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20代の私は、コーヒーカップを洗いたくないと言って大学院を中退した。
もはや私にとってのライフワークともいえる極東最前線へ。
今回のゲストであるおとぼけビ~バ~の「サラダ取り分けませんことよ」をライブで聞いて胸にこみあげてくるものがあった。
20代の私は、コーヒーカップを洗いたくないと言って大学院を中退した。
20年以上、アカハラの話ができなかった
私は研究室の教授からアカデミーハラスメントを受けて、大学院修士課程を中退している。
これまでその話を周りにしてこなかったのは、私が苦痛に感じた部分をうまく言語化することができなかったからだ。
今ならやっと言葉にできる。よくハラスメントを受けた人に対して「なぜその時に言わなかったのだ」という非難を浴びせる人がいるが、当時の私は自分に非があるのではないのかという思考に陥り、「つらい」という感情を言葉にして批判されるのを避けたかったのだ。
話を戻そう。
1999年、私は大学院修士課程に進学した。新設の学部だったため、私は他大学から異動されてきた教授のゼミに所属した。彼は社会学を専門とし、教授の個人サイトには映画評などが並んでいた。堅苦しい雰囲気がなく、自分がやりたかったカルチャーの研究ができると胸を高鳴らせていた。
教授の研究室には、マドンナや上野千鶴子先生の本が並んでいた。進歩的な考えを持っているに違いないと思っていたが、ある一件でそれは打ちのめされた。
研究室には私以外の生徒は男性が2人。つまり女生徒は私一人だった。研究室では、教授や生徒たちは珈琲を片手に談議していた。研究室に所属してすぐ、教授から言われたのは
「コップを洗っておいて」だった。
私は珈琲が飲めなかったので、研究室で珈琲は飲んでいなかった。
珈琲を飲んでいたのは、いずれも私以外の男性だけだ。
今なら言葉を選んで答えたが、若かった私はストレートに
「私は飲んでいないので洗えません」と答えた。
その一言が気に障ったのか、ことあるごとに教授から否定された。
煙草を勧め、バイトを辞めろという教授
「学生は、珈琲を飲んで煙草を吸うものだ」と、どちらも私は嗜好していなかったが珈琲を飲むように勧められた。
授業に影響がないようにバイトをしていたのだが
「本当に研究をしたいのなら、バイトを辞めろ」
と生活態度にも何度も口を出された。
研究テーマをいくつも出しても否定され、ゼミには必ず出席していたのに教授の単位だけが出してもらえず、留年することになった。
ほかに必要な科目はすべて取得できたため、学生課にも「留年はできればしたくない」と相談したが、「ゼミは卒業に必要な単位なので、べつの研究室に入りなおすにしても1年生からになる」と説明を受けた。
これだけなら、私の態度というよりは研究が足りなかったと思えるが、教授はまだ入学前の女生徒をゼミに出席させていた。
未入学の女生徒がゼミに出席
次年度に入学予定という他大学の女生徒が、ある時からゼミに参加するようになった。まだ入試前なのに、もう合格した前提で、すべて話が進んでいた。
私の目の前で、先生はよくその女生徒を褒めた。その女生徒は煙草を吸って珈琲を飲んでいた。
私にとって、この大学は色々な歯車が合わなかったのだと思う。
ある時、日傘をさして学校に通っていた。今でも忘れられないが、校門に立っていた守衛さんが通りすがりに「日傘かよ」って吐き捨てるように言った。
最近、大学の広告を車内でよく見かけるけれど、女生徒を大事にしている風潮を書いてあるのを見て、「もっと早くそうして欲しかったな」と思った。
退学届けを出した後、学生という身分がなくなったことに気が抜けた。自分が何者にもなられない不安に押しつぶされそうになっていたが、社会に出てきちんと人格を認めてくれる人と出会い、自信を取り戻した。
20代の私は、コーヒーカップを洗いたくないと言って大学院を中退した。
そんな苦い思い出を、おとぼけビ~バ~の「サラダ取り分けませんことよ」を聞いて思い出していた。
サラダ取り分けないって言える自由が、今はある。
おとぼけビ~バ~のライブを観て、あの時の悔しかった思いが昇華された。
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