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商店街に屋根がなかったから、私が生まれた
家族という名のバンド
家族とは、バンドだ。
私が最初に結成したバンドは、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのように前衛的なノイズだった。その音楽性は、周りからも理解されなかった。
メンバーの一人である母は、バンドマンらしい社会不適合者だった。遅刻、借金、不倫、失踪。あらゆるインモラルを犯し、メンバーとは連絡が取れなくなった。父はバンマスであり、バンドを守り続けたあげく、母に不動産資産から貯金や印鑑証明など持ち逃げされた。
フロントマンである私は、それでも家族というバンドにとらわれ続け、いつかはまた集まって演奏する機会があるのかと、心の隅で思っていた。
しかし、平成最後の年に父と母のバンドは解散し、母の姓であるイケモリから父は元の姓に戻った。
絶賛解散中
家族は離散した
活動休止期間が長くても、戸籍上の解散を告げられた時は涙が出そうになった。
私はバンドが結成された吉祥寺に一人で行き、とめどもなく歩き続け、友人に電話をかけた。気づけば、サンロード商店街に来ていた。あの時に目の前に映った光景は忘れられない。
私の父と母はサンロード商店街で出会った。今から40年以上前に、商店街にあった古書店で雨宿りをしていた母に、傘を差しだしたのが父だった。
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子どもの頃、一度だけ母と吉祥寺の街に出かけたことがあった。
名古屋からわざわざ東京に来て、ひたすら電車に乗り続けた。まったく知らない駅に降り立つと、母は駅前にある商店街の屋根を見てこう言った。
「あの屋根が設置されるのが早かったら、あなたはここにいないわよ」
傘がない時代に、奇妙な縁で私は誕生した。いつ解散してもおかしくないバンドだって、私にとっては居場所だったのだ。
母は、ロックスターが非業の死を迎えるのと同じように、多臓器不全を起こし、大量に下血をした状態で病院に運ばれた。
「身寄りがない人が運び込まれた」という病院からの電話で私が病院に辿り着いた時には管だらけで意思疎通ができない状態だった。それでも死の間際まで、救急車で搬送拒否をしたという。どれだけロックンロールなのか。そして、伝説へ。
バンドを組んでいるんだ すごくいいバンドなんだ
私は新しいバンドを結成した。バンマスは平凡無趣味掃除好きの地味な男だ。長らく不協和音を奏でるデュオだったが、ある時、フロントマンが誕生した。圧倒的なスター性を持ったフロントマンで、一気にバンドに華を添えた。
フロントマンとの出会いは、私の人生を急変させた。
それまでの私は「店から出た時に交通事故に遭うかもしれない」という小学生並みの言い訳を武器に、身の丈以上の散財を尽くし、幾度となく借王(シャッキング)の称号を手に入れていた。しかし、娘というフロントマンの存在が衝動を食い止めるようになった。私を何者ではなく、親という存在に導いてくれた。
なんといっても、私にとって娘はファーストアルバムだ。すべての初期衝動が詰まっている。THE BLUE HEARTSにとっての『THE BLUE HEARTS』も、ラモーンズの『RAMONES』も、いつだって心のベストテン第一位はこんなアルバムだ。
フロントマンの娘も、いつかソロデビューするかもしれない。私にできることは、解散しないでバンドを守り続けることだ。そんな時は、どんな音を奏でるのか。
苦しまぎれに言われたい。Go Back、ハッピーハウス!
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