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【番外】短編小説-We are all alone-

あれは5年前の夏だった。

その年、ぼくは東北で開かれる自転車レースに出るため、3週間前から、友人のKと一緒に、岩手のとあるゲストハウスに長期滞在していた。ゲストハウスの近くには、地元で採れた食材を楽しめる、フレンチ風のお店があって、トレーニングの後は、決まってその店で昼食をとった。

彼女と出会ったのは、その店に通い始めてから5日目の夜だった。その日は別の店で昼を食べたいとKがいうので、それなら夕食をいつもの場所で取ろうということになったのだ。蛙の鳴く田圃道を通って、隠れるように灯った行燈を横切り、ぼくは店のドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

笑顔の素敵な女性だった。背筋の通った、それでいて、どこかふくよかな雰囲気を帯びた彼女は、真っ白いTシャツに紺のデニムを履いていて、その上から薄いブルーのエプロンを身につけていた。雪のように白い肌とその白地に映える、黒い大きな瞳の下には、艶(あで)やかな一つのホクロがあった。

僕は小さく会釈すると、窓の近くの席に腰を下ろした。メニューを運んできてくれた彼女に、初対面にも関わらず、僕は思わず話しかけていた。今思えば、お世辞にも女性経験が多いとは言えない自分が、あのような大胆な行動に出たのは、その時が最初で最後だった。彼女が笑顔で話すたびに、絹の様に繊細な黒髪の一本一本が、まるでハープの様に揺れ、奏でられる微(わず)かな香りに、僕は一気に吸い込まれてしまった。

それから僕は毎晩その店に通い、彼女を見かけては声をかけ、会話を重ねることに成功した。彼女は地元の大学に通う大学生で、夏休み中は毎年ここでバイトをしているとのことだった。英語の教師を目指していて、カナダに留学もしていたらしい。ハーフなのかと尋ねると、そうではないが、時々間違われると、少し照れ臭そうにはにかんで見せた。彼女のその女性らしい仕草の一つ一つが、より一層僕の気持ちを駆り立てた。

彼女に出会ってから1週間くらいたった日の朝、ゲストハウスのオーナーが、今夜花火大会があると言って、僕らを誘ってくれた。他に誰かいれば、一緒に連れてきて欲しいというので、僕は、内心、失礼ではないかと不安に思いながらも、思い切って彼女を誘ってみた。オーナーとも顔見知りだった彼女は、僕の誘いを快く受け入れてくれた。

その夜、街の駅前は花火大会ということで多くの人でごった返していた。ニュースでは深夜から雨の予報が出ていたけれど、花火大会は予定通り開催されるようだった。そんな人混みの中、浴衣姿に身を包んだ彼女を見つけた。淡い紫色の大きな朝顔が刺繍されたその浴衣姿は、天空に煌めく花火がありふれたものに思えるくらい可憐だった。

花火大会が終わったあと、大通りを帰路する人の流れから少し外れて、紫色の暖簾がかかるこじんまりとしたお店で少しお酒を飲んだ。久しぶりにアルコールを身体に入れたのか、彼女はすぐに顔を赤め、僕自身も、気づけば日本酒を3合も空けてしまっていた。酒の酔いを口実に、という気持ちは、正直少なからずあった。ただ、それよりも、普段から酒をあまり飲まない僕は、恥ずかしいことに、本当に泥酔してしまい、彼女の家に行くことについて、危機感だとか罪悪感みたいなものが全くなくなってしまっていた。それを促すかのごとく、こちらも酒に酔って調子のいいオーナーや友人のKは、もう一軒飲みに行くと豪語した挙句、勝手に店から出て行ってしまったのであった。

気づくと、店には彼女と僕しかいなかった。お店の前でタクシーを呼び、彼女の家についた時には、既に夜の12時を回っていた。情けないことに、僕はそのまま彼女に介抱され、何をするともなく眠ってしまったらしい。

それからどれくらい時間が経ったのか(多分、2〜3時間だろう)、僕が目を開けると、イヤホンを耳に当てながら、何か英語の本を読む彼女の姿がそこにあった。酔いの方はある程度冷めていたが、喉が信じられないほどに渇いている。モゾモゾ動きだした僕に気づいたのか、彼女はイヤホンを外しながら、こっちをみて、

「大丈夫?何か飲む?」

と、声をかけてくれた。

水が飲みたい、と伝えると、彼女は透明なグラスに一杯の冷たい水を持ってきてくれた。僕はその水を一気に飲み干し、

「ごめん、色々と迷惑かけたみたいで・・・」

「全然!わたしね、実は結構お酒強いんだ」

時刻は2時を回っていた。部屋の中は薄い橙色の灯がゆらゆらと揺れている。上体を軽く起こして、僕はベッドの壁に背を傾けた。

「それ、何の本読んでるの?」

僕がたずねると、彼女は僕の横に座って、その読みかけの本の表紙を見せてくれた。

-The Little Prince- 

英語でそう書かれた本を手に持って、

「星の王子様」

と彼女は呟いた。

「昔読んだことある。日本語だったけど。」

まだ頭がぼんやりとしていて、短絡的にしか言葉が出なかった。英語で書かれたページをパラパラとめくりながら、彼女の手前、無理して酒を飲んでしまったさっきの自分を、内心とても後悔していた。

時計の針の音だけが聞こえる。本をベッドに置いて、このまま、朝まで眠ってしまおう。そう思った時、

「ねぇ、この曲知ってる?」

横に座っていた彼女が、壁に背をもたれかけて、右耳のイヤホンを手渡してくれた。もう片方のイヤホンは彼女の耳に繋がれている。

そのイヤホンからは、やはり英語の曲が流れていた。

「この曲ね、 "We are all alone" っていうんだ。どういう意味だと思う?」

片耳に入ってくる音楽を聴きながら、ぼくは少し考えて、

「"みんなひとりぼっち"、って意味なのかな・・・?」

と答えた。

彼女は少し残念そうに、

「ふぅん、そっかぁ」

とだけ呟いた。

僕は少し不安になりながら、

「どういう意味なの?」

とたずねると、ほんの少しの沈黙の後、

「私はね、"ふたりぼっち" だと思うんだ。これね、"二人きり" って意味なんだよ。」

彼女はそう言ってはにかむと、ぼくの肩にその白い頬を傾けて、静かに目をつむった。

淡い灯がゆらゆらと揺蕩(たゆた)う。

流れていく曲にもう一度意識を集中する。

窓の外には、いつの間にか雨が降り出していた。

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