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冬のベルギー 春風に日本を思う(あるいはただのホームシック)

春宵一刻 直千金、春の夜は古今東西を問わず愛されてきた。

2月初頭にベルギーではキャンドルマスが、日本では立春が祝われ、どちらの国でも暦の上では春である。今日のベルギーの最高気温は17度、すでに春の陽気だ。日没後も10度を下回っていない。窓から柔らかな春風が入り込む。日中と比べれば気温は下がったものの、つき刺すような冬の乾いた空気と比べれば優しいものである。

思いがけない春の訪れに、パントリーの肥やしとなりかけていた鉄観音を入れた。桃とも蘭の花とも言える華やかな香りを持つこの中国茶は、今日のようなあたたかな夜にぴったりだ。夜のカフェインはあまりよろしくないが、今日は金曜日。多少の夜更かしは許されるだろう。

オランダ語の勉強のために購入した詩集をひらく。柴田トヨの詩集『くじけないで』のオランダ語版である。GEEF DE MOED NIET OP、くじけないで。

窓辺のお茶タイム
お茶請けは棗、ナッツ、アプリコット

これまで彼女の詩集を日本で手にとってことはなく、ベルギーの本屋でたまたま目に入り購入した。あまり内容は気にせずオランダ語を学ぶためにと思って購入したが、本を開けば日本のおばあちゃんのーー詩の一部で彼女はおばあちゃんと呼ばないでと綴っているが、便宜上この表記のままとするーー飾らない言葉で溢れていた。

日本で何気なくベンチに座ったら、隣に座っていたおばあちゃんに話しかけれたかのような気持ちになる。そんな詩集だ。


そのせいか、自分でも思いがけず若干のホームシックである。

正直、自分は心身ともに図太い人間で今までの欧州生活もそつなくやってきた。日本の家族や友人を恋しく思うことは当然あるが、言ってしまえば欧州生活での不便はその程度であった。

電車の遅延?待てばいい。
人種差別?喧嘩上等。
サービスが悪い?日本より人件費が高いだけである。

日本食が恋しくないかとよく聞かれるが、今日日アジア系スーパーに行けば自炊に必要なものの大半が購入できるし、本格的な和食が恋しければパリかロンドンに行けば楽しむことができる。(ただし日本本国との値段差は考慮しないものとする)自分にとって日本食への欲求は十分欧州内で完結していた。

そんなわけで今まで無難に海外暮らしをしていたが、それでももたまにホームシックに襲われる。

私のホームシック
= 日本の花と和菓子である

牛天神の梅まつりに行きたい。きっと2月の今が時期だろう。急なあの階段を登りながらこじんまりとした境内の梅が見たい。湯島天神の梅も見事だが、牛天神のこじんまりした感じが良いのだ。境内で振る舞われる甘酒と梅のお菓子が恋しい。

これは多分湯島天神の梅

護国寺の桜が見たい。昔夜の帰り道に見た桜吹雪は幻想的かつ妖艶で、異世界への入口のようにも見えた。ついでに郡林堂の豆大福が食べたい。

根津神社のツツジが見たい。いつだって混んでいるが、ツツジを見た後に根津のたい焼きを食べに行くのが欠かせない。小さい頃に生地の切れ端をおまけしてもらったことを今でもなぜか覚えている。

ツツジの時期が過ぎたら、後楽園へ菖蒲を見に行かなくてはならない。この時期の茶菓子といえば若鮎である。餡子と求肥がカステラ生地に包まれて、美味しくないわけがないのだ。家で冷たい緑茶と併せたら完璧である。

菖蒲の後は朝顔とほおずきの時期だ。伝通院に行っても良いし、入谷まで足を伸ばしてもいい。入谷に行くならついでに言問団子も買いたい。帰りに上野でみつ豆を買うのも良い。

お店で食べる時は豪華な方を選ぶ

これ以降は暑過ぎて必要最低限の外出しかしない。それもまた四季の楽しみ方である。

秋の花は実はあまり馴染みがない。足を伸ばせば色々な場所で色々な花が咲いているが、それはもはや日常の一部というよりは小旅行である。

強いていえば10月の神保町古本祭りで帰りに亀澤堂のどら焼きか文銭堂の最中を買うくらいだろうか。この場合、もはや花と団子ではなく本と団子である。

文銭堂のどら焼きも良い

最も大事なのは、これら上記のどの要素も欠けてはいけないことである。例えば急にベルギーに郡林堂ができて、全く同じ豆大福が売られたとしても、この恋しさは埋められない。どの要素も欠けてはならないのだ。

柴田トヨの詩集から、随分遠くまで連想ゲームが続いたものである。ただ、彼女の綴る詩を読んで日本のことを考えた時、私が恋しく思う日本はこの日本であった。

さて、とどのつまり本日の結論はこうだ。
私にとって日本で恋しいものは、家族、友人、そして何より花と団子である、と。

案外、走馬灯として流れるのはこうした景色かもしれない。

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