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ノグ・アルド戦記⑧【#ファンタジー小説部門】

第7章「もう一人の王子」

 隠密部隊【影の衆】の頭領・キーロに連れられ、解放軍一行は国境近くの砦にやってきた。入口には、2人の男が無造作に座り込んでいる。男たちは、キーロを見つけるや否や立ち上がり、「頭領、お疲れ様です!」「こちら異常ありません!」と敬礼をした。傍から見るとただの浮浪者なのだが、身分を隠すためにあえてこのような身なりをしているのだろう。さすがは隠密部隊だ。キーロは男たちに「ごくろーさん」と声をかけながら、砦の中へ入っていく。砦の中に入ることを許されたのは、キーロ以外に国境で戦った四人だけだった。ほかの者は、砦の周りで野営の準備をすることになった。


 砦の中は煤だらけで、砦というよりも廃墟だった。長い間使われていないらしく、随所に蜘蛛の巣が張られている。地下へ続く階段を降りると、埃だらけの牢屋のような場所に着いた。

 部屋の奥に、人影がある。その姿を見たとき、四人はハッとした。瑠璃色の髪と目をした齢18ほどの青年が、壁に背をもたれて座っている。煤だらけではあるが高貴な服装、酸いも甘いも噛み分けたような大人びた目つき。この2つを除けば、アイオルそっくりだ。

「ユベル解放軍を連れてきたっすよ、ラズリ王子」

 ラズリの目は、アイオルだけをただ見据えている。そして、おもむろに立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。目線は、しっかりとアイオルに注がれたまま。

 アイオルは混乱した。双子であることは知らされていたとはいえ、自分とまったく同じ姿の人間を目の前にすると頭が真っ白になる。二人が向かい合って並んでいると、まるで鏡に映しているかのようだ。

「えっとー……君が、ラズリ王子?」

「……記憶がないんだな」

 ラズリは無表情だ。アイオルの記憶がないことにショックを受けているのかどうかがわからない。どちらかというと、苛立っているように見える。

「それもそうか。記憶があれば、私に面を見せることなどできやしないだろう。10年もの間、聖王や私の苦悩も知らず、ぬくぬくと生きてきたのだろうからな」

 アイオルは言葉が出なかった。生き別れとなった双子の兄との再会、それも10年ぶりの再会だというのに、まさかこんな痛烈な言葉を浴びせられるとは。記憶がないのは確かだが、それを責められる筋合いはないはずなのに。

「ラズリ様。まずはご無事でなによりです。しかし、お言葉ですが、アイオ……ラピス様に対しそのような言い方はなさいませんよう……」

 ヴェントスが割って入ったが、ラズリは手を緩めない。

「ヴェントス。久しく顔を見せぬうちに、お前も出世したようだな。この私に諫言するとは。ウォレーで過ごしているうちに、剣の腕だけでなく忠誠心も錆びついたか?」

「いえ、滅相もありません。出過ぎた真似をしました。申し訳ございません」

「フン、まぁいい」

 アイオルは、自分と瓜二つのこの青年のことが好きになれなかった。双子の弟にだけならともかく、忠義に厚いヴェントスを侮辱するような奴を兄とは認めたくなかった。

 アイオルが両の拳を強く握りしめているのを知ってか知らずか、ラズリは不遜な態度で続けた。

「そちらはニアーグのエメラ女王か。キーロからの情報で、此度のユベル解放軍の結成には、ニアーグの全面的な助力があったと聞く。ユベル聖王国を代表して感謝しよう。ユベル解放軍は、これより私が指揮する。ユベルの政に一切関与してこなかった不肖の弟には、これ以上任せてはおけぬ」

 ラズリの突然の言葉に、それまで黙って聞いていたキーロが耐えかねて口を挟んだ。

「ちょい待ち! ラズリ王子、さすがにそれは横暴っす。ラピス王子、それにヴェントスやソルムは、あんたを助けるために必死で駆け回ってきたんすよ? 感謝されこそすれ、罵倒される筋合いはないっす! それになんすか、『ユベル解放軍は、これより私が指揮する』って! 冗談じゃないっすよ!」

 途中でラズリの口調を真似したのはあまり似ていなかったが、キーロはキーロでアイオルたちの苦労を知っている。ユベル国政の実質的な権力者とはいえ、彼らを蔑ろにするラズリを許せるはずはなかった。

 それに、ラズリを助けたのはほかならぬキーロたちだ。ザポット王が寄越した【影の衆】の活躍で難を逃れたはずなのに、ラズリのこの横柄な態度はどういう心情なのか。

「お前に決定権はないぞ、キーロ。ウォレーの助力にもまた感謝しているが、これは私の、ユベル聖王国の問題だ。口出しをするな」

 我慢の限界が来た。アイオルは、今まで誰にも見せたことのないくらい激怒し、ラズリの左頬に鉄拳を浴びせた。殴られた衝撃で、ラズリは部屋の奥に吹っ飛んだ。髪は乱れ、口角は切れて流血している。倒れたラズリの胸ぐらを掴み、アイオルは怒りに任せて叫んだ。

「ふざけんなよ! ヴェントスがどれだけ苦労してきたか……キーロがどれだけがんばってくれたか……お前にはわかんねぇのかよ! 誰かに助けてもらえなきゃなにもできないくせに、威張り散らしてんなよ!」

 エメラは「キャア!」と悲鳴を上げ、両手で口を覆った。ヴェントスがアイオルを取り押さえ、キーロがラズリを支える。ヴェントスに羽交い締めにされたまま、アイオルがさらに怒鳴った。

「俺だって! 俺だってぬくぬくと生きてきたわけじゃない! 目覚めたら知らない場所にいて、周りには知らない人しかいない。自分のことさえわからない。それがどんなにつらくて寂しいことか、お前はわかんのか!? そして10年経ったら経ったで、『実は王子様でした』って言われて、エルドに追われて、いつの間にか解放軍のリーダーに祭り上げられて……俺がどれだけ大変な思いをしてきたか、お前はわかんのか!?」

 声を枯らして叫ぶアイオル。その瑠璃色の目には涙が浮かんでいた。誰にも言わず、心の奥底に押し込んでいた本当の気持ち。それがアイオルから火山のように噴き出したようだった。エメラもキーロも、アイオルにもらい泣きしていた。

 アイオルの激しい息遣い以外は、なんの音もしない。しばしの沈黙の後、口を開いたのはエメラだった。

「私は、ラピス王子だからここまで来ました」

 涙声ではあったが、女王モードの威風堂々とした口調だった。

「確かに彼は、長い間ユベルから離れていたかもしれません。その間、ラズリ王子が聖王様を支えてきたこともわかっています。でも、この解放軍のリーダーはラピス王子です。ラピス王子にとっては苦痛でしょう。それでも、ユベルの内乱を鎮めることが解放軍の務めである以上、ユベル王家の者が担わなくてはなりません。でも、ラズリ王子。それはあなたには務まりませんわ」

「私に務まらない、だと?」

「ええ。どうしてだと思いますか?」

「……」

「あなたにもわかっているのでしょう、ラズリ王子。ラピス王子は、人を惹きつけるなにかを持っています。そしてそれは……残念ながら、あなたには欠けている素質です」

 エメラは一瞬躊躇ったが、はっきりと言った。図星だったのか、ラズリは目を伏せて黙っている。

「厳しいことを言いますが、今のあなたはなにも持っていません。仮にユベル解放軍の実権を手にしたとしても、あなたがユベルを奪還することは難しいでしょう。でも、ラピス王子なら、いえ、アイオルならそれができる。私はそう信じています」

 エメラはアイオルに微笑みかけた。涙の筋が2つ、それぞれの頬を伝う姿は、まるで女神のように美しかった。アイオルはようやく頭が冷えたようだ。

「……思いっきり殴って悪かったよ」

「……気にするな」

 弟が差し出した右手を、兄が右手で握る。仲直りの握手とまではいかないが、少なくともこの場は収束した。

「さあさあ、今日はもう遅いから飯食って寝るっすよ!」

 キーロが朗らかに言った。



 地上に戻ると、砦の周辺は野営の準備が完了していた。時刻はまだそこまで遅くはないが、国境での戦いや地下牢での一件があり、主要メンバーの疲労はピークだ。なので、各自で簡単に食事を摂った後は、全員早々と寝ることにした。

「んじゃ、寝ますかね。今日は疲れたと思うから、ゆっくり休むんすよ?」

「うん、わかった」

「ラズリ王子のことは、気にしなくていいと思うっす。あんたに殴られて、良い薬になったんじゃないっすか?」

 ラズリは、一人地下牢で休んでいる。あの傲慢さは許し難いが、裏を返せば孤独だったのかもしれない。親である聖王に甘えることもできず、年の近い友人もいない。双子の弟は10年もの間離ればなれだった上、記憶を失っていた。そう考えると、ラズリのことが不憫に思えてきた。

「まぁ、あの人も大変だったとは思うんすけど、それにしてもさっきの態度は自分も腹が立ったっす! だから、あんたが殴ってくれてスッキリしたっす! あー、これで今日はぐっすり眠れそうっすよ!」

「それは結構なんだけどさ」

 エメラと同じ方向に行こうとするキーロを、思わず引き留めた。

「どしたっすか、ソルム?」

「お前はなんで女王と一緒に行くんだよ」

「なんでって……」

 きょとんとするキーロの横で、マヤがぶっきらぼうに答えた。

「勘違いするのも無理はないけれど、キーロは女よ」

 唖然とする男性陣を尻目に、女頭領は「そーゆーことっす」と手を振りながら去って行った。



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