ノンデュアリティって?
ノンデュアリティ=非二元。
大和田菜穂さんの本が、ノンデュアリティが日本で聞かれるようになったきっかけになったといっても過言ではないかもしれませんね。
ノンデュアリティ界隈の大御所といえば、大和田菜穂さんです。
とてもキュートで綺麗な方ですよね。
非二元て、簡単にいえば二元ではないということです。
二つに分かれていない、分けられていないということになりますが、この世の中って、すべて二元の世界で成り立っています。
なので、一般的には非二元は受け入れがたく、理解不能なものだと思います。
仮に理解できたとしても、頭の中の理解であって実生活でそれを実感できるかといったら、またそれは別かもしれません。
頭で理解することではなく、日常的にあるそれを見つけていきましょう。
(見つけられる何かとか、見つけるという行為そのものは実際のそれとはズレがあります。)
二元の世界って、
男と女
良いと悪い
上と下
右と左
高いと低い
寒いと暑い
天と地
・・・・・
など、正反対の2つのものです。
人はそれぞれの価値観などによって、どちらかが「良い」「悪い」などと判断をします。
非二元というのは、その正反対のどちらかではないということになります。
区別がないということですが、私たちの回りを見渡すと区別だらけです。
私 という存在が個であるとしている自体が、私以外が創られます。
それがないですよ と言っているのが非二元です。
私も、私以外もない
もうわけがわかりません。
区別のない、私はいない・・・
いったいどういうことなのでしょうか。
あなたは今、どんな状況ですか?
目の前にパソコンなのか、タブレットもしくはスマホ。
なんらかの手段で、これを見て読んでいます。
何か考えて行動する以前に、手は動き、スマホと文字、視野の範囲にあるものが自然に目に映ります。
ただそれだけ。ではないですか?
その次に、言葉の意味を理解し、それについて考える という反応が起こっていませんか?
それだけが次々と起こってきていませんか。
あなたが目にしているそれは、区別がありますか?
一つ一つとみなしているものは、一瞬に目に入ってきます。
まるでそれは一枚の絵のようではありませんか?
何もしなくてもそこに全てがあります。
目の前にあるものだけが、目の前にあるがままに映ります。
映るものに境界線はありません。
何もしなくてもいつでも、その一枚の映る絵しかありません。
一枚一枚の連続が果てしなく続きます。
気づくこともなく、それはそこに在るのです。
今の事実として、それ以外はありません。