前世や輪廻転生はあるのか、とノンデュアリティ
スピリチュアルとノンデュアリティは、まったく違うもの。
探求を促すのがスピリチュアルや、その他バイブル的なものすべて。
探求の終了がノンデュアリティ。
スピリチュアル業界?は心が和らいだり、自分が良くなるような術が提示されていたり、ボジティブになると未来は明るいですよ、こうなれば楽に生きられますよと、未来に希望が持てる要素がたくさん詰まっている。
それは「私」にとってはある程度必要だし、実際に助けられたりもする。
「私」が存在する場合には、バイブル的なものは苦しい時には救われるような良いものになる。
そして、前世や輪廻転生といった概念も、「満たされない私」には、救われるようなストーリーになると思う。
前世がこうだったから今カルマを刈り取っているんだ・・
これだけ素晴らしい人生なのは、前世で良い事をしたからだ
今生が輪廻転生の最後になるかもしれない
自分を奮い立たせられる ような気持ちになるのは確かだし、それぞれの思考なので、それがいけないわけでは全くもってない。
良いとか悪いの判断のない、「私」が抜け落ちているところに良くなる何かは必要ないからだ。良いと悪いがない。
「私が抜け落ちている」状態になるわけではなく、今全員が本当はそう。
そしてノンデュアリティが良い というものでもない。
前世や来世、輪廻転生は思考の中でつくられたもの。
信じる人の脳内にはあるもの。
前世も来世も、この場にとって出すことはできない。
今ですら、あっという間に過ぎていくのだから。
自分がよくなるためのバイブル。
脳内がそれが事実だと決めたことに、誰も太刀打ちできない。
このノンデュアリティを発信するここにだって、脳内世界といえばそうだし、確かにノンデュアリティという言葉も概念だ。
正しくノンデュアリティを文字や言葉で表すことは不可能であり、バイブルにはまったくならない。
スピリチュアルとノンデュアリティの違いは、それが人生のバイブルになるのか否かかもしれない。これはスピリチュアルだけではなく、禅や宗教のようなバイブル的な生き方的なものを発しているものはすべて当てはまる。
そして、ノンデュアリティは根本を伝えているのに対して、その根本の一歩手前止まりなのがバイブル的なもの。
バイブルにならないから、ノンデュアリティは理解不能で受け入れがたいものになる。
すでにみんなそうであるにもかかわらず。