ノグ・アルド戦記②【#ファンタジー小説部門】
第1章「逃避行」
翌朝、鶏が鳴く前に、キャラバンは宿を後にした。今日の目的地はエルド王都。ユベルとの国境からはかなり距離がある。到着が遅くなればその分商売の時間も減るため、出発が早いに越したことはない。とはいえ、朝にめっぽう弱い三人は、もれなく寝ぐせとあくびを引き連れていた。
平地の多いウォレーや長閑な道が続くユベルとは違い、エルドは山岳地帯が多い。国土の半分近くをノグ・アルド山が占めており、山の麓に王都が築かれている。山々を背にそびえ立つエルド王城は、まさに難攻不落である。
エルド王都までの道は、急な勾配や険しいでこぼこ道が続き、走りやすいとは言えなかった。そのため、これまでの快適な数日間とは打って変わって、過酷な旅となっている。道中の景色もそれまでの若草色や黄土色ではなく、重々しい鉛色に変わっていった。
馬車の振動に揺さぶられながら、アイオルがぶつくさと不満をこぼしている。
「ひひひっどいいみみみみちだっななああああ」
「舌噛むぞ。黙っとけ」
一蹴されたアイオルは、顔をしかめながら大人しくワゴンの中に引っ込んだ。
◇
早起きの甲斐もあって、王都には昼前に到着した。城下町はいつも通り騒然としている。いや、騒然としているのは確かだが、いつもとは様子が違った。町に流れるそれは、賑わいというよりも動揺に近い。商人も客も顔を見合わせ、なにやらひそひそと話し込んでいる。中には、慌ただしそうに店仕舞いをする者もいた。その理由を知ったのは、フードを目深にかぶった若い旅人が、保存のきく食料をリュックいっぱいに買っていったときだった。
「あんたたち、ユベルから来たんすか?」
「そうだよ」
「よくここまで無事にたどり着いたねぇ」
「どういうことだ?」
「いよいよユベルに攻め込むらしいっすよ」
三人は目を見開いた。もっとも、驚愕の表情をしていたのは二人で、アイオルだけは興味津々の目だったようだが。一人は渡しかけたお釣りを落とし、一人はただでさえ青白い顔からさらに血の気が引き、そして一人は瑠璃色の目を見開いたまま少しテンションの高い声色で旅人に続きを促した。
「じゃあ【炎の騎士団】が見られるの?」
「かもね。イグニ王子は戦闘狂で有名っすからね」
エルド王国の中でも一際優れた者だけが所属することのできる精鋭部隊、それが【炎の騎士団】だ。これを率いているエルド王国第一王子のイグニは、武勇と知略に優れ、高いカリスマ性も兼ね備えたエルド騎士の憧れである。ただ、王族とは思えないほど態度が荒々しく、好戦的な性格も相まって、民衆からの支持はさほど高くないとのことだった。王国きっての精鋭部隊が出陣するとしたら、事態は相当深刻である。
「元々ユベルとは仲が悪かったらしいっすよ。なんでもエルド王国のアクア王妃が亡くなってから、ユベルに対して因縁をつけてるみたいでね。10年前の大洪水で亡くなって……そのことでエルドはずっと怒ってるんす」
旅人は淡々と話すが、聞いている側はだんだんと気が滅入ってきた。【炎の騎士団】の件では面白そうに聞いていたアイオルも、大洪水の話になってからは、少し落ち込んだ表情になっていた。
旅人は続ける。
「ユベルはユベルで内乱が起きて大変らしいし」
「内乱?」
「クーデターってやつっすよ。なんでも王弟、聖王の弟のことっすね、そいつが首謀者で……」
「そんなバカな話があるか!」
旅人の話を遮るように、突然ヴェントスがいきり立った。もはや取り乱していると言った方がいいかもしれない。めずらしい彼の姿に、隣の二人はたじろいだ。
「残念ながら、本当のことっす」
落ち着き払ったままで、旅人はまた話し出した。
「自分は数日前までユベルにいたんで間違いないっす。もうひどい有様っすよ。ユベル中の町や村がクーデター派に占拠されちゃって。王都はまだ落ちてないみたいっすけど」
ヴェントスは絶望の形相だ。口をあんぐり開けながら、光のない目で旅人を見つめることしかできない。
「それに、ユベルのラズリ王子が行方不明になってるって噂で持ち切りだったんすから」
「王子が……? ただの噂だろう」
「それがそうでもないみたいなんすよ」
少しだけ旅人の声がトーンダウンした。
「ラズリ王子はエルドと和解交渉をしようとしたらしいんす。聖王が病気がちでエルドまで行けないからって、自分が直接エルドに出向いたんすよ。ぶっちゃけ、王弟よりもラズリ王子の方が権力はあるんでね。ただ、ラズリ王子が発ってからひと月は経ってる。半月あればユベル王都からエルド王都まで行って帰ってくるのに十分なのにっすよ。絶対エルドでなんかあったに決まってるじゃないっすか」
旅人がさらに声をひそめたので、三人は円陣を組むように縮こまった。
「エルドにしてみれば絶好のタイミングっすよね。ユベルが身内でいざこざを起こしてる隙に攻め込めば、漁夫の利が得られるんすから」
ラズリ王子の失踪、ユベルの内乱、そしてエルドの侵攻。平和そのものかと思っていたノグ・アルドの地が、これから血塗られることになろうとしている。この旅人の話が真実なのかはわからないが、不思議とその言葉には信用を感じられた。
「ま、エルドはいつかユベルに攻め込むだろうって遅かれ早かれ思ってたからね。さあ、もうじきここいらは軍の拠点になるだろうから、あんたたちも早めにずらかった方がいいっすよ。んじゃ」
旅人はリュックを背負い直し、布にくるまれた長い棒のようなものを担ぐと、一瞥をくれてから町の喧騒の中に消えていった。
三人はしばらく黙り込んでいた。突然聞かされた、それも衝撃的な話を信じられる方がどうかしている。しかし、あの旅人の話術のせいか、妙に納得感があった。複雑な感情がどろどろと体内を駆け巡り、三人のいるあたりだけ時間の流れが遅く感じた。
町のがやがやは相変わらずだったが、馬車前だけは風の吹く音一つしていない。ヴェントスがハッとして、声を取り戻したように沈黙を破った。
「ここは危険だ。すぐに離れよう」
「離れるったって……ユベル方面に引き返すわけにはいかないだろ」
「北に上がってニアーグを経由すればいい」
「おいおい、えらい遠回りになるぞ」
「止むを得ん」
「簡単に言うけどよ……!」
二人が言い争っているのを傍で見ていたアイオルは、その向こう側、旅人が消えていった方向から兵士が近づいてくるのに気づいた。とても大柄で、長身のヴェントスよりも頭一つ大きい。ごつごつした筋肉の上からくすんだ赤っぽい色の鎧をまとい、腰には鋼の剣を携えている。平凡な身なりからすると【炎の騎士団】に所属しているふうではなく、巡回の一兵卒といったところか。顔つきはいかめしく、風体は鎧を着たゴリラさながらである。兵士は馬車の前で歩みを止め、口論を遮る形で尋ねてきた。
「お前たち、行商人か?」
「え? ……ああ、そうだよ。いらっしゃい。なにをお求めで?」
「いや、買い物はいい。この辺に不審な者がいなかったか?」
不審な者。先ほどの旅人も不審と言えば不審だった。いくらあちこちを旅して回っているとはいえ、機密であろう国家の内情に詳しすぎる。今になって思えば、かなり怪しかったかもしれない。旅人にしてはリュック一つでは荷物が少ない気がするし、あの布にくるまれた長い棒も謎だ。それに、フードを目深にかぶっていたのは、正体を隠すためではないだろうか。しかし、保存食を大量購入してくれた太客を売り渡しては、商人の名が廃る。商人が売るのは品物であって人ではないのだ。
考えあぐねていると、兵士が話題を変えた。
「ところで、通行許可証は持っているんだろうな」
「ああ、もちろん。なあ、アイオル?」
「ほら、これ。ちゃんとあるだろ?」
アイオルは持っていた羊皮紙を差し出し、兵士に見せた。左腕の青い宝石が淡い光を放っている。
腕輪の光を、兵士は少し訝しげに見た。そして、アイオルの顔と交互に見比べた。すると、兵士の顔は見る見るうちに赤らんできた。
「お前……まさか……」
「え?」
兵士は剣の柄を掴み、自分の腰から引き抜いた。それとほぼ同時に、ヴェントスもまた剣を引き抜き、アイオルの前に進み出た。間一髪、ヴェントスの剣が兵士の一太刀を阻む。突然の出来事にアイオルは怯んだが、周囲からの悲鳴とヴェントスの叫び声が、すぐに現実へ引き戻した。
「ソルム! アイオルを連れて逃げろ!」
二人は急いで馬車に乗り込み、仕舞いきっていない商品もいとわず駆け出した。ヴェントスは兵士を押し返し、興奮している愛馬に乗り込んで手綱を引き、馬車の後を追った。後ろから兵士の怒号が聞こえる。
「標的を見つけたぞー! 街道を北に向かって逃走中! 馬車に2人と騎士が1人だー! 捕まえろー!」
その声を聞いて、町の至るところからくすんだ赤の鎧がぞろぞろと現れた。どうやらこの兵士と同じく、ある人物を探していたらしい。しかし、それがまさか自分たちのことだとは。
十数人のエルド兵に追われながら、馬車はひたすら北へ走った。手綱を引かずとも、馬は自分の本能に従うかのように必死で駆けている。幌は剥がれ、ワゴンの中から果物やら薬草やらがこぼれ落ち、人間二人は振り落とされないようにしがみつくのがやっとだった。もはや馬車というより、暴れ馬に引きずり回されている状態である。
馬車の少し後ろを、ヴェントスを乗せた馬が走っている。追っ手の中には馬を駆る者もいたが、度々ヴェントスが立ち止まっては太刀を浴びせて追い払った。
◇
日が暮れかけた頃、ニアーグとの国境そばまで来たときに、三人はやっと逃げおおせた。2頭の馬は、もうこれ以上走れまい。もっとも、ここにいる人間ほどではないが。
「はぁっ……! はぁっ……! なん……なんだって……俺たちがっ……!」
悪態をつくこともままならないほど三人は息を切らし、そして疲れ果てていた。最初に呼吸を整えたヴェントスが、おもむろに話し出した。
「もう……潮時か……」
「おい……ヴェントス……(はぁっ……!)お前……(はぁっ……!)なにか知って……(はぁっ……!)るのか……?」
「お前たちに話さなければならないことがある」
「なんだよ……(はぁっ……! はぁっ……!)」
「アイオル」
「ん?」
ヴェントスの目は、いつもの虚ろなそれではなかった。なにかを決意したような、観念したような…………いや、違う。これは、命を捧げる覚悟を決めた騎士の眼差しだ。
膝をついて呼吸を整えているアイオルの前に立ち、そして跪き、彼の瑠璃色の目を直視しながら、ヴェントスは誓うように言った。
「お前は……いやあなたは、ラズリ王子の双子の弟君、ラピス王子なのです」
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