【番外】短編小説-とある殺人-
二十歳(はたち)の時、初めてナイフで人を切った。
相手の身体からはたくさんの血が出たけれど、
罪悪感とか、そういった特別な感情はなかった。
三年後、僕は実の母親を殺した。
あの日、外には冷たい雨が降っていて、
刃物を持つ手が震えていたのを今もよく覚えている。
母は僕に、十分すぎる愛を注いでくれた唯一の人だった。
幼い頃から学校を休みがちだった僕は、
「お腹が痛い」
とよく嘘をついた。
母は、僕を強制的に登校させることなく、
布団からはみ出した僕の頭を、
いつも、優しく二回撫で、
何も言わず僕をそっとしておいてくれた。
あの日。
僕は、そんな優しい母を、
自分のこの手で殺してしまった。
あれから20年、僕はナイフで人を切り続けた。
自分でも嫌になるくらい、人を切った。
時には老人、時には幼い子供まで、男女問わずに切り続けた。
ナイフを握った僕の右手は、
いつの頃から震えなくなっていた。
人を切ること、刺すことに、
僕は無意識に慣れてきていたのかもしれない。
時々、僕はナイフで切った彼らのことを、
「この手で救ってあげているんだ。」と、
そんな風にさえ思うようになった。
でもそんな時。
そんな時はいつも、
あの母の顔を思い出してしまう。
彼女だけだった。
彼女だけが、
僕が唯一救ってあげられなかった人だった。
重度の病を患っていた母は、
どこの病院でも、もう助かる見込みはないと言われていた。
海外で天才外科医として活躍していた僕は、
母の病を知った時、彼女の手術を請け負った。
オペの一時間前、母が病院のベッドで最後にくれた言葉は、
「ありがとう」だった。
僕はもう、自分の患者を殺さない。
煌々と光るライトの下で、
今日も僕はメスを握る。
一人でも多くの患者を助けるために。
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