#67 教育には目的、勉強には意思が必要
教育と勉強。
やることはどちらも本を読んだり、人の話を聞いたり、実習したりと似ているが、教育と勉強にはそこに向かう個人の意思に違いがあると思う。
私の会社でも新入社員が配属された。約2カ月の集合研修を受けて、その後各部に配属されるのだが、それまでに様々なケースの問題解決グループワークを実施したり、ディベートをしたり、マナー講習をしたりした後に配属となる。
私もその新入社員教育を受けたが、何かできる様になるわけではないし、配属後役立つこともあまりなかった記憶がある。ただ、その2か月の集団生活の中で、”問題を起こさない人間か?”を見極めるために実施していたのかな。。と今になって思う。
それが当たっているかは分からないが、1つ言える事は教育は実施をする側の”何かしらの意図”を持って実施される行為であるという事だ。小学校、中学校、新入社員教育など、教育という行為は実施する側に何かしらのメリットが生じる様に設計されている。※大学は少し毛色が違う。
それに対して、勉強は自分から取り組む行為だ。知りたい、できるようになりたい、お金を稼ぎたい、モテたいなど、理由は様々だが勉強は自分の欲求が根底にある。だからこそ強力に進める事ができるが、自分の欲求が枯渇するとピタッと手が止まってしまうのが欠点だ。
今、私は自動車業界から建築業界へ転身するため、CAD、建築知識などの勉強をしている。そのモチベーションは現状への危機感や逃避、お金など1つではない。ただ、これまで自分だけで続かなかった勉強とは違い、高齢で事業を継承したい方から教わっている点がある。
その人にとって私がどのように映っているかは分からないが、自分がやってきたことを後進に伝えたいという教育的なエッセンスも含んでいると思う。
意思を持った教育者と欲求を持って勉強する人が合致したときに協力なタッグになると思い今は邁進している。
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