掌編「エルゴォの不思議なマッチ。」
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星語《ホシガタ》掌編集*15葉目
(4500字/読み切り)
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「マッチだよ。マッチはいかが?」
月夜にシャンシャンと結晶降り積む、白く染まった”銀の町”。慌ただしい年末、今日はクリスマス。どこか遠く、コーディのブンチャカ言う音色に合わせ、不器用な縦笛の夜想曲が響く、がたがたの煉瓦道。
シルクハットの隅の埃を払い、袖も裾も引きずるほど長い煤けた外套には、たくさんの継ぎがあたっていた。マッチ売りの青年……そう、まだギリギリ青年だ。
──俺はカエル。
「カエル印の、マッチだよ」
通りすがりのジジィが
「こんな時期にカルゥーダ《蛙族》がまだ働いてんのかい…」可哀想に…と俺の足元に銅貨をチャリン。
「………マッチお買い上げですよね」
外套をたくしあげ、人ごみかいくぐり、銅貨分のマッチをポッケにねじ込みに走ると、面倒臭そうに「いいって」だとよ。
「いいって、じゃねぇ。いらねぇ」コイントスして、ジジィの襟首に投げ込んでやった。
──ま、まぁ、本当は喉から手が出る程、欲しかったんだけどよ…。
俺の年末マッチ商戦、今日は惨敗。こういうのは少女じゃねぇと売れないもんだ。
しかし俺はその気になれば──他の奴が場所を変えちまうような道筋でも、しばらくの日々のパンと、ちょっとの贅沢、錫ノ冠印の紅茶を1缶買えるぐらいのマッチの数は売れる。──"その気になれば"だけど。
「さみぃ…」
白い息、鼻先が湿気って震える。ここで冬眠したら死ぬ。外套をぎゅうと引き寄せた。もうちっと蓄えてから巣篭もりしねぇと、春まで持たない。他のカルゥーダはとっくにもう鎧戸を閉めて寝ちまった。
往来のニンゲンども、皆でけぇリボンがついたプレゼントやら、ケーキの箱。揃いの赤いほっぺの恋人たち。
(…………)
外套の合わせ目の隙間から、左胸をごそごそやって、コンコン…ノックして、確かめた。
───メシもろくすっぽ喰ってねぇのに、結構"削っちまった"な…。
胸ポケットからとっておきのマッチ数箱。
("俺の分"を、最低一箱…残しておかねぇと…)
───残りは存外、少なかった。
***
「Ladies and gentlemen!」
クソさみぃなか、暖気が逃げるのも構わず、袖をまくり、くるりと派手に外套をひらめかせた。
一瞬、往来中の注目。今だ。うやうやしく脱帽し、皆々様にご挨拶。
「わたくし、カルゥーダ族最後の語り部、エルゴォ・ウィッチウィードと申します。さぁさぁ、取りいだしたるは、エルゴォ特製不思議のマッチ…」
道の端から少年が、あっ…という顔で息を弾ませ駆け寄ってきた。
「お話マッチのカエルさんだ!」
こいつは確か、ある春の宵、花咲く煉瓦通りで、親にねだって買っていってくれた…。
「久しぶりだなぁ坊主」
母親が、行くよ。と急かすのだけど、そんなに長くないからさ。と座り込んでくれた。
「鼻先凍る町行くあなた、そこの君、寒いでしょう?だって、わたくしめがそもそも…」軽く冬眠してみせた。観客がどっと沸く。婆さんが赤いショールをかばんから出して巻いてくれた。
「それじゃあ、今日の物語は、遠い碧、南の島から、舟乗りの少年を召喚いたしましょう」
伊達な指パッチン一発。ひそかに温めてあった舟乗りの風貌、胸いっぱい空想し…───マッチを擦った。
────ゆれる炎。光の範囲の中、浅黒い肌、一族の中ひとりだけ、妖精のように尖った耳をもつ、精悍な面構えの少年の姿が浮かんだ。
わぁ…!観客が一気に湧いた。
「この少年…竜族の最後の生き残り。島では嫌われ者の英雄……名は…」
グキュゥ~
腹が鳴ってしまい、少し像が乱れてしまった。あれっこいつの名前なんだっけ…。
ハイ!観客の坊主が手をあげた。
「エルムがいい!」
この坊主の名前か、いい名だな、ありがとよ。筋に名前が絡む箇所がない物語で助かった…。
「では今日は竜族の舟乗り"エルム"に南風を吹かせてもらいましょう」
焔の中の"エルム"。俺の空想、思い描いた世界そのままに、青い縞々のハンケチをしばったオールをぐりんと一回転。
────ゴウ…。
南南西からの湿気を帯びた強い風、一陣。
さっきまでかじかんでいた町の一角、結晶は溶け、皆マフラーを外し、手で仰ぎはじめた。目の端に、他のマッチ売りがそそくさと立ち去る残像がみえた。
(腹が…減ったな…)
皆、せわしない日常の中、立ち止まり、俺が紡ぐ世界の行く先を見届けてくれているのだ。────せいいっぱいの物語を点そう。
「……仰ぐと、そこには、深海の藍、従えたかのような瞳の少女…亜麻色の三つ編みなびかせ…」
一体何週間、薄いスープばかりすすっていただろう。
(普通の、マッチも…)
(売れたら……いいのに…)
いつもたいして変わらねぇ道筋で普通のマッチは売ってるのに、どういう訳か、普段はまるで、道に転がってる空き缶と変わらねぇような、この世界に存在してるかどうかも、あやしいぐれぇの扱い。
しかし、この不思議のマッチを擦ると、途端に、人びとが気づくんだ。"俺"という存在に。
「さてさて、この物語の続きは…」
残り少ない不思議のマッチを何箱か取り出し───
「このエルゴォ特製マッチ箱の中に…」
軽く印を切りラストシーンまでの物語の残像を封入してみせた──
───拍手喝采。
***
エンノポプラ立ち並ぶ白磁の丘。シャンシャンと澄んだ蒼い音色の結晶と星、降り積む。
とぼとぼと、少しだけ増えた冬眠用の食料を抱え、町外れ。丘を下った木々の先、ぽつんと佇む俺の栖《すみか》へと続く道。
俺の足跡だけが刻《とき》の落とし物みてぇに取り残されてて、歪だった。
グゥ…また腹が鳴った。包みから、雪林檎を取り出し……食べようかどうしようか、逡巡ののち、また戻した。
家に帰って、ジャムにすれば、もう少しは増えるのだ。今日はジャムの鍋底をさらったあと、その鍋でそのままあったかいロシアーノティを作ろう。
***
───はけていく人だかり。
≪不思議のマッチ、あと1箱ありますよ≫
≪よろしかったら、こちらの普通のマッチも…≫
聞かないふりをして、それぞれの暮らしに戻っていった。
***
心の底からの溜息、大きくひとつ。
(………疲れたな…)
普通のマッチは、ついでにいくつか、売れただけだった。
(……物語が…)
(…破綻でもしてたんだろうか…)
ポケットには、不思議のマッチの売れ残り、ひとつ。
───書きさしの冒険譚の束は、いつの頃からか、埃をかぶっていた。
(もう少し、小説が、売れてくれりゃぁ…)
───いや、その前にもう少し、もう少しでいいんだ、日々暮らしていけるだけの…金があれば…。
カルゥーダ族は、よほどでなければ、金払いのいい働き口なんか、ありつけなかった。
ミシリと痛む左胸を、つい、押さえた。
(…たった…これだけの稼ぎのために…)
(……こんなに"削っ"ちまって…)
───月光煌めく宵だった。長く伸びる俺の影、この美しい世界にどこまでもぽつり、溶け込めない。
「……──疲れたな」
ゆらり、世界中の色がにじんだ。
あらためて声に出すと、言の葉がいっそう刺さった。
(不思議のマッチを擦ったところで……)
魔法が解け、石ころ以下に戻る瞬間。
少し遠く、なだらかに続く裾野。ポツンと見慣れた明かりがひとつ。俺の栖《すみか》。ある日大奮発して買った金火燈が帰路を灯す。
≪ここだよ≫って、声をかけてくれるみたいな明かり。金火燈は俺の唯一の家族だった。
「……もう、疲れたな…」
あともう少しで栖《すみか》なのに、どういうわけか俺は、銀降る丘の天辺、どっかと座り込み、月を仰ぎながら、さっきの雪林檎を取り出し、思い切り齧ってしまった。
「不味ィ…」
頬に伝う惨めの塊だけが、熱を帯びていた。
やっとの思いで手にした、ほんの少しの糧。次々と包みから取り出し、わけが分からないまま喰らった。
大の字に寝た。藍の空いっぱい降る六花。
(ロシアーノティが…飲みたかったな…)
仰ぐうち、時空がどこだか、ここはなにだか分からなくなる浮遊。俺の不細工な面めがけ、刺すように降りそそぐ。
ポケットの売れ残り──そういえばいままで自分のために一度だって擦ったことのなかった、不思議のマッチ──。
(南風を起こそうか…)それとも湯気立つロシアーノティが用意された、やさしい嫁さんが待つ栖《すみか》でも、思い描こうか…。
……………。
めんどくせぇから、束で擦った。
閉じた瞼、仄明るい先、硫黄がくゆっていた。
(……もし、どなたか……)
("見て"いましたら…)
次第に霞み行く視界のその向こう、辺り一面、掌のなかみてぇに、ふわり。──────大きな翼の少女、月白纏い、舞い降りた。
足先まで安堵が包んだ。
聞き逃されねぇように一語一語、持てる力全て使い、はっきりとこう問うた。
「……俺は…」
「よく…」
「……生きれてた…でしょうか」
───返事の代わりに、ふわふわの毛布でくるんで、抱きしめてくれた。
「その…前…に…」
「もう1箱……」
頼んでシャツの前を開けてもらう。
俺のために、使わずにとっておいた、最後の──────。
コンコン……。
───俺の左胸には、物心ついた頃から、ちいさな、掠れた翠のペンキの、1枚の扉《ドア》が付いていた。みんなには、どうやらこの"扉"は付いてないみてぇだった。
扉の内側はブリキの小部屋───。
中には、もう、いまこそ消えんとする、灯火が、ぽつん。
奥に少しだけへばりついていた、”光る燐”を指にとり、ためしに軽く指でこすりあわせると、指先にティーセットの姿が浮かび、すぐに消えた。
(よし…)
ありったけの燐をマッチになすりつけ───
───シュゥ…。
白い虹────地平線まで照らすように、勢いよく燃えた。
(なにがいいだろう…)
目を瞑る。空いっぱい思い描いた。
"次"は、もうちっとだけカッコよくなっててくれたら、うれしいな…。
本の束を忙しそうに抱えて歩く……新聞社勤務……───今度の俺は…ハンチングと、サスペンダーが似合ったらいいな…。
≪次の物語はなんにしよう?!≫
ワクワクして、徹夜で…書いちまって…。仕事中…居眠りしたりしてな…。
天使さまが毛布ごと俺をかかえ、藍の天蓋、羽ペン座を指さし。大きく羽ばたいた。
────なぁ、その辺でこのやり取りを見守っているであろう、エンノポプラたち、そこのお月さん、最後の、最高に美しいこの風景を描いてくれてる、お前らみんなに、頼むよ。
次の世界でも"物語"を紡ぐことを、諦めていない俺の姿を───どうか、どうか、共に。
────栖《すみか》の方角、チカリ、恒星のような、金いろ。
そうだ、コイツのことも、頼むよ。
少し遠く、もう帰らない俺をいつまでも待って灯し続けてくれている"金火燈"を───可愛がってくれる、新しい主の家に───誰か、どうか、連れていってやってくれないか。
(俺の、家族なんだ…)
森の奥からチカチカと、いつまでも、遠く近く、俺への家路《みち》を照らしていた。環を描くように、灯を継ぐみてぇに。軌道を星に、投げるように。またなって、手を振るように。
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────リリン、リン…リリン…。丘の天辺、静寂だけが残されたかのように振りつむ。いつまでも、いつまでも。果てまでも。
お話は、ここでおしまい。
銀の町で語り継がれる、ある小説家の青年の、ひとつのクリスマスの物語。
─了─
クリスマス書き下ろし。
原作の詩はこちら→「壁の向こうのカエル」
(c)mamisuke-ueki/2019
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