ノグ・アルド戦記⑤【#ファンタジー小説部門】
第4章「己が使命」
通常、敵国の王子がやってくるというのは、なにか謀略があるように見えるもの。ニアーグはエルドとは直接的な敵対関係ではないものの、ユベルを手助けすると宣言した以上、エルド王子の来訪を歓迎するわけにいかない。エメラの美しい顔は一瞬眉間のしわが濃くなったが、すぐに余裕の表情を取り戻した。
「わかったわ。お通しして」
「なりませぬぞ、姉上!」
ルドが吠えた。神経質な王弟にはほとんど慣れっこになっていたアイオルたちだったが、このときばかりはあまりの剣幕に飛び上がった。
「よりによってエルドの王子とな! きっと我々の行動を探ろうとしているに違いない! 直ちに捕らえ、人質に……」
「なりません」
エメラは諫言を却下した。
「なにか事情があるかもしれないでしょう。それに、我々はユベルを支援することにはなりましたが、エルドと敵対したいわけではありません。捕縛なんてすれば、ニアーグに正義はなくなってしまいますよ……さあ、お通しして」
ニアーグ王族の姉弟喧嘩におろおろしていた呼び出しの兵士は、女王の命にホッとしながら客人を迎えに行った。
数分後、兵士に連れられてやってきたのは、アイオルと同じくらいの年齢の青年だった。くせっ気のない柿色の髪を、肩の少し上まで下ろしている。柔和な表情は、優しそうにも軟弱そうにも見える。兄のイグニは粗雑で乱暴な性格と聞いていたが、弟の方は逆に聡明で知的な印象だ。顔色があまり良くないのは、旅の疲れだろうか。長旅でくたびれたように見えるが、身につけているものはどれも一級品である。旅行用のローブは、裏地が上品な黒色でリバーシブルになっている。目利きの商人にとっては、喉から手が出るほど上質で高級な生地だ。
「突然の……そして夜分遅くの来訪をお許しください」
疲れ気味の青年は、ゼイゼイ言いながら挨拶した。
「構いませんわ。その様子だと、火急の用なのでしょう。話してくださるかしら」
「ありがとうございます」
仰々しく頭を下げるエリフ王子を、ルドだけでなくヴェントスまでもが不快そうに見ていた。
「現在、我が国エルドがユベル聖王国に攻め入っていることをご存じでしょうか」
「ええ、知っているわ」
エメラがそう言うと、突然エリフは膝を折り、手を地につけ、頭を下げた。
「たいへん! もうしわけ! ございません!」
土下座しながら叫ぶエリフに、その場の全員が度肝を抜かれた。エメラは目を大きく見開いただけだったが、他の人間は後ろにのけぞった。土下座の王子は、脇目も振らず叫んでいる。
「私は! 反対したのですが! 父や! 兄が! 強引に!」
叫ぶたびに声が大きくなっていくので、エメラは「わかったから! 御手を上げて!」と叫び返した。動揺のあまり口調がフォーマルからカジュアルになっていることに、アイオルは気づいた。
「あなたのせいではないことはわかったから。落ち着いて要件を話して。ね?」
エメラの口調は、まるで赤子をあやすようだった。
「はい……申し訳ありませんでした……」
「いいのよ。それで、要件はなにかしら?」
「単刀直入に申し上げます。侵攻をやめるよう、エルド王を説得していただきたいのです!」
「ふざけるな!」
ルドと、意外にもヴェントスが、同時に叫んだ。ルドはヴェントスに怯んだが、ヴェントスは激昂して続けた。
「貴様の国が勝手に始めたことだろう! なぜその尻ぬぐいをニアーグに頼むのだ!」
「もっともなお言葉です」
エリフはしゅんとして理由を話した。
「母上が亡くなってから、父も兄も変わってしまわれた。いつもユベルを目の敵にして、隙あらば攻め込む算段を立てていた。私は、それを知りながらなにもできなかった……私がもっとしっかりしていれば、こんな戦争なんか起きなかったのに……!」
涙をこらえながら語るエリフに、アイオルは同情していた。そうだ、この人も大洪水の被害者なんだ。それも母親を亡くしている。自分は記憶がない分それほどショックではないが、エリフ王子には記憶がある。最愛の母親と突然死別した、忌々しい記憶が。
「馬鹿げていることは承知しています! 図々しい願いというのも承知しています! ですが、私は父と兄を止めたい……どんな手を使っても!」
エリフが懐からなにかを差し出した。豪奢なつくりの剣だ。
「我がエルド王国に伝わる【竜の神器】、【焔の牙】を持って参りました!」
エリフの手の中で、深紅に輝く一振りの剣が、威風堂々とその存在感を見せつけていた。【焔の牙】のあまりの美しさに、その場にいた全員が息を呑んだ。
「私を……どうか私を! お助けください! どうか!」
「わかった! わかったから!」
だんだんまた声のボリュームが大きくなってきたので、エメラは優しく、しかし声を張り上げながら答えた。
「あなたも心を痛めていたのね。それなら、一緒にエルドへ行きましょう。そして、ガルネ様とイグニ王子を説得しましょう」
「あ……ありがとうございます!!」
女王の寛大な心に、エリフは今日一の叫び声をあげた。
「よろしいのですか?」
グランド商会の三人をチラ見しながら、ルドが女王に聞いた。この三人が「ユベル聖王国ラピス王子とその側近」であることを、エリフは知らないはずだ。ルドは三人の(主にヴェントスの)顔色を窺っている様子だった。
「私が思うのはね、ルド」
エメラは自分自身をなだめるように話し出した。
「戦争というものは、必ずしも国民の総意ではない。権力者の、それも限られたごく一部の人間によって決められてしまうことだってあると思うの。エリフ王子の言葉をすべて信じるわけではないけれど、戦争を止めたい気持ちは私たちも同じでしょ? だったら、一緒にその方法を考えましょうよ。それに、【竜の神器】まで持ち出すなんて、相当の覚悟がないとできないんじゃないかしら」
エメラの心からの気持ちだった。アイオルもまた、エメラと同じ気持ちでいた。それを理解したのか、ヴェントスは黙ってうなずいた。
「さあさあ、今日はもう遅いから寝ましょうか。また明日の朝にこれからのことを話しましょう。皆泊まっていくといいわ。もちろんエリフ王子もね。アネモス!」
常に女王のそばを護衛している親衛隊の女騎士は、名前を呼ばれて跪いた。
「はっ」
「この人たちを部屋に案内してちょうだい」
「かしこまりました」
アネモスは4人の客人を連れて、来客用の部屋へ向かった。
◇
翌朝、再び謁見の間に一同が集まった。今後の方針を決めるための会議が開かれたのだ。
まず、ユベルの再建を図ることを目的に、ラピス王子、つまりアイオルを筆頭とする「ユベル解放軍」を結成した。ニアーグ王国は全面協力の姿勢を見せてはいるが、エメラ女王が「あくまでもユベル聖王国が主体でなければ意味がない」と発言したためだ。
エリフは、複雑な立場にもかかわらず、解放軍への参加を快諾した。エルド軍との戦いは避けられないかもしれないが、それも覚悟の上だそうだ。
そして、ラズリ王子の捜索についても、女王から言及があった。
「ラズリ王子の捜索については、すでにウォレー王国の方で動いています。また、ユベルに軍事支援する旨についても、ザポット様から言付かっています。エルド王国や反乱軍と戦うために、ウォレー軍と合流しましょう」
ラズリ王子のことは気がかりだが、人の出入りが多いウォレーは情報が入りやすい。それに、ウォレー王国に仕える密偵は粒揃いだともっぱらの評判だ。自分がすべきは、ウォレー軍との合流、ユベルの平定、そしてエルドとの和解。アイオルは双子の兄の身を案じながらも、目の前の責務に専念することにした。
方針が決まったところで、ニアーグ軍を一部借りて出発しようとしたアイオルだったが、エメラから予想もしない言葉が出てきた。
「あ、待って。私も行くから」
昨日も庶民の服装だったので違和感がなかったが、よく見ると旅の装いをしている。女王の発言にアイオルもヴェントスも驚いたが、一番驚いたのはやはりルドだった。
「あ、姉上!? 女王が城を空けるなど狂気の沙汰ではないか!」
「あら、悪かったわね狂気で」
少女のように拗ねる姉王に、王弟は食い下がる。
「ならぬ! 絶対にならぬ!」
「いいじゃない、アネモスも一緒なんだし。それに、ルドが留守を預かってくれるんでしょ?」
「そういう問題ではないだろう!」
「じゃあ、私の代わりにアイオルたちと行ってくれるのかしら? アイオルが解放軍の大将だから、アイオルの命令は絶対なのよ? それでもいいなら私は残るけど」
「ぐ……」
ルドは明らかにギクリとして、右へ振り返った。その視線の先のアイオルは、自分が格上だと言わんばかりにふんぞり返っている。エメラの提案に、ルドは折れた。
「……わしが……残る」
「決まりね!」
パンッと手を叩き飛び跳ねるエメラ。喜ぶアイオル。そのすぐ横で歯噛みする王弟。ルドは、そばにいた兵士に八つ当たりするように、「わし、あいつ嫌い!」と静かに爆発した。
いざ出発というタイミングで、エメラがアイオルを呼び止めた。
「アイオル、これを」
そう言ってアネモスに促すと、アネモスは【颶風の鱗】をアイオルに差し出した。
「ニアーグの【竜の神器】、【颶風の鱗】をあなたに託します。いいえ、これはあなたが持つべきです。この先は熾烈な戦いが続くでしょう。ユベル解放軍の長であるあなたが所持すべきです」
アイオルの遠慮を先回りして、エメラが一息で言い切った。それでも、と口を開きかけたアイオルを、アネモスが制止した。
「どうか女王の心情をお察しください。ユベル聖王国の問題とはいえ、まだお若い、それに記憶のない貴殿が矢面に立つことに、女王は心を痛めているのです。【颶風の鱗】はせめてもの心配りと思って、どうかお受け取りください」
丁重なアネモスの態度にアイオルは折れ、仰々しく差し出された【颶風の鱗】を受け取った。見た目は豪奢で大ぶりだが羽毛のように軽く、それでいて厳かな重みを感じる神々しさがある。エメラルドグリーンの盾は、アイオルの腕輪に反応するように淡い光を灯していた。
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