ノグ・アルド戦記外伝⑥【#ファンタジー小説部門】
第5章「セルリアン城攻略作戦」
セルリアン公ベレンスは苛立っていた。ずんぐりとした体でベッドの縁に腰をかけ、綺麗に整えた口ひげを撫ぜながら、貧乏ゆすりをしている。
ベレンスのイライラの原因は明白だった。ユベル王弟ターコイズがクーデターを起こしたせいで、自分の財産や地位、なにより命が脅かされているからだ。昨日からの反乱軍の猛攻に、セルリアン兵は体力も士気も下がっている。なにか手を打たなければ、セルリアン城の陥落は時間の問題だった。
反乱軍に攻め込まれた日の翌朝、ベレンスは側近を2人ほど自室に呼んだ。
「お呼びでしょうか、ベレンス様」
「我々三人でこの城を離れ、隣のプルシャン領に逃げるぞ」
「え……」
側近たちは困惑している。
「すぐに支度を済ませるのだ。ほかの者には気づかれぬようにな」
「それでは、城に残された者たちはいかがなさるのですか?」
「わしが逃げるための時間稼ぎになってもらう」
「しかし……」
「貴様! このわしに諫言する気か!」
いつも以上に気が立っていたベレンスは、ベッドに拳を打ちつけ怒鳴った。
「い、いえ、滅相もございません……」
「フン、わかったらさっさと支度をしろ! くれぐれもほかの者に気づかれてはならぬぞ!」
主君の剣幕にたじろいだ側近たちは、すぐに出発の準備に取りかかった。
◇
ベレンスと二人の側近は、城の裏口を抜け外に出た。昨日は無念にも撤退したセルリアン軍だったが、反乱軍側も消耗が激しかったらしく、戦火は一旦収束していた。ほかのセルリアン兵や反乱軍の者に出くわすこともなく、プルシャン領へは無事にたどり着くはずだった。
しかし、それは誤算だった。城下町を抜ける前に、一人の男が立ちはだかった。いや、体格こそしっかりしているものの、顔つきから察するにまだ少年だ。銀色の髪が、朝日に照らされてキラキラと輝いている。
「セルリアン公ベレンスだな!」
通る声が、三人に投げられた。側近は剣を構え、主君を守るように一歩前に出た。
「なんだ小僧」
「俺はギャリー! ダナハ村から来た!」
「ダナハ? ああ、あの貧乏人の村か。ダナハの小僧がわしに用か?」
「こんな朝早くからどこへ行く気だ!」
「貴様に説明してやる義理などない。これ以上邪魔をするなら、痛い目を見てもらうぞ」
「俺の質問に答えろよ!」
「うるさいガキだ。やれ」
ベレンスが顎をしゃくると、二人の側近がギャリーに襲いかかった。
しかし、一人はあっけなく蹴飛ばされ、一人は怯んだところをギャリーに捕まってしまった。蹴飛ばされた方は、恐れをなして逃げ出していった。
「ちっ、臆病者めが」
「ベレンス! こいつの命が惜しければ、降参しろ!」
臣下を人質に取られたベレンスだったが、慌てるどころか不敵な笑みを浮かべている。
「フハハハ! それで勝ったつもりとは片腹痛いわ! その者の命など、わしにとってはどうでもよいのだ!」
「お前、人の命をなんだと思ってるんだ!」
激昂するギャリーとは裏腹に、ベレンスはますます気味の悪いニヤけ面になった。
「なんとも思っておらんよ。セルリアンの兵士たちは、わしのために戦い、わしのために死ぬのだ。当然ではないか。わしになにかあれば、下々の者どもは生活できないだろう? わしが奴らを生かしてやっているのだ。そのわしがなぜ、奴らの命を重んじなければならんのだ」
「この野郎……!」
ギャリーの腕に力がこもった。すると、捕まっている側近が、軽口を叩いた。
「おい、もうその辺で十分だ」
「えっ、あっ、わりぃ」
ギャリーは側近を解放した。その異様な光景に、さすがのベレンスも動揺した。側近が兜をはずすと、中から群青色の髪が現れた。
「ふうー、兜は息苦しくて敵わん」
「お疲れ、アズール」
「き、貴様! セルリアンの者ではないな!」
ベレンスの方に向き直り、アズールは答えた。
「ここまで気づかないとは、ギャリーたちの言った通りだな。薄情で、下々の顔と名前などまったく覚えていない、能なしの君主め」
「黙れ! ここでわしになにかあれば、城にいる兵士たちが黙っていないぞ!」
「へー、そう。それなら聞いてみよっか?」
今度はギャリーがニヤニヤしている。ギャリーは左手首に向かって話しかけ、ダイヤルを回した。
「おーい、みんな聞こえたかー?」
ギャリーの左手の伝輪から、激しい怒号が聞こえてきた。それとほぼ同時に、セルリアン城から大勢の兵士たちがこちらへ向かってくる。
「な……これはどういうことだ、小僧!」
「この伝輪は、城に潜り込んだ俺の仲間たちの伝輪につながってたんだよ。だからお前の話したことは全部、セルリアン城にいる人たちに聞かれてたってわけ!」
「小癪な真似を……!」
最後までプライドを捨てようとしなかったベレンスだったが、駆けつけたセルリアン兵たちに為す術もなく捕らえられ、とうとう観念した。
セルリアン兵に連行されるベレンスの後姿を眺めながら、アズールがつぶやいた。
「それにしても、よくこんな方法を思いついたな。コンの射った矢がセルリアン兵の動きを封じ、怯んだところをギャリーが気絶させる。手先の器用なデニが、手際よく鎧や兜の留め具をはずす。そのバンド部分を私が装備できるよう、シアンが縫い直す。それを私が着用し、側近の一人になりすます。その隙にギャリーは、ベレンスが逃げるであろう城の裏通りに先回りする。ほかの三人は、城中に聞こえるように伝輪を設置する。そして、ベレンスの本性をセルリアン兵たちに聞かせ、ベレンスだけを捕らえる。まったく、大したものだ」
「悪いのはベレンスだけなんだ。だからベレンスの信用を落とせば、スレナやほかの人たちとは戦わなくて済むと思ったんだよ。後は……やっぱりギャリー隊みんなのおかげだな!」
伝輪から「早く戻っておいでよ、ギャリー! スレナもいるよ!」とデニの声が聞こえてきた。
「よし、ベレンスは捕まったことだし、俺たちも戻ろう」
しかし、アズールの返事は予想外のものだった。
「ギャリー、私が力を貸せるのはここまでだ。コン、デニ、シアン、それにスレナだったか、皆によろしく伝えてくれ」
「アズール?」
「私に迎えが来たようだ」
ギャリーが顔を上げると、アズールと同じくらい大柄な男が、こちらへ歩いてくるのがわかった。深紅の鎧を身にまとい、鎧と同じ色の豪奢な槍を携えている。オールバックにした蘇芳色の髪は、気高い獅子を彷彿とさせる。その姿は、「威風堂々」や「毅然」という言葉がぴったりだ。
ギャリーは、その男に見覚えがなかった。しかし、そんなギャリーにさえ只者ではないと思わせるほど、男は凄まじいオーラを放っていた。
「お前の知り合い、なのか?」
「ああ。エルド王国の頂点に君臨する四人の武将【四炎】。その筆頭が【炎天】のブレンネン、彼だ」
ギャリーは再度ブレンネンを見た。その顔は、微かに笑みをたたえている。しかし、ブレンネンはギャリーに一瞥もくれず、アズールに話しかけた。
「任務の方は上々だろうな?」
まだ30代くらいに見えるが、その低音ボイスには貫禄がある。ただギャリーにはそんなことよりも、アズールとの関係性の方に興味があった。
二人は、ギャリーを無視して会話を続けた。
「セルリアン公ベレンスは捕らえた。これで、ここ一帯の制圧は完了した」
「ご苦労だった。【炎の騎士団】本隊は今、ユベル王都へ攻め込んでいるところだ。お前も合流しろ」
「ちょ、ちょっと待て! アズール! 一体なにがどうなってんだ?」
ついに我慢できなくなったギャリーが、二人の間に割って入った。
「彼は?」
ほとんど興味のない口調で、ブレンネンが尋ねた。
「地元の少年だ。セルリアンを攻略するのを手伝ってもらった」
「『手伝ってもらった』? どういうことだよ、アズール!」
「私が説明しよう、少年」
ブレンネンが初めてギャリーに話しかけた。
「その男は、我がエルド王国に仕える騎士なのだよ。そうだろう、【四炎】の一人、【蒼炎】のアズール将軍?」
アズールは無表情を貫いている。その横顔を、ギャリーは見つめることしかできなかった。
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