2023/01/15

先日、仕事の都合と合わせて10年ぶりに祖父母と会った。空港で待ち合わせをしていると、何処か見覚えのある二人の姿が前に見えたので軽く手を振ってみたが、祖父母の方は私の事をすぐに認識出来なかったらしい。お互い相応の月日を経た結果なのであろう。久しぶりに会った彼らからは、私の記憶の中の彼らに存在していた溌溂さと肌の張りは失われ、身体も一回り以上小さくなっているように見えた。だが、彼らが私の記憶の中に存在している彼らと同一の存在である事は、私の方は感覚的にすぐ理解できた。

ここで敢えて「私の方は」と書いた事には理由がある。何故ならば、祖母は認知症を患っているからだ。年々症状が悪化しており、時には身内の名前を忘却したり、徘徊する素振りを見せる事もあるらしく、正直な所、私の事を私であると祖母が認識してくれなかった際のショックを受け止め切れる自信もなかったし、更に言えば私が彼女の前に姿を現す事が彼女の病状を悪化させる事に繋がりはしないだろうかという一抹の不安も胸に残っていたが、祖父母も高齢であり、この機会を逃すとお互い二度と顔を合わせる機会が持てない予感もしたため、今回、会う決断をした。

喫茶店のテーブル席に座り、私が東京に戻る飛行機の搭乗アナウンスが流れるまで、祖父母、そして付き添いの叔母と束の間の閑談をした。久しぶりに会ったせいで胸がいっぱいになり、正直何を話すべきかすら分からず、時間に任せてポツリポツリと言葉を発していたように思う。子供の頃、夏休みに軽トラに私を乗せ、見るも止まらぬ速さでシフトレバーを操作する祖父母の俊敏さは、時間の経過とともに、ジュースの蓋を閉める手つきの覚束なさと会話の間合いの長さに代わったようで、何だか白昼夢を見ているような感覚に陥った。祖母の方は、会話をしてみた限り、私の事を認識していたようであるが、本当の所は分からない。今を生きる私の輪郭線が、祖母の中に残っている私の輪郭線と上手く重なってくれている事を祈るぐらいしか出来なかった。

子供の頃、東京に戻る際によくやっていたように、こじんまりとした空港の手荷物検査場に入る前に後ろを振り返ると、祖父母は私に向かって手を振っていた。動きは昔のままだったが、何だかもう二度と会えない気がした。祖母の頭の中に存在している消しゴムが、もし彼女の中にある私の存在を消してしまったら、子供の頃、祖父母が私に紡いでくれた思い出を噛み締めて生きていけばいい。余計な事は考えなくていい。ただそれだけの事だと思った。他者の生が残した傷跡は、別の他者の生に傷跡を残す。傷跡に慈しみを、生に愛を。また会えますように。

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