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本当に残念で素晴らしい話①

悟りはない

ある状態になれば楽になる、悩みがなくなる、問題がなくなる。
それは全部、ありえない。

一瞬、その状態は起こるけれど、
その状態を「所持し続ける」ことは不可能。

手放し
赦し
受容
解放
自我の消滅
ハイヤーセルフ

天使
etc・・・・

それらはすべて、その人が持ち続けている「概念」上のこと。

誰かと誰か、何かと誰か、何かと何かには何も差がない。
何かも誰かもないから。

すべて起こる

悟らなくても悟ったと思っているとしても、それが起こっただけ。
悟ることに執着がない人の方が、年中悟ってることになる(笑)
それに執着して探求しつづけていないから。

何も考えずに、その一瞬を待つというか体験しているだけ。
期待も、先入観も、警戒も、恐れも、不安も、
考えもなければ、なお完璧。
でもそんなことできる人は皆無(なはず。)

全体的なことでいえば、まったく「私」がなく、
完全で絶大な安らぎの中で、出来事が回転寿司のように運ばれ(ここでは「現れ」)てくるのを体感しているだけ。

そこから見ると、何が現れてもよくて何も恐れや不安も考えもなく、
だからこそ、全部起こることを何も考えることなく現れてくるのが許される。
許されるという表現はちょっと違うけど、現れるがままに。

それが本来の場所で、それが誰の目の前にも在るということ。

素晴らしい出来事も続かないけど、苦悩も続かない

どんなに幸せで素晴らしい出来事があっても、
夢見るような時間を過ごしても、それはそれが一瞬起こっただけ。

全部、回転寿司のレール上のお寿司だから。

時間という概念があるから、その素晴らしい時間を所有したように思えるけれど、それは一瞬一瞬が連続して現れただけ。
楽しい時間や幸せな時間が一瞬で終わるように感じるのは
「私」がそこにいないから。
ただ「そこと一体化して幸せ、ただ楽しい」から。

苦悩を感じる時。
苦悩は重たいエネルギー的なものだから、とても苦しく時間も長く感じる。
だけど、それは本当は所有し続けることができないもの。
それを思考で持ち続けているように感じている。
あまりにもリアルにそれを感じているから、自分に「苦しみ」を与えてしまう。

というバーチャルリアリティーみたいなことを体感している。。



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