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誰もが陥る「私」という人生ゲーム⑥

結婚は愛に似せた「愛ごっこ」体験

出だしから、夢の無いことを書いたけれど、私は既婚者(笑)
決して結婚否定者ではありません。

愛は変化することを赦し、いつでもそこにあるもの

愛って形で表現することは本来できない。

「私」を明確に指し示せないのと同じで、「♡」という形は愛ではないし、
じゃあ「愛」って何・・ってことになる。

形にならない愛を「愛に似せたもの」という形にして、「変わらぬ愛を誓う」という契約をしたものが結婚。

愛はどう変わっても良くて、変わってはいけないなんて決まりを作ることはそもそも愛ではない。

でも欠乏感でいっぱいの人間は、愛をどうしても形にしたがってしまう。

自覚のない欠乏感を埋めるために形(結婚)したのに、それでも欠乏感(欠乏感という自覚はない)が埋まらない。

それは当然のこと。
本当は愛を探しているのに、愛に似せたものは愛ではないとどこかで人間はわかっているのだと思う。

でもどこにも間違いはないから、(前向きに)「どうでもいい」のだけど・・。
という、私ストーリー。


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