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ノグ・アルド戦記④【#ファンタジー小説部門】

第3章「ニアーグの女王」

 ニアーグ王国は、肥沃な大地に恵まれた農業大国である。疾風の騎士・ニアーグが興したこの国は、他国では採れないほど高品質の野菜や乳製品が豊富で、ウォレー商人の間でも「ニアーグ産を仕入れる者は一流」とまで言われている。ノグ・アルドの北部にあり、厳冬期は豪雪に見舞われるほど過酷な地域だが、夏場は涼しく過ごしやすい。エルドの山道を通った後ということもあり、道中は長閑な田園風景に心が癒された。

 まずやるべきはニアーグ王族との接触だが、三人とも面識もなければ伝手もない。一般知識として、今のニアーグを治めているのは女王ということだけは知っている。ヴェントスはニアーグの出身ではあるものの、物心つく前にユベルへ越してきたため、この地にはあまり馴染みがないとのことだった。そのため、情報収集も兼ねて市場へ仕入れに行くことにした。エルド兵から逃げるときに荷物をすべて落としてしまい、馬車のワゴンは空っぽだったが、ニアーグ王都の市場ならさまざまな商品をたくさん仕入れることができる。活気にあふれているところなので、王国に仕える騎士などに出会うこともあるかもしれない。

 アイオルはニアーグ王国も初めてだった。他の二人が王都の市場で仕入れをしている間、(本来ならアイオルも仕事をすべきなのだが、)アイオルは市場の通りをぼんやり眺めていた。「もしかしたらエルドの手先がいるかもしれない」とヴェントスが言ってきかなかったので、アイオルはいつぞやの旅人のようにフードを目深にかぶっていた。

 アイオルの目の前を、たくさんの人が行き交っている。大きな荷物を抱えたおじさん、笑いながら走り回る子供たち、杖をついたおばあさん、皆この日常が当たり前と思って過ごしているのだろう。

 しかし、国の外では戦争が起きている。ユベル王都は陥落していないだろうか。兄のラズリ王子は無事だろうか。そんなことばかりがアイオルの頭の中を堂々巡る。この辺りにはなんの知らせも届いていないようだ。情報はまだ行き渡っていないのだろうか。

 考えているうちに、アイオルはだんだん腹が立ってきた。ユベルが今大変な目に遭っているのに、この人たちはどうして楽しそうなのだろう。自分がこれほど悲惨な運命にあるのに、どうして幸せそうにしているのだろう。怒りの矛先がわからず、アイオルは「ああー!」と頭を掻きむしった。

「うわっ、びっくりした~」

 突然声が聞こえて、アイオルも驚いた。顔を上げると、荷袋を抱えた一人の女性の姿が映った。なんというか、とても美しい人だ。ただでさえぱっちりとした目をさらに見開いて立っている。鼻筋は高く、色白な肌はシルクのようだ。ビロードのような長い髪を一本の三つ編みにしている。髪は艶めいていて、キューティクルがキラキラ輝いている。とても丹念に手入れがされているのだろう。庶民のコットを着てはいるが、そこはかとなく上品な佇まいをしている。

「急に声を上げたからびっくりしちゃった」

「す、すみません」

「まぁ、いいわ。ところであなた、すごく切羽詰まった顔だけど、なにか悩みでもあるの?」

「えー……あ、はい。まぁ」

 アイオルは曖昧に答えた。どんなに美しい女性とはいえ、見ず知らずの人間に自分の素性を明かすのは愚かなことだとわかっている。ましてや自分は行方不明とされているユベルの王子だ。無関係な彼女を巻き込むことはしたくない。

 女性は訝しげにアイオルを見続けている。女性に耐性のないアイオルは照れ臭くなってきた。

 そのとき、空から大きな影がこちらに飛んできた。アイオルは全身筋肉痛だったにもかかわらず、反射的に体が動いた。

「あぶない!!」

 咄嗟の判断が功を奏した。大きな鳶が、女性の荷袋を狙って急降下してきたのだ。間一髪のところをアイオルが助けたことになる。鳶は一瞥もくれずどこかへ飛び去って行った。荷袋は少し潰れてしまったが、中身は無事のようだ。

「けが、してないですか」

「ええ、大丈夫。ありがとう。助かったわ」

 女性に微笑みかけられて、アイオルは頬が赤くなった。フードをかぶっていても、この女性の大きな瞳には見透かされそうだとアイオルは思った。赤面するアイオルに助け舟を出すかのように、遠くから仕入れを終えた二人がやってきた。

「じゃ、俺行きますんで」

「あ、ちょっと……」

 夕日が、ウォレーの方角へ沈んでいく。



 ニアーグの特産品をワゴンいっぱいに積んだ馬車は、ひとまずニアーグ城門近くにやってきた。仕入れの成果は上々だったものの、肝心のニアーグ王族に関する情報は芳しくなかった。城の前まで来たはいいが、なすすべがなく途方に暮れる。その腹いせに、アイオルは先ほどの女性のことでいじられていた。

「俺らが働いてるときにナンパとは! 王子様はニクいねぇ~! ヒューヒュー!」

「やめないか、ソルム!」

 ヴェントスは諭しながらも、件の女性について興味深い様子だ。

「しかし、庶民にしては品のある女性だったな」

「おやぁ? 恋のライバル出現か?」

「うるさい!」

 兄貴分のおちょくりに我慢ならず、アイオルは吠えた。

「ここでなにをしている」

 突然の重低音ボイスに、三人は不意を突かれた。ちょうど城門から一人の男がやってきたところだった。男は、昨日のエルド兵よりもさらに大きく、顔の半分を覆う髭が特徴的だ。年は40代くらいだろうか。目はキリッとしていて、太眉を神経質そうにひくつかさせている。全身を覆う常磐色の鎧はピカピカで、ニアーグの風景と見事に調和している。城から出てきたところから察するに、王族か騎士のどちらかに違いない。案の定、そばにいた門番が髭面の大男に元気よく挨拶した。

「ルド王弟殿下! このような時間にどちらへ?」

「無論、姉上を探しにだ。まったく、女王が庶民の群がるところなど行ってはならぬと、日頃から口を酸っぱくして申し上げておるのに……」

 豪快そうな見かけによらず、細かいことを気にする性格らしい。見た目は結構近いけれど中身はテラと似ても似つかないな、と三人は思った。門番に愚痴をこぼしたあと、ルドは本題に戻った。

「して、お前たちは?」

「突然の訪問をお許しください。我々はユベル聖王国ラピス王子とその側近にございます。故あって行商人の姿に身をやつしております」

 ヴェントスはともかくソルムはいつから自分の側近になったんだっけ、とアイオルは思った。

「此度のエルドによる侵攻に関しまして、ラピス・ラズリの両王子は命の危機に晒されていることから、ニアーグの支援が必要不可欠なのです。つきましては、女王陛下との謁見を賜りたく存じます」

 こうした所作や口調をするとヴェントスはやはり騎士だったのか、と後ろの二人は思いながら、見様見真似で膝を折った。
 しかし、王弟は歯牙にもかけない。

「ユベルのラピス王子だと? 確か大洪水で亡くなったのではなかったか?」

「故あって亡くなったことにしていましたが、本当はご存命だったのです」

「そんな話が信じられるものか!」

「ですが事実なのです! どうかお助けを……!」

「フン! そうやって嘘をつく物乞いをわしは幾度となく見てきた! もうこりごりだ! どけ!」

 ルドは、まるで弱った野犬を相手にしているかのようにヴェントスを侮蔑し、すれ違いざまにヴェントスの左肩を蹴った。その瞬間、アイオルは怒り心頭に発した。

「おい、お前! なんで蹴るんだよ!」

「『お前』? その態度はなんだ! 一体誰に向かって……」

 ヴェントスは主君を諫めようとしたが、遅かった。

「お前だよ! お・ま・え! 王弟だかなんだか知らねーけどな、ヴェントスがこんなに一生懸命お願いしてるのに足蹴にするなんて、人として最低だろ! このひげオヤジ!」

 「ひげオヤジ」の顔は一瞬で真っ赤になり、神経質そうな目は血走っていた。激昂のあまり言葉が出ないようで、口をパクパクさせている。周りの人間は、アイオルがルドをブチ切れさせたことにただただ狼狽えるだけだった。
 こんな修羅場の中、場違いに呑気な明るい声が届き、全員の注目を集めた。

「あらあらまあまあ、どしたの?」

 振り向くと、先ほどアイオルが出会った美しい女性が、先ほどよりも多くの荷物を抱えて立っていた。

「あ、さっきの」

「あら。また会ったわね、恩人さん。探したのよ~。お礼くらいさせてよ」

 笑顔は優しく、母性にあふれていた。女性は、男たちの様子を一目見て、事の顛末を悟った。そして、ルドにピシャリと言った。

「またしょーもない小言でも言ったんでしょう。ほんっとに人騒がせなんだから」

「それはこっちの台詞だ! 今までどちらにいらしたのだ!」

「市場よ。そしてこの人は、鳶に襲われそうになった私を助けてくれた恩人さんよ!」

「襲われそうになっただと!? だからいつも言っているだろう! 頼むから危ない真似はやめてくれないか、姉上!」

 ルドの言葉に、ラピス王子一行は目を見開き、口をあんぐりと開けた。「姉上」と確かに聞いた。ということは、この女性がニアーグ王国を治める女王なのか。いや待て。この際、女王であることはさておき、「ひげオヤジ」よりも年上なのか。どう見たって20代にしか見えないのに。

「まじかよ……すっげえ美魔女じゃん……なあアイオル?」

「『びまじょ』って、なに? ヴェントスわかる?」

「私に振るな」

「ところでお二人さん」

 女性は三人の会話を遮った。

「あなたたち恩人さんの連れね? ちょうどいいわ。助けてくれたお礼がしたかったんだけど、城で夕食でもいかがかしら」

 願ってもない申し出に三人は歓喜した。しかし、一人だけ首を決して縦に振らない者がいた。

「なにをふざけたことを! この者たちはわしに無礼を働いたのだぞ!」

「あら、それがどうかした? ところで、女王である私の恩人さんに無礼を働いたのは、どこのどなたかしら?」

「んぐぐ……」

 威風堂々たる「ひげオヤジ」も、姉王の前では形無しだった。女王に連れられて、アイオルらはニアーグ城内に足を踏み入れた。

「そういえば」

 思い出したかのように女王がつぶやいた。

「自己紹介はまだだったわね。私はニアーグ王国の女王エメラよ。まぁ、話の流れでわかると思うけど」



 ニアーグ城のご馳走に舌鼓を打った後、謁見の間にてヴェントスがこれまでのことを話した。自分たちがエルド兵に追われたこと。アイオルが実はラピス王子だということ。そして、ラズリ王子を助けるためにニアーグの力を借りたいこと。エメラは真剣な表情でヴェントスの話を聞いていた。そして、静かに口を開いた。

「話はわかりました。これが事実なら由々しきことです。ですが、恩人さんがラピス王子という確証はあるのですか?」

 普段とは打って変わって、女王の威厳に満ちた口調でエメラは問うた。

「確証……ですか」

「そうです。恩人さんがラピス王子だと証明できるものです。」

 ヴェントスはばつの悪い顔をした。アイオル自身にラピス王子としての記憶はないし、あったとしても証明にはならない。ラズリ王子と瓜二つかもしれないが、エメラ女王がラズリ王子の顔を知らなければ意味がない。ヴェントスは、証明ができないことを自覚していた。

「あ、あのさ!」

 渦中のアイオルが手を挙げた。ルドの右眉がピクッと動いたが、なにも言わなかった。

「なんでしょう?」

「俺、ユベルにいたときの記憶はないんだけどさ。ずっと手元にこれがあったんだ」

 そう言うと、アイオルは左腕を突き出した。キラキラした青い宝石が、腕輪の中で淡く光っている。色こそ違うが、エメラの瞳のように吸い込まれそうな美しさがある。

「これってさ、もしかして王子であることの証明にならないかな?」

「フン、そんな腕輪ごときで」

 ルドが嘲った。しかし、横にいるエメラの表情が変わった。

「それはもしかして……【竜の神器】?」

「りゅうの……なんだって?」

「【竜の神器】です。ルド、例の物を」

「は、はっ!」

 ルドは慌てて謁見の間を飛び出し、しばらくしてから戻ってきた。なにやら大きな盾を担いでいる。エメラルドグリーンに輝く、巨大な鱗のような盾だ。アイオルの腕輪と同じように、盾も淡く光っている。その光は、同調しているようにも見える。

「これは【颶風ぐふうの鱗】といって、ニアーグ王国に伝わる【竜の神器】です。全部で4つある【竜の神器】は、それぞれが近くにあると共鳴し、光を発すると言われています。【颶風ぐふうの鱗】に反応しているということは、どうやらその腕輪は【竜の神器】のようですね。ユベル聖王国の【竜の神器】は、【泡沫うたかたの瞳】と呼ばれる一対の宝珠。私の記憶が正しければ、聖王様は双子の王子に1つずつ託したと仰っていました」

「では、この者は本当に……」

「ええ。正真正銘、ユベル聖王国のラピス王子よ」

 この生意気なガキがユベルの王子だと!?と言わんばかりに、ルドは頭を抱えた。

「信じて……くれるのか?」

「はい。恩人さん……いえ、ラピス王子。只今をもって、ニアーグ王国はユベル聖王国の支援要請を受け入れます」

 謁見の間が、たった三人の歓喜の叫びでいっぱいになった。ルドは「やれやれ」という顔をしている。エメラは、三人を見守るように微笑んでいた。
 しかし、喜びも束の間、門番の兵士が複雑な表情で女王の下にやってきた。

「失礼します。エメラ様、客人にございます」

「どなたかしら?」

「それが……エルド王国のエリフ王子です」



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