失われた文字列
風のたなびくがままに任せていれば、空の雲は居場所を定めることも出来ず、人の流れが耐えることも無く、朽ちては築き、朽ちては築き、古城の歴史となって揺蕩うことまた長し。
溢れる水が街を洗い、生い茂った草木が燃やされて、たわわに実った稲穂が刈り取られる。朝日が昇ると、街の灯りが消えるように、春が来ると、雪解けの水が溢れる。嵐も時間の中でしか生きられない。
川底はもう姿を見せることなく数十年。長い時間も、石にとっては極わずかであるから、秋の時間というものは千年を要する。素晴らしい音の数多くが、集まるべきでない管弦楽で、しかし時偶開催されるロックバンドの野外ライブは絶叫に値する。ところで向こうでは坊さん共のお経が鳴り響き、また他方では司祭共の賛美歌が響いている。ここは僅かな瞬間だけ高層ビルに囲まれたかと思えば、しかしかつては浄水場であったと言う。真ん中を通る街道と環状線の感情的協奏は、暑い夏の日にも風邪をひく原因だ。
右を見ても左を見ても山しかないと言いながら、南の方に海があったりした日には、サーフボードがひっくり返る。波はいつも黒くまた白く、向こうへゆらりこちらへゆらり。花も風に流されてゆらりゆらり。気がつけばつぼみが弾けて、まだ知らない土地へ向かう。カラスがやってきて、何かをつつくと、中から蟻が湧き出てきて、その横をトラックが通り過ぎる。トラックの中にはキノコが生い茂り、鉄板は再利用される。次に生まれ変わった時にはきっと自転車のカゴになる。カゴの中に突っ込まれたカバンは、多数の参考書で重く、しかし筆記用具は忘れられている。自転車は図書館までの道をもう一度逆方向に引き返す。図書館の本が窓の外からそれを眺めていると考えるのは、司書のエゴだろう。司書の今日のお昼ご飯はタケノコで、これはずっと西の山からやってきた。キノコまみれのトラックに乗って。一方で司書もまた西から来た。鉄の道をガタゴトと。風が呼んでいるなんて子供に教える母親も、図書館では自己啓発本を探している。
全ての本は全ての文字列の中に含まれているはずだが、際限の無い文字列というものは、事実上存在しないと言うことになるかもしれない。とはいえ、この文章も全ての文字列のうちのほんの僅かな可能性であるとすれば、それは奇跡に違いない。月が微笑むのも分からなくはない話だし、それは多くの人が自殺する。一方で自殺に関する責任の所在を追及するやつだって、大きく文字列という括りの中では同類で、しかし文字列だけが現実を表すのだとすれば、この世界というのは非現実的なことの方が余程多いのだろう。だから車は走ることができるし、飛行機は空を飛ぶことが出来る。飛行機が空を飛べる本当の理由はベルヌーイの定理がうんたらなどという難しい話ではなくて、それが文字列になって現実として存するからである。などと新しくもないことを書いているのは、文字列への冒涜だろうか。そこには同じ文字の繰り返しも含まれるのだから。a a a a a a 。
そういえば、遺伝情報と言うやつもまた文字列だ。風がそれをぐちゃぐちゃにすると二重螺旋が相絡まって、国ができ、破れ、山河だけが残った。焼け落ちた城の廃墟も春になれば、草木が深く覆う。時間の流れを感じれば、花にも涙を雪がないではいられない。別れを惜しめばこそ、鳥の来訪を驚く。争いというのは終わることを知らず、知り合いからの手紙は尊い。そうして頭を白くした老人が骨になった後には、人はもうそこに城があったことなども忘れ、草木を燃やして畑を作るのだろう。
どこかで煙草の灰が落ちる時、教会が鐘を鳴らす。結婚が神聖な儀式になった時、思想は私生活を支配した。雪がまた降るから、新しい熱源は空を照らして、気がついた時には街は干上がっていた。
そういったことが一晩で沈んだり、あるいは七日かけて作られたりしたのだから、天に届く塔を建てることだって、実はきっと口で言うほどには難しくないのだろう。とはいえそのために口で言うことと言うのは、人に伝わらないものになってしまった。だから無限の文字列は、どこかで終わるなどということのないループに転ずる。a a a a b a 。
すれ違った男と女は落としたハンカチを渡した後に何故か連絡先も交換する。その横で浮浪者が死んだ目で人の往来を眺めている。地下の荒んだ壁面には落書き。安易な愛を囁けば、返ってくるのは下卑た金。僅かに忘れられない良心が、ちくりちくりと街を覆う。ここぞとばかりに黒い雲が空に満ち、ザアザアと雨の音。かたんことんと鹿威しが乾いた声で鳴いている。風情ばかりは言いけれど、どこもかしこも人だらけ。だから鹿威しは悲しいのだろう。かたんことんと鳴いていた。
虹が雪の中でキラキラとしている時を知っているものは、この鹿威しのことを思い出すようになっている。それは世界のルールであるからまぁそういうものなのだということで、多くの場合は了解されるのだが、一部の物好きはこの現象を不可解なものとして研究したりする。ところで事実の発見は、別の事実を覆すもので、であるから、実は真なる世界法則をより合理的法則が塗り替えて、世界の歴史は整合あるものとして作り替えられるという話もある。これはつまりたとえ創造主が本当に居たとしても科学法則の発見が、創造主の存在を否定し、しかも創造主の居ない歴史を真なるものとしてしまうという特別な問題であったりするが、一部の神学者などという偏屈屋を除くとあまり人の興味の対象にはならないでしょう。
このように裏面と表面を交互に行き来するようなレコードの流し方に名前があるとすれば、この文字列の類型もおそらくそれに準じることになる。一部の奇天烈で不可解な文字列を除けば、この文字列も比較的水流プールの中で形成されて良いものである。真夜中にスカイダイビングをするようなそんな無謀さに貫かれていることが最大の特徴である。であるからまた再び不可解な文字列が混入する。a a a c b a 。
そういうことでは墜落した船の上から、船が墜落するとはどういうことかと叫ぶお客さんたちを、戦闘機が機銃掃射で一掃するなんてことも起こりえるのだろう。全く不可視なものと言うのは、結局存在しないのと同じであれば、彼らに現実性が宿る言われは無いはずだ。明日が来ると確証できる者がいるとすればそれは世界を作りたもうた神だけであるが、その事実もまた別の事実に覆されれば露草となって、コンクリートの隙間に根を下ろすだろう。それはあらゆる文字列の僅かな可能性を見つけたこの世界と同等でありながらも、あらゆる文字列の中を当てもなく彷徨う他にできることのないこの世界とは全く異なると言えるだろう。だからといって腐卵臭のする火山の入口であるとか、あるいは塩素のきついプールを好んで利用する必要もない。それはだいたい山の上か下か程度の違いしかなく、おそらくは風とだいたい同じ具合であることは明白であるからだ。
無理をして雲の真似をする必要もないのだから、あるいは星の光に憧れても赦されるというのが相場でなくてはおかしな話なのである。それから向こうの人里の狂騒に興味がある方は、関連書の五二六頁を参照するとよく見えるようになると思われる。この関連書の書名に関しては少々長ったらしくめんどくさいものであるから、大変割愛したいのだが、おそらく掲示するのが筋というものであろう。以下が書名である。
球体の融解面における微チャルコフスキー状態のアンクリミナル方程式の解法とその解より得られる偽ダンバスレアノス粒子の特殊二乗コンクレチアド構造の社会学的解釈に基づくコーカサス民族の集団移動とその成果としてのドイツ地方のアルタミネル現象の解釈に関する批判に対する応答。特にこれのドイツ語フォルクスクロイツ版の五二六頁である。
その要約に関して提示するのは、本文字列の有機性からして現在の文章に挿入するに適切でない──このことはもちろん全く存在することの有り得ない読者諸賢に関してもお分かりいただけることであろうとは思うが、もしもここに読者が存在した時には全く分からないことになると思われるので念の為に注釈している──から、またの機会が存在すればそこで唐突に開陳される可能性があることに期待するのが良いだろう。縺昴≧縺励※abc縺ッ螟ア繧上l縺溘?縺ァ縺励◆縲
十日間に及ぶ闘争はカップラーメンの良き宣伝となったことは皆さんの知るところでしょうが、それは実は右からの系譜であって、左からの系譜ではまた別なものもあるのです。しかし世界の歴史は一部の特権化された文字列だけがこれを継承しますから、そのような左からの系譜というのは放棄されてしまったわけです。
そのように放棄されたものの一部が運命のイタズラによってここに集結しているとすれば、ここにおいて全く登場人物がいなかったとは思われますが、もしかすると文章、あるいは一文字一文字が登場人物だと考えてもおおよそ差支えはないのかもしれません。さてであるからして狂騒はこの辺りでおしまいになるはずでした。a a d c b a 。
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