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♯86 気持ちのいい仕事をしたい。

 名古屋には柳橋市場という全国でも珍しい民間の市場が名古屋駅からすぐ近くにある。東京の築地場外市場のような存在で、一般の人も普通に市場直送の新鮮な海産物が購入可能だ。

家からそれほど遠くないのもあり、土曜日の朝は毎朝その市場に買い物に行くのが日課だった。

魚屋さんだけで何十件もあり、最初のうちは色んな店を見て回るのだが、何となく行くところは決まっていった。個人での購入なので、それほど多く買えるわけでもない我が家に気持ちよく接してくれるお店に自然と足が向くようになるのだ。

何度か同じお店に通っていると、本当においしい魚を売ってくれたり、少しおまけしてくれたりした。スーパーでは少しでも安いもの、同じ値段でも大きなものを探す自分に気づき、何となく自分のケチな部分がいやになるが、市場で我が家の事情を思って提案してくれる人から買う魚は少し高くても気分よくお金を払うことができた。

市場で働く人はみな清々しかった。そこに来るお客さんが何を毎日考えて、その人の顔を浮かべながら商品を仕入れ、そしてまた来てくれる様にと愛想よく振る舞うことで、その人の性格も変えてしまう力が市場にはあると思う。

ネットの転売ヤーも市場の仲買人も基本的にビジネスの構図は変わらない。中間マージンをもらうだけだ。大手スーパーの様に大量に仕入れて、大量に売った方が利益率は低くても儲かるかもしれない。ネットの方が在庫がなくて中間マージンが少なく済んで安く提供できるかもしれない。

でもその巨大市場は誰も個人のことを考えてくれない。お金持ちがお金を増やすための大量生産、大量消費の巨大資本企業(GAFAM)がある一方で人が人のことを思い、お金がそのつなぎ役を担っている小さな資本主義が柳橋市場にはあった。

巨大資本市場で働くことは数字を追うことだ。数字の裏には一人一人のほしい気持ちとありがとうの気持ちが隠れているはずだが、マクロ経済の中ではそれは見えない。結果働く側も結果のみを求められ、働くことが楽しく無くなる。

顔が見える商売といえば単純だが、本当はどんな市場も誰かの思いのために価値を提供するために活動が行われている。柳橋市場で働く人の様に、実際にそれを感じながら仕事をすると、あんな気持ちがいい、清々しい笑顔で働いている事実がある。自分も心がある市場で働きたいと思った。



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