掌編「うつつの本、青の蝶々」
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星語《ホシガタ》掌編集*5葉目
(2930字/読み切り)
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────ここはどこだ?
気づくと”わたし”は、ところどころステンドグラスがはまった、昭和感ただよう細工窓の向こう、キーコーヒーの看板。飲めもしないレモネードがテーブルに乗った狭い喫茶店で、ipadではなく、何故か原稿用紙に向かい、万年筆で小説を書いていた。
やたらと雰囲気満点な、この原稿用紙とレモネードの小道具で、なんとなくわかった。───ここは夢の中。”扉”の向こうのお話なのだと。
もう一行でキリのいいところまで書き終るのに、どうしても我慢出来ず、席を立った。ウェイトレスというより”女給さん”と言った方がいいような感じの、丸襟のワンピースとエプロンの娘に「お手洗いはどこですか?」と。
彼女が指したのは、壁と壁の30cmほどの隙間。
すり抜けるように進むと、曲がりくねった階段のどん詰まり。”ノックをしてください”と張り紙のあるドア。
中は入口の印象よりは広かった。何故か一緒に持ってきてしまった革のブックカバーの読みさしの本を手洗い器の脇において、用を足し、戻ってくると
本の上に、───青い蝶が一匹、止まっていた。
まるで6時19分の西の空。紫苑に染まる瞬間の色を纏った、宵の明星のような蝶だった。たちまち心を吸い寄せた。
「…あ」
蝶は、ふわり。ゆうさりの残り香を漂わせ、そのままどこかに消えてしまった。
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帰りがけ、電車の中。本を手にとり驚いた。
茶色い革のブックカバーに、いつの間にか青い蝶のシールが貼られており、なんてことないエッセイだったはずの本の中身は────
────わたしが尊敬する字書き友達”Y”のこれからの人生の物語であろうお話に入れ替わっていたのだ。
物語を読んで目眩がした。これから彼女が栄誉ある賞を取り、どんどんわたしの先を走って行くお話だった。
羨ましくないと言えば嘘になる。でも、これがほんとだったら…いや、きっと本当だ!
彼女が世界中に認められつつ、ささやかな幸せを大切にして暮らす人生…。彼女が書く小説で感動するたび、ありありと想像していた、これから歩むであろう未来の姿そのままが書かれていた。
つい、遠く海外に住むYに電話をかけてしまう。Yはこのファンタジーじみたような話を、真剣に、笑わずに、本の中身は一切聞かずに「不思議なこともあるもんですね」と、とても興味深げに、ゆっくりと話を聞いてくれた後、こういった。
「どうしてあなたの物語じゃなかったんだろ…?」
───確かに…。
”わたしのこれからの物語”が、もし、読めるカタチで存在するとしたら、どんなことが書いてあるだろう。果たしてわたしの書いた小説は、漫画は、イラストは、セカイは、誰か、どこか遠くの人の心を温められてるのかな…。
わたしも何十万、何百万、多くの人に読んでもらえていたらいいな…。いや、しかしそもそも書き続けていられてるだろうか…?せめて10年後20年後。死ぬ間際まで、わたしの世界が創造出来てさえいてくれたら…。しかしそれはきれいごとなのかもしれない。わからない、分からない。いったいわたしはどんな物語を歩むんだろう?
その日は眠れなかった。ここはきっと夢の中なのに、眠れないなんてヘンだな。そんなことを考えた。
それから毎日、どういう道順で着いてるかもさだかではない、喫茶店に通い。飲めもしないレモネードを頼み、手が痛いのに万年筆で原稿用紙にがりがりと物語を書き、時には書くふりをし、なんてことないようなエッセイに革のカバーを付け、曲がりくねった階段をすり抜け、手洗い器の脇に本を置いたまま用を足し……。
そして
────どれだけ待っても、
”わたしの本”の上には”宵の明星”が灯ることは、なかった。────
諦めきれずに通ったが、段々気持ちは薄れていった。
***
ある日のことだった。
もうレモネードではなく、フツーに紅茶を頼むようになったわたしは、iPadに自分の小説の挿絵のラフを書いていた。そろそろ4杯目のお代わりを頼もうと、女給さんの姿を探すと、奥の厨房から微かに響く叱責。どうやら店主に怒られているようだった。
「お手洗いの、あの”青い”の、なんで殺虫剤かけとかないの!?」
「だ、だって…」
────!!
会話を聞くなり立ち上がり、諦めきれずに持参し続けていた、革のカバーの文庫本を持って、階段の入口、30㎝の隙間に滑り込んだ。急げ…急げ…。気持ちが逸るごと、曲がりくねった階段が、まるで無限に続く回廊のように感じた。
扉を開けたら、手洗い器のところに、既に”それ”はいた。
「ひっ…!」
あの美しい蝶ではなかった。
青鈍《あおにび》を湯気のように吐く…。足が…山のように生えた…。ぼろぼろの羽根の…なんだ…?虫?…化け物?羽根をゆっくり開閉するたびキィキィと耳に障る声が漏れた。
どこかの異界からきた、水先案内人?わからない。分からない…。
わたしの姿と手に持った”本”に気づくと、さもうれしそうに、……ギチギチという羽音を鳴らし、よたよたと寄ってきた。
咄嗟のことだった。
─────あろうことか、
その蝶ではないナニカを、払いのけてしまった。─────
同時に「痛《つ》!」体中の痛覚が全身を貫いた。まるで大きな手で、はたき落とされたような衝撃。
目の前で払いのけられた”虫”は苦しそうに青黒い靄を撒き散らかし、見る見る蒸発していった。
靄がおさまり、視界が晴れてくると、腰を抜かして座り込むわたしの前に、ちいさな、小指ほどの姿。殴られて、痣だらけの、肌の色が青紫に染まった─────“ちいさなわたし”が倒れていた。
ザァ、よく耳に聞こえるように、血の気が引いた音がした。
───とんでもないことをしてしまった。
“ちいさなわたし”は靴の泥で汚れたタイルの上、真夏の焼けた屋上に放りこまれた鼠のように、ぜぃぜぃと”わたし”を仰ぎ───
「……………で…、………ね」
残された力を振り絞り、掠れた声で何かをわたしに伝えようとしているみたいだった。
わたしは泣きじゃくりながら「ごめんね」「もう喋らなくていいよ」「ごめんね」「ひどいことしちゃった」「動かないで」「どうすれば」思いつく限りの言い訳、痛む心、混乱をそのまま吐露し続けた。どうしてあの姿で出てきたのか、わからない。でも、でも…。あれは、しょうがなくて…。
どうしよう、どうすれば…。
後ろからふいに手が伸びて、ひょいと”ちいさなわたし”をつまみあげ、シューっと殺虫剤を…。
「すみませんね」
手洗いで何か騒ぎになってる。と嗅ぎつけ、対応に来た店主だった。
唖然とするわたしを気にもとめず、紙にくるんで、ポイ。とゴミ箱に捨ててしまった。
大きな声で「余計な事を!」と怒鳴りつけ、店主を跳ね除けゴミ箱をひっくり返して探した。
探して、探して、探したが”ちいさなわたし”は見つからない。痣だらけの青いわたし”は、どこか、用具置き場の裏側にでも落ちたのか、違う次元にでも落ちたのか。探しても探しても、ついぞ見つかることは、なかった。
***
後悔がごとり、胸を刺し、粉々の灰になって、風に舞い、頬をかすめ、往日に流れる。
あれからあの喫茶店へ行こうとしたが、行き道はさだかでなく、もう辿りつけない場所になっていた。
ここは道の途中。夢から醒めた、そのまた夢、何番目かのセカイ。
───”わたしの物語”は、まだ、見つからない。
*了*
みた夢を文字起こししたもの。書きおろし。
(c)mamisuke-ueki/2018
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昨日見た夢が忘れられなかったので、また場面のイメージなどを雰囲気準拠で加筆して文字起こししてみました。読み物としての調整はしてありますが、だいたいこんな感じでした。いつもながらやな夢ですね~!
ちなみに”Yさん”はみんなおなじみの雪町子さんでした。夢の中でも、いつものように、偏見などもなく、ゆっくりとわたしのお話に耳を傾けてくださいました。 多分おゆうさんからお伺いした青い蝶のシールが貼ってあるお気に入りのカバンの話が、あまりにもツボって、視てしまった夢ではないかと。他の意味もありそうですけどね。