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願いが現実化するかしないか、何が違うのか
誰かの成功例はあくまでもその人のもので、全く同じにはなり得ません。
成功例を真似るというのは、その方法が提示されて実践したとしても、結果はその人の脳内(世界)がどうなっているか が大きく左右します。
あなたはあなたの脳内の通りに、完璧に今そこで生きています。
今の瞬間の事実に、経験に基づく予測と記憶を伴いながら。
予測や記憶は、今目の前にある事実ではないことを
脳内でビジュアライゼーションしているにすぎません。
脳の中であれこれ想像している ということですね笑
想像という意識がどんどん強くなってくると、それは現実となることもあるでしょう。
「強い意識」が現実化することは間違いないと思いますが、願っても無理なものは無理な場合もあります。
二元の世界に生きる私たちは、願って叶う人と叶わない人の両方を自然に必然的に創ります。
こうなりたいと願うことを現実化したくてそれを強く意識すると思うのですが、現実化する人は自然と実践(事実を創る)しながらそうなっていくはずです。一心不乱、当たり前のようにその事実を創るのではないかと思います。
逆に現実化する運命にない場合は「ならない」「なれない」「なれていない」という意識が「執着」に知らない間に変化しているでしょう。
どちらも結果的には「自然に起こる」のです。
既に事実としてここにある起きていること それは結果的に意識とは関係ないのです。
実際に起こること それだけが事実です。
それを受け入れられるか否か。
起きたあとに意識をしています。
その自然の流れを受け入れられない時が苦しみに繋がるのですが、苦しいのは「何が良くて、何が良くない」等の考えがあるからですよね。
今ここにない何かを求めて、それを手に入れていない時に苦しみを感じるのは当然で悪いことではありません。
ただ、それが苦しみの源であることも事実です。
事実だけしかない世界に、予測と記憶を持ち込むことが苦しみです。
現実化するかしないの違いは、「自然に起きて来ることに委ねている」か、「起こそうとしている」かの違いです。
良し悪しのジャッジから離れ、自然に現実化することに乗る
私たちは本来それしかできないし、それしかしていません。
すでに本当は全員悟っちゃってるのです♪