5.両極受容 悟りは自分の統合である
言葉や文字にして「同じ」と表現すると、誤解を招くのですが、
「良い」と「悪い」はエネルギー的には同調です。
同じというのは、波長(エネルギー)として同じものという意味合いです。
屁理屈に思えることですが、今あなたの居る場所から一歩北にズレてください。
そうすると、その北側から見たらあなたは南にいます。
丸い地球でそれをし続けても、終わりはこないでしょう。
今、地球は温暖化していると言われていますが、温暖化の行く末は氷河期です。このまま温暖化し続けると、最後には氷河期が来るということです。ものごとは極まで行くと、真逆に振れます。
ここで「今は氷河期の始まりです」と言っても、誰も信じられないことかもしれませんが、長い目で見るとそういうことなのです。
聖人のように良い人には、究極の悪の顔があるはずです。
そのエネルギーと同じだけ真逆を持ち合わせています。
正義が時に悪となるの良い例です。
さて、南北、冷暖、良し悪し。
これらの極の始まりはどちらでしょうか。
そしてどちらが良いのでしょうか。
その答えは無いのです。
今、悟りを求めている人、悟りたい人にはとても聞き入れたくもないことですが、悟りという境地はありません。
それは悟りがどこかに「ある」という概念が「ない」を同時に創り上げています。
教科書を読み進めて頂ければ、いつかそれを体感?理解?受容できる日がきます。
何かを変えなければならない。
何かを得れば、~になる。
果たしてそうでしょうか。
北にいくら進んでも、完全なる北は手に入りません。
今を肯定できていないのは、自分を肯定できていないことと同じです。
自分を肯定できるというのは、良い人であることとは違います。
短所も長所も兼ね備えた、どんな感情も起こる自分を全部受容できていること、否定的な部分を持つ自分を認められることが、自分を全部肯定できているということです。
それは良い日も悪い日もある、良い出来事も悪い出来事も起こる。
そのことと同じです。
キラキラした日常を投稿しているインフルエンサーも、キラキラばかりの毎日を送っているわけではありません。
両極は1セットなので、キラキラを手にしているということはそうでないことも必ずセットになります。
ただ、両極のどちらかではない、それが完全に腑に落ちた時、人は何かを求める気持ちが薄れます。
自分の中の良し悪しを本当に理解した時、自分以外の何者かになることをやめます。