「仲間に入れて」と言いたい
前職を辞めて早8か月。
Webライターとして働き始めたはいいものの、なかなかどうして稼げない。
それは偏に僕の努力不足なのだが、やはりフリーランスで働くということは簡単ではないと痛感した。
「このままではいけない」と思い、何度かアルバイトの応募もしたが、面白いように不採用が続いた。
応募時のタイミングが合わずすでに募集終了となったもの、面接までこぎつけたが最終的に不採用となったもの、応募直後に新型コロナウイルスに感染して泣く泣く辞退したもの。
こんなに縁がないものかね(あ、コロナは無事治りました)。
そうこうしていく間にも、生活は続く。
生活が続くということは、お金がかかる。
つまり、働かなくてもお金は減っていく。なんと因果なことか。
貯金もほとんどないので、親に頭を下げるしかない。
70代のご老人を働かせて、30代の自分はその脛を齧り取る。
コラッタもびっくりのひっさつまえばだ。
嗚呼、どうか僕を蔑むがいい。
なにもこの現状に満足しているわけではない。
むしろ、親には本当に申し訳ないと思う。
どちらかというと自分が稼いで、親には苦労をかけた分孝行してやりたいのが本音だ。
しかし、これまでがんばって働いてきた反動か、働くことに恐怖心がある。
求人を探していても、「いや、これは自分にはできない」とか「もしまた過呼吸発作が起きたらどうしよう」とかどうしても頭を過ってしまう。
※過呼吸発作の経緯については、下記参照。
それでも、(自分でも不思議なのだが、)働きたいという欲求が確かにある。
あんなに苦しい思いをしたというのに、まだ僕は戦おうとしているのだ。
それはきっと、寂しいからなのだと思う。
だれかとつながっていたいからなのだと思う。
仮に、Webライターとしての仕事が確立し、十分に生活できるほどの稼ぎがあったとしても、どこか満ち足りない気がするのはそのせいだろう。
僕は、孤独が一番怖いのだ。
だからきっと、外に出た方がいいのだ。
「働きたい」というよりは、「社会の輪の中に入りたい」という感覚に近い。
つまり、社会に「仲間に入れて」と言いたいのだ。
このことに気づいたのは運がよかった。
Webライターを始めていなければわからなかった心境だし、トントン拍子で成功していたら気づき得なかったと思う。
『失敗は成功のもと』とは言い得て妙だ。
だからといって、Webライターをすぐに辞めるつもりはない。
ただ、少しずつでいいから、自分の望む未来へ、歩みを歩き続けることが大切なのだろう。
人生を終わらせるには、まだまだ早すぎるのだから。
気弱なコラッタが立派なラッタに成長するまで、その前歯を研ぎ澄ましておきたい。
そして、その前歯で齧るのは親の脛ではなくなることを、切に願うのである。