日本のサラリーマンが終身雇用と引き換えに失っているもの
自分が自動車会社に入社したのは2007年で、リーマンショックの直前だった。入社式では新卒採用がほとんどで、95%以上が新卒だった。新卒の新入社員には長い研修期間があった。導入教育、工場研修、販売研修など合計すると5か月程度あった。
その間に配属される部署が決まるのだが、希望を3つまで書く事が出来た。希望を出す事が出来るシステムだが、それ以外の部署になる事もあるとのことだった。
希望が叶うための手段は分からなかった。でも唯一知らされたのは、研修期間中にも査定されていて、それが配属にも影響するということ。その情報は新入社員が品行方正に振る舞うための告知としては十分だった。
研修中の何が査定されているかは分からない。何が評価されているか分からないから自分が良いと思う振る舞いをする積極的に発言をしたり、販売成績を上げようと頑張ったり、色々な改善提案をしたり。見られているかもしれないと思うだけで、人は自分がいいと思う振る舞いをする。何か恐怖に似た様な感覚があった。
そして配属先が発表された。研修で頑張った成果なのかは分からないが、希望の部署に配属された。
その後、先輩からは若い頃は頑張っても給料に差は出ないと言われた。30歳を超えた頃に昇進の差が出る。それまでとにかく頑張れとのことだった。自分は頑張ったお陰か30歳で昇進が出来た。
次は幹部職への昇進の壁があった。何か疑問を感じ始めたのもこの頃だった。自分が所属する部署、その部署で自分がやる事を自分で決める日が果てしなく遠い先にあるように感じた。
それができるのは、50歳前後で部長になれる人。確率で言う100分の1くらい。そうなれる保証がないのに頑張り続けられる気はしなかった。
日本の雇用形態は欧米と比べると終身雇用が特徴的だと言われるが、それだけ見れば被雇用者にとってはメリットしか無い。それと引き換えに、自分が何の仕事をするのかを選べない負の側面が取り上げられることは少ない。
そう、日本の雇用は就職ではなく就社なのだ。会社は首を切れない代わりに、会社の中での従業員の異動は基本的に自由にできる。
雇用が守られる代わりに会社の言うことには逆らえない。このことは長期的に見ると従業員の自主性を削いでいく。50歳ごろ部長になれた人だけが自主性を発揮できるのだが、その部長になれる人は自主性を殺して30年耐えれる人。そう、そんな人は自主性が無い可能性が高い。自主性がある人はその前に会社を去る。
JTCと揶揄される今日の日本の大企業。日本経済が伸びている時は、うまく回っていたシステムが上手く回らなくなって成長が止まった状態だと思う。
何をやるかをどう決めるか。個人でも会社でも社会でも、この単純な質問の中に解決のヒントがある気がする。