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私とネオロマンス

 ネオロマンスとの付き合いは長い。一番最初にプレイしたのはスウィートアンジェで、当時はまだ小学生だった。その時はネオロマンスというものに自覚がなかったけれど、その後アニメの録画ミスで出会った遙かから数えても、人生の半分以上を共に過ごしている。ほぼ人生に近いと思っている。

 幼稚園のころからケーキ屋さんに憧れていて、小学生になってからも料理とか、お菓子作りとか、そういうものが好きだった。母親が料理上手というのもあったし、確か市販のお菓子というものがあまり家になく、おやつといえば母親が作ってくれたものが多かった、というのも多分ある。
 小学校の頃の夏休みは祖父母の家に遊びに行って、トイザらスでゲームを買ってもらうことが多かった。スウィートアンジェの発売日は1999年12月だから、早くてその翌年の2000年の夏に買ってもらったんじゃないかな。
 スウィートアンジェは材料やレシピを集め、お菓子を作り、それをお店に並べて評価してもらい、最終的にコンテストで優勝を目指すゲームだ。材料・レシピ集めはすごろく形式になっていて、スウィートナイツと呼ばれる9人の先輩に街に連れて行ってもらう。仲良くなった先輩からはプレゼントをもらえたり、評価を甘くしてもらったり、おまけ程度に恋愛要素がくっついている。お菓子も材料もグラフィックがとにかくカラフルでかわいらしくて、レシピをコンプリートしたかはあやしいけれど、とにかく熱中したゲームだった。当時はたしかリュミエールさまが好きで、優しそうだったから、というのが理由だった気がする。
 未だにソフトは手元にあり、このゲームやりたさに本体を買ってしまった。プレイ環境は整ったものの、バックライトのありがたさを痛感したり、そもそも本体が小さすぎて大人の手ではやりづらかったり、中々満足に触れないでいる。優勝のコツ(星のかけらを使用したお菓子を作る+材料の質を上げる)は分かってるのにね……。

 ちなみにそのころ他にプレイしたゲームといえば、メタモード(コーエー/変身RPG的なやつ)、デビルチルドレン赤(アトラス/ポケモンじゃなくてこっちを先にプレイしてしまった)、カエルの為に鐘は鳴る(言わずと知れた名作)、きせかえ物語(思えばこれもちょっと恋愛要素あった)などなど。64だと牧場物語なんかも好きだった。乙女ゲームとか、そういう「主人公と誰かをくっつける」にあまり抵抗がなかったのはこれのおかげかもしれない。

 中学生の時、深夜アニメの録画の失敗から遙かなる時空の中でに出会った。くわしくは姉のnote(↓)に書かれている通りだが、そこから引き続き録画が継続されたらしい。当時の記憶はだいぶあいまいだけれど、その後放送された第21話で流れた「炎の涙で泣きじゃくれ」の歌のうまさに衝撃を受けたのをなんとなく覚えている。


 中高と女子校で、部活にもクラスにも似通った趣味嗜好を持つ子は多かった。だいぶ記憶があいまいだけれど、遙か1はGBA版を姉が借りてきたかなにかでプレイしたような気がする。たしか3が出るころには姉がPS2を買っていたので、メモリーカードだけ自分で用意して遊ばせてもらった……はず。遙か4はPS2版だったかWii版だったかこちらもまた記憶があいまいだ。当時Wiiは手に入りにくかったけれど、友人が購入権を2台分持っていて、おこぼれに預かった。
 姉の書いたものを読むと大分自分の認識と齟齬があるのだけれど、金色のコルダと出会ったのは思っていたより遅かったらしい。でも今考えればPC版のコルダをプレイしたのは姉のPCだったし、コルダ2に宮野真守が出ているらしい、と認識したのは中3のころだった。当時はほかにも興味を惹かれる作品は多くあり、ネオロマンス作品が一番だったというわけではないのだけれど、ここまで継続して”好き”が続いてきた理由の一つにキャラクターソングがある。
 ネオロマンス作品はキャラクターソングが豊富だ。友人たちとカラオケに行くとき、最初と最後は絶対に残酷な天使のテーゼだったし、ほかにもいろんな曲を歌ったけれど、やっぱりネオロマのキャラソン文化は特別だった。遙か3のキャラソンは名曲揃いだったし、コルダ2で新規加入した宮野真守はとんでもない歌唱力を持っていた。ドラマCDが豊富だったのもある。当時も携帯機はあったけれど、今ほど気軽にできるものではなかったから、通学の時間も楽しめるとか、なにかをしながら流すとか、ゲームができなくても手軽に作品を楽しめるものの代表だったのだ。


 中高時代はほかに大川透さんが好きな友人がいて、ネオアンジェリークのことを知ったのは彼女がきっかけだった。当時はゲームをプレイする機会はなかったものの、その後大学時代にPSP版を購入したり、アニメを見たりと履修することができた。

 高校を卒業してアルバイトをはじめ、最初に買ったものはPSPだった。なにがきっかけだったかは忘れたが、ペルソナ3をプレイしたくて買った(し、最初のソフトもそれだった)のは覚えている。
 金色のコルダ3を購入したのは大学最寄り駅前の中古屋だった。無印~2とだいぶテイストが違うことに戸惑いつつもプレイし、暑いひと夏を繰り返し過ごした。PSPのスリープモードの快適さ、ほかのなにものにも代えがたい。
 あの頃買ってプレイしたネオロマは遙かなる時空の中で5/風花記、金色のコルダ2f/2fアンコール、下天の華、FabStyle。FabStyleは3DSだしそもそもネオロマに入れていいのか?と思ったけれど、ビーズログ11月号のネオロマンス30周年インタビューで部長が名前を挙げてくださったので……確か、止め時が分からなくて徹夜して進めたことがあったと思う。あんな人やこんな人も出てたりするし、簿記やらビジネスマナーもおまけで学べるので、興味ある人は一度やってみてほしい。
 遙か5、風花記は限定版のBOXを買ったけれど、「後から欲しくなって買った」だった気がするので、「公式通販で予約して箱を買う、発売前日に受け取る」を覚えたのは下天の華からだった。

 社会人になってからは初めての2.5次元の舞台も観に行った。キタムラトシヒロ氏の原作そのままにとどまらない巧みな演出が好きで、遙か5と下天の華の2作品はいまでも大切な作品だ。あれからちょうど10年を経た今、舞台遙かなる時空の中で5(9月公演)の八葉のうち3人は別自ジャンルで同じ舞台に出演しているのがなんだか感慨深い。
 コルダの音楽劇は通ってこなかったが、至誠館イベントで拝見した谷部長の八木沢部長愛には大変感謝している。他作品(文劇)でもご活躍されている様子を最近よくお見かけして、作品を愛してくれる人が幸せだとこちらもうれしい。
 公式イベントも数多く参加させてもらったけれど、中でも星奏学院祭の思い出が多い。ちょうど参加し始めたのが星奏学院祭4で、土曜夜公演は宮野真守が出演ということもあってチケットが取れないくらいだった。あのときは渋谷でライブビューイングを見たんだっけ。会場のみんなで歌うHappyTimeとHallelujahは聞くたびにペンライトの光の海を思い出す。星奏学院祭6の最後のあいさつでは、谷山さんが「ネオロマンスの枠でキュンキュンさせられなくなったら終わり」「月森蓮を演じ続けられるかどうかがバロメーターになっている」と話してくれたのが、本当に泣きたいくらいにうれしかった。コロナ流行前、最後に参加したのもコルダ15thファイナルだった。その後の3月開催予定だったスプリングコンサートは残念ながら中止となってしまったが、スターライトオーケストラという学生オケをテーマにした作品が存在する今こそ、こういったイベントをして欲しいと切に願う。

私と金色のコルダ

 ネオロマンスの作品の中でも金色のコルダが重要な位置を占めている。   

 金色のコルダでは、学内コンクールで舞台の上でたったひとりで弾くところからはじまった。2ではコンクールメンバーとアンサンブルを組み、それに影響を受けた次の世代(衞藤世代)が伝説のジルベスターコンサートを開催した(※ffドラマCD紅/舞い降りたチャンス14:15あたりで鎌田がそんな内容のことを話している)。また次の世代(3)ではほかの学校と競い合い、その仲間で伝説のジルベスターをもう一度やり、そしてまた時を経て新しい世代がスターライトオーケストラという世界を目指す星になっていく。ひとりじゃない、繋がっていると感じられるのが本当にうれしい。
 ネオロマンスというジャンルにおいてにとどまらず、絶対唯一不動の位置に月森蓮という人がいる。実力に伴ったプライドがあり、それでいて努力をおしまず、目標に対してぶれず、物事に対して真摯なひと……といったらいいだろうか。それを言ったらコルダの子たちはみんなそうなんじゃ?という気はするけれど、自分が努力嫌いなたちだから、素直に真面目に努力のできるひとを尊敬してしまう部分はあるのだと思う。ほかのネオロマンスシリーズだと夢の守護聖フェリクスを推しているが、360度評価で言われた「一貫性」について似通った部分があるんじゃないだろうか。
 ちなみに乙女的な意味で好きなのは衛藤桐也で、こじらせすぎて未だに学内コンクールのドラマCDを聴けずにいる。いつも存在に元気をもらっていたのが南乙音くんだ。アプリゲームという日常で気に会いに行くことができるかたちで、そういった種類の”好き”なひとがいたというのは、とても幸運なことだと思っている。
 金色のコルダという作品では特に印象に残っている、心の支えにしているような作中イベントがある。金色のコルダ3AS神南では「将来の夢」というイベントで、主人公が将来について訊く場面がある。「音楽は好きですし、続けたいとは思いますが、おそらく自分にはもっと他にするべきことがある」「それが何かはまだわかりません。だからこそ、今は音楽に打ちこむつもりです」「この先、音楽は俺にとってきっと心の中の座標になってくれるはずです」――改めて確認するとだいぶ記憶と違うところはあるのだけれど、「たとえその道を選ぶことがなくとも、今こうして打ちこんでいることが無駄になるわけではない。この経験はどこかでいきてくる」という考えを受け取ったのをなんとなく覚えている。そして、それをどこかで支えにしてきた。私は転職を二度経験しているのだけれど、二度目にして大学時代学んだことを活用できるような職についている。大学で学んだことは決して得意分野とは言えなかったけれど、そこで得た知識を多少なりとも生かすことができたのは、どこかでこの言葉を覚えていたからだと思う。
(なおこれを書くために再度そのイベントを確認しようと思ったが、うっかり芹沢の恋愛段階を進め忘れたので当たり障りのない答えしか返ってこなかった。みんな気を付けよう!)

私と楽器

 一昨年からファゴットをはじめた。
 ファゴットという楽器を知ったのは確かナクソス・ミュージック・ライブラリーのコルダ15周年の記念インタビューで、松濤プロデューサーが「トーノはもともとファゴットにする予定だった」の発言だったと思う。当時はそんな楽器があるんだ~くらいに思っていたのだけれど、その後スタオケの推しがファゴットの子になってしまい、楽器をやっているコンミスが多い中ファゴットをやっているコンミスもいることを知り……仕事に慣れて余裕が出てきて、楽器はそのうちやりたいと思っていて、「どうせやるなら木管楽器をやりたい」ということで教室を探し始め、通える範囲と曜日、時間帯等々調べた結果、ついにファゴットを選択してしまったのだった。
 推しとおんなじ楽器吹けたら楽しいかも~くらいの下心マシマシなかんじで始めたけれど、なんやかんや自分の楽器を買い(人生で一番のでかい買い物)、ありがたいことにリモート合奏(スタオケフィナーレ企画)や演奏会(bravo!brava!2)にも参加させていただいて、もうすぐ楽器を始めて2年の割にはいろんな経験をさせてもらっている(その節は大変ご迷惑をおかけしました……)。不純な動機がきっかけではあったけれど、いまはもうファゴットという楽器自体が好きだ。運指がうまくいかなくて頭を掻きむしりたくなる時もあるけれど、繰り返しの練習や、レッスンの度に自分のできていないところを考えるのも案外たのしい。
 今は冬の発表会に向けて無伴奏チェロ組曲の練習をしている。コルダ3(アニメの方)で七海くんが弾いていた曲で、それを自分で吹けるようになっていくのがなんだか夢みたいだなと思う。まだ運指も息遣いもおぼつかないところが多いしへたくそだけど、そのうち愛の挨拶も吹きたい。楽器を始めてから知って好きになった曲なのだけれど、数をそろえられるなら、いつかダンスホール組曲も挑戦してみたいと思う。
 その前に乗り越えるべき壁は多いけれど、これはもうネオロマンスと同じで生涯をかけた趣味なので、焦らず気長に続けていくことにする。

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