真冬、少年はホームレスになりかけた。
想像してみてほしい。
氷点下10℃を下回る真冬の北海道で、約3時間家に入れなかったとき、あなたならどうするか。
◇
高校生の頃は、両親が共働きだった。
二人とも朝早くに出勤し、夜の7時くらいに帰ってくる。
僕は夜7時くらいまで部活動があったので、両親の不在で影響を受けることはほとんどなかった。
ただ、部活動が休みの日などは、僕も早く帰ってくる。家にだれもいないそんなときは、母が家の鍵を所定の場所に隠してくれていた。
高校2年のとある冬の日、僕はいつものように帰宅した。土曜日で部活動は昼間に行われたため、時刻は午後4時くらいだ。
家のドアを開けようとすると、鍵がかかっている。
「ああ、いつものところに鍵があるんだな」と思い、その場所へ移動する。
鍵が、ない。
あれ?
もしかしたら、母が隠す場所を間違えたのかもしれない。言い間違いの多い母のことだ、一度や二度くらいそういうミスもあるだろう。僕は、いつもの隠し場所周辺をくまなく探した。
鍵が、ない。
あれぇ?
うっかり間違えたわけではなく、確信を持って隠さなかったなこれ。ということは、家の中にはだれかがいるのだろう。
その日の全員のスケジュールを思い出す。両親は仕事。2つ上の姉も仕事。となると、当時専門学生だった3つ上の兄だ。土曜日だから、彼は休みのはず。
なーんだ、じゃあインターホン押せばいいだけの話じゃーん。在宅の兄が鍵を開けてくれるじゃーん。
ピンポーン。
…
……
………
反応が、ない。
あるぅえぇ?
待て待て待て待て。これまずくないか?
家の目の前にいながら、家に入れないぞ。
焦りのあまり、狂ったようにインターホンを押しまくる。
ピポンピポンピポピポピロンピロピロピロピロピローンピロピロピロピローン
…
……
………
反応が、ない。
あのクソアニキ!! 2階の自分の部屋で爆☆睡してるなこれ!!
いやー、まいった。このままでは寒くて寒くてサムムムムーンだ。とりあえず、近くのコンビニにでも行って時間をつぶそう。
◇
コンビニの中は、しっかり暖房が効いていた。ほんわりとレジ前からおでんの匂いもする。しかし、貧乏学生時分には、おでんを買うお金もない。
仕方あるまい。少々行儀が悪いが、立ち読みをして過ごすとするか。
立ち読みは初めての経験だった。基本的に、自分の所有物以外の物を触ったり使用したりするのには抵抗がある。こんなことで立ち読み童貞を捨てるなんて思いもしなかった僕は、とりあえずONE PIECEの東の海編をまとめた大判コミックを手に取った。
パラパラをページをめくっていると、右側の視界の端で自動ドアが開くのがわかった。上下とも赤いウィンドブレーカーを着た、女子高校生らしき客が入ってきた。なんとなくそちらを見ると、その客は知り合いだった。同級生のナガタニだ。
ナガタニは、小学校から高校まで同じ学校の友人だ。しかも同じバドミントン部だったので、ついさっきまで一緒に練習していた。なんだか気まずい。
「なにしてんのw」
ナガタニが話しかけてきた。僕は事情を話そうかと思ったが、ウブな男子高校生だったので、もじょもじょと濁した。ナガタニは、お菓子かなにか買って店を後にした。
ううむ、近所のコンビニだとこうやって知り合いに遭遇する可能性があるのか。人目を気にしがちなアルロン少年は、1時間も稼ぐことができず、開かずの家に戻っていった。
◇
ピロピロピロピロピローンピロピロピロピローンピポピポピポンピロンピローン
…
……
………
やはり反応が、ない。
まだ寝とんのかあのクソアニキ。
いやー、困った。父と母のどちらかが返ってくるまで、あと2時間以上もある。両親も姉も携帯電話にすぐ反応できる類の職種ではなかったので、助けを呼ぶことはできない。
ちなみに、兄の携帯電話の番号は知らなかったので、まったく話にならない。もっとも、インターホンに気づかないんだから、携帯電話や固定電話にかけても焼け石に水だったと思うけれど。
仕方ない。そう思った僕は、最終手段に出る。
ガチャ。
僕は、家の物置のドアを開けた。
そのまま中に入り、ドアを閉めた。
我が実家の物置には、自転車や猫車、バケツや除雪スコップなどが所狭しと詰め込まれている。
その中を物色すると、束になった新聞紙の山と、畳2枚分サイズのブルーシートを発見した。
僕は、新聞紙の束をベッドのように配置してその上に寝転がり、ブルーシートを引っ張り出して布団のように体を覆った。
うん、なんか、ホームレスみたいだなぁ。
しばらくして、物置の外から「ゴゴゴゴ」という車の音が聞こえた。ドアを開けると、父の車が停まっていた。やっと帰ってきた!
突然物置から飛び出した次男に目を丸くする父。事情を話すと、めちゃくちゃ笑われた。
救世主・父のおかげで、僕はやっと家に入ることができた。
母も、父のすぐ後に帰ってきた。父が事情を話すと、母は心底気の毒そうな顔をしていた。うん、それが正しい反応だと思うよ、親として。
そして、このタイミングで兄が登場した。寝ぼけまなこを擦りながら、ストーブの前で寝転ぶ。いや待て、ストーブの前に陣取られたら暖気が来ないじゃないか。
僕は「どけ! どくんだ、クソアニキ!」と心の中で叫んだ。
母が代弁してくれた。
「あんた、アルロンが家に入れなくてずっと凍えてたんだから、ストーブの前から離れなさいよ」と。
僕は「そうだそうだ! どきやがれ、クソアニキ!」と心の中で叫んだ。
「いや、知らんし」
一蹴。
兄にとっては、僕が家に入れなかろうが、僕が物置で凍えようが、そんなことはどうでもよかったのだ。
その後、母が必ず家の鍵を隠し場所に置いてくれるようになったのは、言うまでもない。
そして、あのとき兄に抱いた憎悪の炎は今も、あの日のストーブ以上に激しく燃え盛っている。