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1.悩みは自作自演

人は日々の生活の中で、さまざまな悩みを抱えます。
悩みのない人はいないといっても過言ではないでしょう。

小さな悩みから、生きるのが辛い深い悩みまで、いつになったら私たちは悩みから解放されるのでしょうか。

・なぜこんな人生なのか
・なぜこんなに世の中は不公平なのか
・なぜいつも損な役回りになるのだろうか
・もっとお金がほしい
・なぜ人間関係が上手くいかないのか
・もっと自由になりたい

・・悩みをあげたら、キリがありません。

しかし、同じような境遇の人であっても同じ悩みを持つとは限りません。
同じ出来事を体験しても、同じように感じていない、違う体験になる人もいるのはなぜでしょうか。


「捉え方」の問題・・・と簡単に答えは出るかと思います。

その「捉え方」の違いは何が違うのでしょうか。

捉え方とは、=考え方、=思考 ですよね。


自分の思考が、体験をどのように解釈するか

同じ体験をしても、まったく違う記憶、経験となるのはそのためです。


スポーツが得意な人は、運動会が楽しいイベントだと思います。
反対にスポーツが苦手であれば、運動会は憂鬱なイベントにしかならない、

その違いですよね。
決して「運動会」が良いとか、悪いとかではありません。

あなたにとってどうなのか
でしかありません。

夜道を歩いていて後ろに人がいたら、ついてこられているのではないかと怖くなったことはありませんか?
それは自宅に無事に到着するまでは、いわば「恐怖体験」の一つでもあります。

しかし、同じ光景であっても、イヤホンをして音楽に夢中になっていたら、後ろに人がいることには気づかず、特別な記憶にもなりません。いつも通りの帰宅のワンシーンです。

人は安全だと「知っている」「わかっている」ことには意識を向けません。
あるいは何かに夢中になっている瞬間は、「恐怖」は起きません。
それは過去の経験から来るものでもあるし、夢中になっている時は目の前のことしかなく、他に思考が働かないのです。火事場の馬鹿力もそういう状態です。

無我夢中になると、思考は消え去るのです。
楽しい時に時間を忘れるのはそのためです。
時間は人間が考えたもの(思考)なので、「消え去る」のです。
睡眠中も同じです。寝ながら思考できる人はいません。

思考は、目の前の出来事に対して「解釈」をつけます。
解釈の仕方は人それぞれ違い、その人の過去の経験から、人それぞれの解釈がなされます。

そのように悩みだけではなく、すべての出来事は人それぞれの思考でストーリーが変わります。
悩みも同じで、悩みは自分の脳内で作り上げたストーリーです。
あたかもそこにそれが存在しているかのように思えるのですが、ひとつひとつ丁寧に紐解いていくと、悩み=実体のない恐怖 であることがわかります。

病気も人の概念や思考が創り上げていきます。
人はこの世の生まれて、毎年毎年年齢を重ねていきますが、それはモノでいうところの経年劣化です。
使用頻度によって体は変化していき、様々なところに支障が出ます。放置しても同じで、何もしなくてもモノも人も少しずつ傷みます。

粗雑に扱えば傷みは早くなります。
人間でいうならば、自分を粗雑に扱ってしまうと自分を傷めることになります。意識して自分を粗雑に扱っているわけではないのですが、さまざまなネガティブな感情によって、自分を粗雑に扱っていることに気づけないことがほとんどです。

悩みはそれが意識的であれ、無意識であれ、すべて自作自演で創られています。




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