本当に残念で素晴らしい話2
手に入れたら、また次を手に入れたくなる
これはモノでもそうだけど、自分の願望や夢やお金もそう。
「これ以上はなにもいらない」
という瞬間が起こることはあるけれど、
それでも絶対に人は「次」を求める。
やっと手に入れた何かでは満足できない。
本当に残念でした!
としかいいようがない(笑)
次々
次々
次々・・・
エンドレス
私はそんなことありません!
と言っても、よーーく自分を見つめてみればわかる。
その当たり前のことに気づくはず。
これは当たり前だから、悪いことでもなんでもない。
絶望
絶望感を感じることって、少なからず誰にでもあると思う。
その程度というか、深さの度合いはみんな違うけれど、
絶望感に襲われたときは、本当に、本当に苦しい。
でもかといって、その絶望感に「浸り続ける」こともできない。
絶望感だけではいられない。
おなかすいた。
家に帰る時間だ。
寝よう。
絶望していると言いつつ、違うことを考えることは勝手に起こる。
本質的に絶望感ですら、瞬間的に起きたにすぎない。
続いている感じ がするだけ。
でも、絶望の先にはその深さと同じだけ逆に振り切ることも起こる。
絶望と至福は必ずセットになる。
絶望も至福も希望もないけれど、2元では起こる。
「感じがする」だけ。
本当に残念だけど、「私」が「所有している」ものって実はない。
価値観というものが人にはあって、
それに沿って選択をしているかのようには感じるけれど、その価値観というものは、あなたのどこに持ってますか?ってこと。
「私」のように「感じている」実体のない誰かが「価値観」という名前のついた何かを所有しているように「感じているだけ」
その「感じているだけ」のことに振り回されてしまうのは、本当にもったいない。
これまでの概念をまるごとひっくり返されてしまうし、生きてる意味のようなものもなくなってしまうように感じるし、残念過ぎることだけど、価値観や考えや「私」に実体がない。
「私」も「他人」もいない。
苦しめることやモノ、出来事は存在しないということ。
さらには苦しめられる人すらも。