#85 働くの語源は側(はた)に居る人を楽にすること
宝くじが当たって、大金持ちになっても自分は働くのだろうか?自分は働くと思う。お金を使う行為というのは自分の時間を使ったり、満足感を得たり、苦痛を取り除いたりと、自分を楽にする行為だ。それだけで幸せな人生なのか?というとそうではない。楽=幸せではないからだ。
楽に富士山が登れたらそれで満足感が得られるだろうか?苦労して自分で掘ったタケノコと、スーパーで買ったタケノコは同じ味に感じるだろうか?自分の欲望を満たす幸せは上限が知れている。
幸せとは楽をすることではないとすれば、何なのか?それは幸せにしたい人がいて、その人を自分が少しでも幸せにしてあげられることだと思う。その幸せにしたいしたい人の規模が不特定多数に及べばそれを事業と呼び、一人であれば恋人と呼び、血が繋がっていれば家族と呼んでいるだけではないかと思う。
そう。社長というポジション、恋人がいる人、結婚しているというポジションで幸せになれることはない。その関係性の中で、相手を幸せにできている人が本当に幸せなのだ。
恋人がお腹がすいてそうなら何を食べたい?と聞く
妻が疲れていたらそっと洗濯物を干してあげる。
家族が悩んでいれば何かあった?と聞いてあげる。
社員が失敗したら励ましてあげる。
取引先が納期で困っていたら短縮してあげる
側(はた)にいる人を自分の出来る範囲で少しでも楽にしてあげる。そんな関係の中に働くという本質と幸せがあると思う。