Letting me down ×3
何度も殺したり殺されたり死んでみたりということを繰り返していると、命の尊厳というものはよく分からなくなる。男は夜なのにあまりにも明るい空を見上げながら、都心の夜景へと目を落とす。さらに目線を下げると黒い川があちらとこちらを分断していた。
黒い川がせり上がってきて白く輝くと女性の形を帯びてそのまま男の身体を半分に分ける。男はまただと思いながら、黒い川を真っ赤に染め上げた。空は闇に溶けていく。
川から這い出た女は実体を有して橋の上に降り立つ。雨が降って男の死体を川へと押し流す。女は東側の明るい街の方へと歩いていった。
………………
「それで雪の秘密ってなんだったの?」
女がそう聞いた時、男は黒板に書かれた化学式を分子模型として理解するためにノートに落書きをしていたところだった。
「そんなに難しいことでは無いよ。あれらの核にはゴミというか塵というかそういうものが含まれないといけないってだけで」
「本当は綺麗なものじゃない?」
「そう。そういうこと」
男はそう言ってから、女の顔を見る。目が合うとやはり火花が散るような感覚。男がそれと同じ感覚をかつて抱いたのは妙に赤い月を見た夜だった。
「雪なんかに比べれば、君の方が余程綺麗さ」
男はそう言ってからしまったと思ったがもう遅かった。女の顔が紅く染まったかと思ったら、そのまま大きくなって破裂した。彼女の血が顔を染めた。
男はふらっと窓枠に脚をかけるとそのまま天へとイカロスの翼を拡げた。蝋が溶けるまで彼は飛び続けるだろう。
………………
「仕方がないことなのさ。僕らはだって人を殺すのが仕事みたいなものだから」
こんな自己正当化が許されると男は考えていなかった。しかし女は納得したようで、ナイフを自分に突き立てることを厭わなかった。
「ほら、また。そうやって君たちは僕の前から姿を消すんだろう」
男は落胆と共に月を見上げる。川にも月が浮かんでいたことに気がついた時には、川の底から水面の月を眺めていた。薄れていく酸素と意識の中で何もない浜辺で見た落ちてくる月を思い出した時、手の中には先程ナイフを腹に刺しこんだ彼女の首が抱えられていた。男は彼女にキスをすると川底で深い眠りに落ちた。
………………
女は飴玉を舐めながら、繰り返される陳腐なカットの数々が流れるスクリーンを見るともなしに見ていた。下の方で誰かがスマートフォンを取り出しているのが見える。まぁあまりにもつまらないからね、などと余計なことを考える。いつ終わるのかはよく分からなかったが、飴玉が口の中から消えた頃には劇場を出ればちょうど良いだろうと女は思っていた。しかし突然スクリーンがあまりにも輝いて全てを包み込む。
「久しぶり」
光の中で聞き覚えのある声が女を呼んでいた。近づいてはいけないと女は直感したが、それでもその声に引き寄せられてしまう。身体が液体のように自由に動き出す。ものすごい勢いで駆け上がる感覚が女の自我を狂わせる。列車に轢かれたり、団地から飛び降りたり、死んだ時の記憶が蘇る。
気がついた時には、橋の上だった。南の方と東の方に街の灯りが空を明るくするくらいに輝いていた。北と西の方は僅かにオレンジも生き残っていたが、きっと彼らはすぐに死んでしまうだろう。
黒い雲が突然流れてきた。雨が降ってきて、びしょびしょに濡れながら、女は東に向かって歩いていった。
………………
「全てが壊れた後にだって僕たちの物語はきっと続くさ。僕たちが壊れさえしなければね」
男は気楽そうにそう言ったが、それを聞いていた女の顔は暗かった。
「私たちの物語は私たちが死ぬ事で進んでいるのに」
女がそうつぶやくと、男はめんどくさい論理を持ち出してきて死ぬことはできないんだと言い出す。
「あなたには死んだ時の記憶がないからそう言えるんだと思う。月が落ちてきたり太陽が落ちてきたり、他にも何度も何度も繰り返し私は死んでいるし、殺されているし、殺してる」
男は少し動揺してから
「でも大丈夫だよ、今の君は生きているし、それは確かなことでしょう?」
女は不意に男の口を口で塞ぐ。男は驚いたような顔をしながら、次第に息苦しそうにしていく。女はそのまま自らの手を彼の首元にまで持ち上げる。力を込める。男が息絶えるまでにそれほど時間はかからなかった。
………………
ボロボロと落ちていた全ての水晶玉が粉々になって、もうなんの光も反射できなくなるまでには随分と時間がかかった。今回は太陽も降ってこない。
途中で何度も涙が零れそうになって、その度に壊さないといけない水晶玉は増えていったが、男はついに女を刺し殺すことで解決するに至った。
そうしてもう残っているのは自分のふたつの眼球程度だということに男は気がついた。
「太陽が落ちてくる方が楽だったかもな」
男は自分の指をふたつの目玉に突き立てると、そのまま倒れた。
………………
全てが終わった暗闇にもやがて光が差し込む日が来るのだろう。男がついに口を開く。
「光あれ」
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