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スピリチュアルが問題解決や楽にならない理由

なにもスピリチュアルに限ったことではないけれど、
とかく「高尚な人物になろうとすること」や「高い波動」、「引き寄せよう」は本質的なところから見ると意味がない。

何かに意識を向けた途端、何かになろうとした時、どうにかしようとした時、それは条件付きで愛とは遠いものとなる。

でもそれは起こっていることだから、間違いではないのだけど、
何かを良しとした途端に、それを追い求めることが始まる。

自分の心地よさを追い求める執着が苦しみとセットになってくる。一時的にはなるかもしれないけれど、追い求め続けるうちに、それと逆のものが現れはじめる。どちらかにフォーカスしたら、その反対もついてくるから。

赤ちゃんは何かになろうとしていないし、何かをジャッジしないし、何かをしなきゃもないし、高い波動云々や引き寄せ云々などせず、その瞬間瞬間だけ。良い赤ちゃんも悪い赤ちゃんもいない。

赤ちゃんを見ると自然と、凝り固まった自分から解放されて、ただ穏やかな瞬間があると思う。何かから解放されている心穏やかな瞬間。それはスピリチュアルとは全く関係ないことがわかる。

そして私自身も、現実世界ではスピリチュアル的なところと現実的な部分や、そのどちらでもない、その時々の行動を自然としてきているし、これからも適宜起こるわけですが、

「どうでもいい」「どっちでもいい」「どちらも」というのがただのそれ(すべて)です。

凝り固まったところに答えは存在しない。

苦しみからの解放は、苦しみが消えることを願い、何かを得ようとして信じている思い込みを手放すという勝手に起こる「経験(と呼ばれるもの)」からもたらされる。

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