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1年は本当に終わるのか。
「年末年始」。
私も例外なく、それです。笑
時間や暦が設定され、それによって区切りがつけられているので、
誰もがそれに沿って、曜日や月、年があるかのように過ごしています。
でもきっと、うちのワンコたちには年末年始などという決め事も何もない。
だって、時間も暦も人間の脳内のものにすぎないのですから。
そんなものはどこにもない。
脳内現実に従って、クリスマスだからケーキを食べよう、年末は大掃除をしよう、お正月だからおせちを食べよう・・
それが人それぞれの思考によって、自動的に行われます。
それより以前の、「思考が働く以前」のことをノンデュアリティとして、これまでの記事でダラダラと書いてきましたが、ここ数ヶ月は家族のことで慌ただしく、記事を書くどころではありませんでした。
出来事としてはそうなのですが、もう、そのままでありすぎて、書くことがなくなっているとも言えます。
この数か月の間に、家族のとある出来事に対して、動揺する私という場面がありました。
ノンデュアリティによるところでそれを表現すると、
家族のある出来事に対して、動揺が自然に起きた。
ただそれだけ。
次に、その出来事に対して様々な思考が張り巡ります。
何をしたらよいのだろうとか、なんでこうなったのだろうとか。
思考により、その出来事が「私」にとって問題と化するのです。
でも、「私」という思考や意識のもとでは大騒動なことでも、うちのワンコたちは、いつも通りです。
何が起きても、その通りにただ生きてる。
ワンコたちにも喜怒哀楽は、都度都度あると思います。
目の前に出てきた出来事に反応もします。
ドアホンがなれば、ギャンギャン吠えて反応しています。でも、それを引きずることはありません。
ワンコ同士がケンカすることもあります。でもその瞬間以降、思考で出来事を引きずったりしません。
人間の子供もそうです。
ケンカしても、けろっと次の瞬間には遊びに戻ります。
思考や知識のついた大人は、自分の思考に基づき他者をジャッジし、自分を守るために必死です。。
今年はどんな一年だったのか。
「私」にとっては、間違いなく家族のことで大きな騒動があった一年です。
でも、思考がそう思い込んでいるだけで、起こる出来事や感情、ただそのままその瞬間があったのみです。
一年や毎日、時間などはなく、ただその瞬間だけがある。
昨日も今日も明日も。
それらは人間の脳内でストーリー化され、本当は始まることもない終わりもない「今年」という概念が終わっていきます。