くっしゅ くしぇ 〈さ:殺人犯〉
三日月が嫌いだ
「俺はもう上を向いて歩くことができない」
彼はそう言うと、また目線を落とした。オレンジジュースの氷が溶けてカランと音が鳴る。
私は彼の気持ちが分からなかった。それは仕方のない事だったのでは無いのか。コーヒーを一口飲んでから、そのことを聞いた。彼は言う。
「止められたんだ。止められたはずなんだ」
そして彼は顔を覆った。
私は安易な慰めの他にできることがなかった。
今の俺には慰めなど何の助けにもならなかった。ただ残るのは罪悪感だけだった。仕方が無いと言われればそうなのかもしれない。あの場にいたのは俺だけだったし、あの場の雰囲気を理解する人は居ないだろう。俺は、まるであの時自分が手をかけたような、そんな錯覚から醒めることができない。
その現場は、団地の屋上であった。
夏の終わりの夕方。夕焼けが沈み、三日月が微笑む頃。
女と男は語らっていた。将来や今について。
世間から見れば彼らは2人の不登校児だった。そして女は男の目の前で身を投げた。
閑静な郊外の団地はあの日騒然としていた。事件とは無縁な地が一躍事件の場と化した。
男は逃げ出していた。遠くから団地を眺めていた。
涙が出たのはその次の三日月を見てからだった。
そして深い罪の意識が彼を蝕んだ。
俺はあの時彼女の手を引っ張りあげることができたはずだった。どんなに彼女がそれをさせない空気を出していたとしても、彼女の手を掴むべきだった。
俺はあの時、夕闇に浮かぶ彼女をただ美しいと思って眺めていただけだった。
俺があの時彼女の背中を蹴飛ばしたのだ。
女は泣きながら笑うと男に向かってじゃあねと呟いた。団地のヘリを蹴り飛ばすと、そのまま地面に落ちていく。
鈍い音が団地に響き渡った。
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