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誰もが陥る「私」という人生ゲーム⑦

悩みは「そんな感じがする」ことからくる、自分だけの意味付けに過ぎない

例えば、新しくスタートするプロジェクトに加わる(体験=五感)自分には、それ相応の能力がないと不安に感じているとします。

プロジェクトを成功させなければならない責任感やプレッシャーは、あくまでも自分が「そんな感じがしている」に過ぎません。

責任感もプレッシャーも「実体」はありません。

能力にも「実体」がありません。

その責任感やプレッシャーは、誰かから言われたものなのかもしれませんが、実体がないものは全て自分の頭と心が創り出したものです。


「そんな感じがする」ことは、あなたの感じた通りにしかなり得ません。
あなたが感じてしまっているのですから。


体験(=五感)は、「そんな感じ」ではありません。それでしかありません。

体験に対して感覚は起こるけれど、「そんな感じがする」ことは体験後につけ加えられたものです。

しかし、自分や大事な人が事故や病気になったり、犯罪に巻き込まれたり、
そんな状況が起きた時、それは体験であり意味がないなんて、気持ちが納得できるわけはありません。

病気になったこと、犯罪に巻き込まれたことは、とても悲しい体験と気持ちを持つのは事実ですが、「鳥のさえずりを聞いて心地よい気持ちになる」それと、構図そのものは何も変わりません。

人は、体験をし五感を通じて感じる ことのみを毎瞬繰り返しているだけなのですが、それに対して、感情や意味、考えを加味して悩みを発生させています。

今起きているウクライナでの出来事。
とてもとても心が痛みます。
しかし、現地の方や被害に遭われた方の想いは察することはできても、実体としての体験は日本にいる私たちにはできません。
私たちがしているのは、ブラウン管を通じて現地の状況を目に(体感)し、悲しみや苦しみを想像すること。 

そして、日本の私たちがしている体験に良し悪しはありません。
もしそこに、自分は何もできない無力感を重大なこととして意味付けすれば、それはあなたの問題や悩みになりますが、何も付け加えなければ体験していること のみです。

日本で同じようなことが起きた(体感)としたら、とても大きな体験でとてつもない苦しみを伴うことになりますが、仕事を失い、生活をおびやかされ、人生に光が見えない「(そんな感じがする)不安」をセットにするかしないかで、体験に対する体験になるか、体験から不安を増大させるかは人それぞれで違うものになるのでしょうね。

体験に対する体験は、毎瞬毎瞬過ぎていくもの(本当は時間はないから過ぎるというのもおかしい)、
体験から不安を増大させていくと、過去と未来の想像からの苦しみも増していくことになります。

しかし、その不安も自然に沸き起こるものだから、それを客観視しそれすらも「経験」なだけで、何もする必要がない(ただ全体として在るのみ)わけです。

究極的には悩みはどこにもない というのが本質であると言えます。

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