魔法の挨拶「ヒニャシー」
最も長続きした仕事は、9年半勤めた公務員(町役場の職員)。社会人12年目の僕にとって、この数字が大きな割合を占めているということはいうまでもない。
残念ながら、2年前に退職してしまったのだが。
↓退職のエピソード
では、次点はどうかというと、大学時代のバイトだ。1年の終わりから卒業直前までなので、3年近く働いていたことになる。
場所は、大学近くのカレー屋さん。店名を挙げるとほぼ確実に出身大学が特定されるので、ここでは「デアン」とさせていただく。まぁ、知ってる人はこの時点でお察しである。
デアンでの3年間は、確実に僕の大学生活を(カレー色に)彩っていた。
といっても、飲食店のバイトなど楽しいことばかりではない。時給は700円(当時の最低賃金)でとても割がいいとはいえないし、人気店なのでめちゃくちゃ混雑する。午後7時にもなると、AKB48の握手会かと思うくらい、狭い店内に長蛇の列ができる。大学から最も近い店舗だったので、知り合いも大勢来る。激混みのときに来られると、嬉しい1割、殺意9割といった具合だった。
僕はキッチンを担当していたが、鍋洗い、皿洗い、トッピングの用意、ルーの用意、炊飯などなど、やることは多い。それを一人でやるのだから、まぁまぁ、いやかーなーり大変。
特に大変だったのは鍋洗い。
ピーク時になると、鍋は見事なタワーを形成する。もはや世界遺産だ。「デアンの斜鍋」だ。僕はその世界遺産を躊躇なく崩しては洗い、崩しては洗うが、デアンの斜鍋は誇り高くそびえ立ったまま。なんなら2本になってる。洗えば洗うほど増えていく。質量保存の法則とは。
加えて、極辛(最高レベルの辛さ)を作ったであろう鍋がやってこようものなら、涙目でむせること必至だ。湯気ですら辛い。
さらに、熱湯でゴシゴシ洗わなければこびりついたコゲは落ちないので、お湯でアツアツ、汗はダクダク。汗だくすぎて、友人に「体臭がカレー」「カレー臭」とまで言われた。キッチン内は常にサウナ状態。サ活に興味のある方は、ぜひデアンへ。
皿洗いも大変だった。
ピカピカの銀色の皿は、あれよあれよと流し台(鍋とは別に皿洗い用のがある)へ放り込まれ、幾重にも積み上げられる。カレールーの付着した皿が流し台に飛び込む姿は、道頓堀川に飛び込むタイガースファンを彷彿させた。優勝おめでとうございます。
それを一つひとつ丁寧にかつ迅速に洗い、流し、拭き、戻す。次から次へとタイガースファンが飛び込んでくるので、ほぼ無限ループ。うかうかしてるとデアンの斜鍋も3本目の建設が始まるので、まじで忍者みたいに動いてた気がする。アルロン初監督作品映画「忍者VSデアンの斜鍋VSタイガースファン」だ。絶対売れない。
そんなデアンのバイトにヒーコラしていたわけだが、忍者修行のように厳しい3年を乗り切れたのは、偏に当時の店長のおかげだ。
店長は当時30代半ばの眼鏡をかけた男性で、ひょろっとした長身だった。最大の特徴は、肌の浅黒さが相まってめちゃくちゃ【本場の人】感があったところだ。どこの国ってわけではなく。
その風貌と調理の腕がお客様から支持されたのか、僕のいた店舗は繁盛していた。こと地元大学生の人気が高く、ある後輩はなにを血迷ったか大学祭(厳密には違う名称)に店長をゲストとして招いたこともあった。
そんな店長は、めちゃくちゃ優しくて、真面目で、ユーモアもわかる、素敵なおじさんだったので、人気になるのも頷ける。
バイトを卒業する人たちの送別会として、店仕舞いの後に焼肉屋に連れてってくれて、しかも全額ご馳走してくれたことが何度もあった。参加する高校生・大学生が毎回6人くらいはいたから、ものすごい金額だったろうに。
もちろん僕の卒業時も同じようにしてくれたし、卒業式の日には「うちで働いてくれてありがとう!社会人1年生がんばれ!」的なメールもくれた。泣いた。
こんな素敵な人がバイト先の店長で、僕は心の底から幸せだったと思う。
ただ、彼の挨拶はすこぶる特徴的だった。
お客様が来店したら「いらっしゃいませ」と言うのが一般的である。しかし、彼の「いらっしゃいませ」は「いらっしゃいませ」ではなかった。
ヒニャシー
ん?ごめんごめん、店長。僕、耳悪いから聞き取れなかったわ。もっかいお願い。
ヒニャシー
おかしい。何度聞いても「ヒニャシー」だ。
僕が思うに、
「いらっしゃいませ」
↓
「ひらっしゃいあせー」
↓
「ひらっしゃせー」
↓
「ひにゃっしえー」
↓
「ヒニャシー」
なのではなかろうか。
なんじゃそりゃ。
さらにこのヒニャシー、一種のバロメータの役割を持っていることに僕は気づいた。
空いているとき→「ひにゃしぃ~」
通常時→「ヒニャシー」
混雑時→「ヒニャシィィィーーー!!!」
ウルトラ激混み時→「ヘニャシェィィィィィーーーーーッ!!!!!」
そう、混んでいれば混んでいるほど、ヒニャシーのボリュームも比例するのだ。4.に関してはもうヒニャシーですらない。
もっと言うと、ボリュームと一緒にピッチも上がる。4.にもなるとそれはそれは高音で、もはや「消臭力~!」くらいの迫力だ。瞬間最大周波数でいけば、西川貴教に負けずとも劣らない。恐るべし、ヒニャシー。
大学・バイトを卒業した後も、僕は足繁くヒニャシーの店に通っていた。ヒニャシーの挨拶は相も変わらず「ヒニャシー」だったので、実家のような安心感があった。さらに2年くらい経って、ヒニャシーは転勤で別の店舗に行ってしまったが、そのお店でもとびきりのカレーと「ヒニャシー」を振る舞っていると想像すると、自分もがんばろうと思えた。ありがとう、ヒニャシー。
この記事を読まれて実際に会いに行きたいと思った方もいるかと思いますが、この店長さんは数年前に病気で亡くなられたと聞きました。
生「ヒニャシー」を聞くことは叶いませんが、北海道・十勝を訪問の際はぜひお立ち寄りいただければと思います。
元バイトより愛とヒニャシーを込めて。