈じじいのやわらか玉子雑炊」と「愛と恋のアドベントカレンダークッキー」がわりとこのみ。
朝起きると1日が長い(前も同じこと書いたかも)。
割と一日中動いて疲れたのでノームービー。
次↓