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ノグ・アルド戦記③【#ファンタジー小説部門】

第2章「ラピス王子」

 国境を越え、ニアーグの宿にたどり着くまで、三人は口を利かなかった。アイオルはベッドに倒れ込み、ヴェントスの言葉をしばらく反芻した。まさか自分が、ユベル聖王国の王子だなんて……ラズリ王子の双子の弟だなんて……とてもじゃないが信じられない。

 でも、本当のことだった。ヴェントスがあんな突拍子もない冗談を言うとは思えないし、自分が本当にユベルの王子なら、エルド兵が追いかけてきた理由も合点がいく。ただ、受け止められていないだけだ。自分の過去を。



「アイオルがユベルの王子……?」

「そうだ」

「じゃあお前は……ユベルの騎士だったのか、ヴェントス?」

「そうだ。私はユベル聖王国でラピス王子の目付役をしていた」

 ヴェントスはにべもなく返した。

「なんで……なんでそんな大事なこと黙ってたんだよ……!」

「それがラピス王子のためだからだ」

 呆然とするアイオルの目を見据えながら、ヴェントスは語り出した。

「10年前の嵐の日、ラピス王子は川に落ちて大洪水に巻き込まれてしまった。私は助けようとして飛び込んだのだが、水流があまりにも強く、一緒に流されてしまったのだ」

「そしてウォレーまで流され、グランド商会の近くで陸に上がった……ってか?」

「そうだ」

 アイオルは黙ったまま、ヴェントスが話すのをじっと聞いていた。

「私は必死だった。なんとか陸に上がったものの、王子は意識を失い、私自身もかなり憔悴していた。王子を抱えて避難できる場所を探したが、夜中だったからほとんどの家に明かりは点いていなかった。それでも、せめて王子だけは、ラピス王子だけは助かってほしい。私はその一心で、真っ暗な街の中を駆け回った」

 つらい思い出だったのだろう。ヴェントスの声がだんだんと震えていくのに、二人とも気づいた。

「もうダメかと思ったとき、大きな屋敷の窓に明かりが見えた。私は藁にも縋る思いで、屋敷の扉を叩いた。殴ったと言った方が正しいかもしれない。扉に鍵はかかっていなかった。私は扉を開き、残りの力を振り絞って叫んだ。自分はどうなってもいい。ただ王子だけは助けてくれ、と……」

 10年前の記憶がまざまざと思い出される。叫ぶ騎士、項垂れている子供、慌ただしく駆け回るテラとグランド家の者たち。しかしアイオルだけは、初めて聞かされる話に困惑している様子だった。

「夜中に怒鳴り込んできたどこの誰かも知らない我々を、テラ様はなにも言わず助けてくれた。それだけではない。ラピス王子は孤児院で暮らすことになり、私には仕事を与えてくれた。神は本当にいるんだなと思ったよ」

 ヴェントスの顔に少しだけ光が灯った。しかし、すぐに翳りを取り戻した。

「ただ、ラピス王子は記憶を失ってしまわれた。私はかなりショックだった。なにしろ、生まれてから8年もの間いつもおそばにいた私のことを、覚えておられなかったのだからな」

 アイオルは申し訳なさそうな顔をしながら、ただヴェントスの話に聞き入ることしかできなかった。

「そこでテラ様とともにザポット王の下へ行き、今後の身の振り方を相談したのだ。ザポット王は、我々が素性を隠し、ウォレーに留まることをお許しくださった」

「ちょっと待ってくれ。どうしてすぐにユベルへ戻らなかったんだ? 王子やお前が失踪したなんて、一大事じゃないか」

「アクア王妃だ」

 アクア王妃は、エルド王国の王妃だ。確かその大洪水に巻き込まれて亡くなったはずだが、それが関係しているのだろうか。

「ラピス王子と一緒に、アクア王妃も流されてしまったのだ。おそらく、王妃もラピス王子を助けようとしたのだろう」

「それがなんだってユベルに戻らない理由に……」

「アクア王妃は、亡くなられたのだ」

 三人の空気に緊迫感が流れた。ヒッと息を呑む音だけが、静寂の中をすり抜けていった。

「折しもザポット王を訪問した際、アクア王妃の訃報が届いたのだ。王妃が亡くなられたことにより、エルド王国は激怒した。エルドにしてみれば、自国の王妃が他国の王子のせいで死んだようなものだからな。ユベルとエルドとの関係が険悪なのはそのためだ」

 時折アイオルの表情を伺いながら、ヴェントスは話を続けた。

「ザポット王は、アクア王妃の訃報を受け、ラピス王子を匿うことにした。このままユベル本国に戻れば、ラピス王子は命を狙われる可能性が高いとのことだった。だからアイオルの正体は、ウォレー王家とテラ様と私しか知らない」

「ユベルの聖王や王妃も知らないのかよ?」

「王妃はすでに亡くなられている。それでも聖王様には知らせたかったさ。できることならな」

 ヴェントスは歯噛みした。

「当時からエルドは大陸の全支配を考えていた。常に他国の動向に目を光らせていたのだ。下手に伝令を出そうものなら、ラピス王子の存命がエルドに知れてしまう。その危険性を考えると、ユベル王家に知らせることはどうしてもできなかった」

「でも連中は今日、俺を狙ってきた」

 アイオルが重い口を開いた。突然のことにヴェントスは面食らったようだが、その理由を答えた。

「それはきっと、ラズリ王子だと思ったのでしょう。ラズリ王子とは双子で、お姿は瓜二つですから。それにあの旅人の話が正しければ、ラズリ王子はエルドに訪れていたはずですし、エルド兵が顔を覚えていても不思議ではないかと」

「待てよ。じゃあアイオルを見てラズリ王子だと勘違いしたんなら、ラズリ王子はエルドの支配下にはいないってことか?」

 三人は顔を見合わせた。

「あのゴリラみたいな兵士、『標的を見つけた』って言ってたな。じゃあラズリ王子を探してるってことじゃないか?」

「確かにそうかもしれんな」

「探そう」

 アイオルが立ち上がった。

「記憶はないし、俺がユベルの王子っていうのも実感はない。正直、今めちゃくちゃ混乱してる。けど……俺の双子の兄貴がピンチなんだろ? 探して助けよう。ヴェントスに習った剣が役に立つときが来たんだ」

 アイオルは、腰の剣を引き抜き、天に掲げた。

「俺も賛成だ、アイオ……えーっと、ラピス王子?」

「アイオルでいいよ。ヴェントスも。あ、敬語もなしね」

「ですが……」

「王子っぽくない方が見つかりにくいだろ? それに今まで通りの方がやりやすいよ。敬語使われるのって、なんかこそばゆいんだよね」

 アイオルは笑ってみせた。まだ自分の運命を飲み込めていないだろうに、その健気な姿にヴェントスは目頭が熱くなった。

「わかりま……わかった。だがラズリ王子の捜索はまだだ。我々三人だけでは力不足だからな。まずは北へ向かい、ニアーグに協力を要請する。それでいいな、ソルム、アイオル?」

 決意を新たにした三人は、へとへとの体を引きずりながら国境を越えた。



 昨日の逃亡劇、そしてヴェントスの語った真実が効いたのか、アイオルが目覚めたのは正午をとっくに過ぎてからだった。何時間も眠っていたはずなのに、体が鉛のように重い。体中が筋肉痛で、ベッドから起き上がることもままならない。やっとのことで上半身を起こすも、まるでやる気が起きない。生きるために必要なエネルギーが、全身からすべて流れ出てしまったような感覚だ。

 ラズリ王子を探し出すと決めたものの、まだ迷いはある。記憶がないことで、どうにも他人事のように感じてしまうところはある。

 しかし、どれだけ体が重かろうと、迷いがあろうと、エルドには関係ない。こうしている間にも、ユベル聖王国が、ラズリ王子が、危機に陥っているのだ。
 アイオルは、コチコチの体をなんとか起こし、二人の待つ馬車へ向かった。



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