【設備設計】成長した中国に来て感じること
出張で中国に4年ぶりに来て1週間過ごした。中国経済はこの20年、量、質ともに急激に成長した。物価はほぼ日本と同じくらい、スタバは700円くらいする。ただ、最近景気は悪いようだ。不動産価格はこの2~3年で3割程度下がったらしい。あたかも1990年前半、バブルがはじけた頃の日本の様な雰囲気を感じる。人々は明日が今日よりも良い生活になる事を信じ、仕事に前向きに向き合っている。
中国が経済成長した理由は2001年のWTO(自由貿易協定)の寄与も大きい。日本をはじめ、ドイツ、アメリカなど多くの国が世界の工場と呼ばれる中国に投資して、生産力が世界一となった。その生産力とレアメタルを生かして、今度は国内に様々なEVのメーカーができた。
中国のこうした意図した成長を共産党による、国策経済と呼ぶ声もあるが、日本もバブルの時は、経済産業省が国内の産業と連携して欧米に追い付け追い越せで働いていたので、同じような構図だと思う。そうして生まれた中国マネーで海外に投資してさらに成長をする姿を目指している。
そんな中国に対して、日本はバブルが終わったのが30年前。経済的な発展はほとんどなく、その経済規模を発展させるためではなく、維持するための経済活動が行われてきた面が大きい。維持するだけでよかったのは1億2000万人という国の規模があったから。人口は今でもそんなに変わらないが、平均年齢は10歳程度上がっている。
人口、若さ、規模で劣る現在の日本はどするべきか?江戸時代、政府は鎖国という政治制度を取った。今の日本も技能実習生という制度は取っているが、ビジネスで外国人を使ったり取引をするのが日本人は苦手だ。同じ民族で集団教育を受けた民族性は同一性を好み異分子を嫌う傾向がある。
そうした江戸時代の中で産業は成長というより熟成に向かった。自然環境が豊かな日本でお酢、お酒を含めた熟成の技術が発展して食文化が豊かになり、農業、工業、建築も劇的ではないが、徐々に熟成していった。
今の日本で何を頑張るべきかは分からないが、頑張らない方がよいことはわかる。IT、ソフト、自動運転などはもう勝負がついている。15年前に国策として舵を切っていれば結果は違っていたが、ビジネスに”たら、れば”はない。勝負がついた分野で追いつこうとしても疲弊するだけだ。
自分がやっている設備設計で世界に勝てる要素があるとすれば、トイレがある。こちらに来るとホテルであってもウォシュレットはあまり普及していない。あっても日本製が殆どだ。だれも注目しない”お尻の穴”に温水をかけて洗おうと思った人は世界にいたかもしれないが、それを実現させてしまう、ある意味クレイジーさが日本人にはあると思う。
外国に日本の”お菓子”をサブスクで輸出するサブスクサービスを考えたICHIGO(いちご)という会社がある。日本にいると当たりまえな商品を海外に普及させる事で年商40億円の成功を収めている。設備設計はどうしても国内志向になりがちだが、海外にいつか日本の良い設備を導入できるようになれるといいなと感じた。