
映画「名探偵ピカチュウ」が いまひとつパッとしなかった件
ニャオ―ハ― リユルン(@riyulun)です
時に、先週10/4(金)、読売テレビ系列における「金曜ロードSHOW」という番組内にて映画「名探偵ピカチュウ」が放映されることとなりました。
わたくしはリアルに映画館で見たのと以前地上波で放送されたのとで計2回見たのですが、何かいまひとつパッとしなかった印象というかスッキリしなかったというか
で、今回も一応見たのですが やっぱりスッキリしなかったんですよね
今回は この所以について書き記していければと思います

説明がされない部分がある
パッとしなかった かなり大きな要因だと思う
展開をのみこむのに時間かけている間に物語が進んでいってしまいますからね
物語の軸の一連の流れとしては
①ハワードがティムに「ロジャーが悪役」だとウソの説明をする
②研究所にてメタモンが化けたロジャーがティム達の妨害をする
③ポケモンパレードにおいて実はハワードの方が悪役だと分かる
というのがあるわけですが…
ミュウツーは正義側だと分かっている
視聴者的にもミュウツーは正義側のイメージが強いでしょう。
「神速のゲノセクト ミュウツー覚醒」然り3DS版「名探偵ピカチュウ」然り、
「ミュウツーの逆襲」も 自分を生み出した人間に対する逆襲であって 悪いのは人間
というか そもそも「悪いポケモンなどいない。悪い人間がいるだけだ」という言葉がありますし、仮に悪いことをしたとしても それは人間の尺度。
で、①の展開の ホログラムによる回想において ハリーを乗せた車による事故のシーンですが、ミュウツーが「人間は愚かだ」という言葉を放ったところで終わります。
恐らくですが ここ、ティムや視聴者に対して「事故が起きた後、ハリーとピカチュウに追い討ちをかけるように現れた(ハリーはどこかに連れ去った)」と思わせたかったんじゃないかなぁと思います。
だから②の最後の方でティムはミュウツーに対して「やめろ!」と言ったわけで
しかし先述の通り ミュウツーは正義側のイメージ。
そのため 最初から上記の感覚を抱かず、ティム達の感覚も掴み辛くて こんらんしたんですよね
この感覚の差異で1番疑問符を持ったのがホログラムによる回想でピカチュウが研究所を爆破 及び その回想により「俺は裏切ったんだ…」と嘆くシーン
「ミュウツーの逆襲」最序盤で登場したような あれにミュウツーが入れられているのもあり、研究自体がマッドサイエンス ということを早くから悟れてしまい、
「捕獲はグッドマンさんに依頼しました」というセリフに関しては むしろハリーの方が(悪者に手を貸した)裏切り者…?という感覚を抱くことになりましたね
(ハリーは元々協力体制だったものの かぎ回った結果マッドサイエンスということに気づいてミュウツーを脱走させた)
長くなりましたが、①の時点でミュウツーが追い討ちをかけた、敵側(と思わせてる)という感覚を明確に伝えるべきだったのでしょうね
あ そうそう、説明といえば「名探偵ピカチュウ」ってタイトルなのに 言うほど探偵してなかったわけで、
③のところで「①や②の真実は こういうことだったんですよ〜」って、例えば回想を用いて説明するなどしてほしかったなぁ って思ったり
意味を当然皆理解している『カラカラは』「こどく」の掛け合いは省いていい説明だったわけですが、上記は省かないのが望ましいと感じます。
…物語の理解に こうやって頭を回さなきゃいけない時点でモヤモヤ気分ですよね。
見るだけで 謎は全部解決してスッキリさせてほしいわけです
ミュウツーが「息子を連れてこい」と言った理由は?
説明がされないといえば これも。
ミュウツーは(捕獲したのもハリー本人とはいえ)脱出を手ほどきしたハリーとピカチュウに対して「良い人間もいる」とし、救いの手を差し伸べるかのような言動をしましたが、
だとしても何故あんなプランをとったのかの説明がされてません
ハリーが良い人間だと証明するために 体は預かるながら息子を連れてくる約束をした?
生き延びらせるために一旦合体して息子と共に ことの説明をする手はずだった?
「視聴者の想像に任せる形をとった」と すれば聞こえはいいですが疑問符が残ったままの形なんですよね。
納得のいく解釈をするために頭を回す時点で(以下略)
何なら前者の場合、記憶を消したら約束守れないじゃんって思いますし
ここら辺、確か3DS版の時点で説明がされてた気がするのですが、ミュウツーの経緯が違うので 合わせるとなると ちょっと無理があるような気がします
パック「名探偵ピカチュウ」が弱かったことによる相対的な印象操作

バリヤードがヤレユータンと組んでジラーチ◇を
無理やりサイドを置くギミックは生まれたけど
ポケモン映画本編に関連してのポケカ商品とかが そもそもあんまり強くないはずなのですが、
多分ポケモン映画本編とはまた別として見てるから「パックが言うほどでもなかった」という印象が そのまま映画にスライドしてしまったのかもしれません
特撮に慣れてない
個人的な話と言えるかもしれないのですが、アニポケの印象って強いじゃないですか?だからポケモンの質感とかが何か違和感なんですよね。
人間もそうで、ずっとアップで見てたら気持ち悪くなる…って言ったら さすがに誇張表現ですが
そんなこんなでイマイチ溶け込み辛かった節はありそうです
オマケの映画の感覚
映画といったら毎年夏の映画がメイン。
それ以外のものは あくまでオマケ。
夏はポケモン!をカレーとするなら他のものは あくまでも らっきょう程度でしかない。
例えるなら そんな感覚な人も多いですよね
実際 映画なのに入場者プレゼントとか配布ポケモンとかがなかったので 映画館に行く恒例の感覚が掴み辛かった→相対的にオマケ映画っていう感覚も増した。
この節は ほんの少しながら印象に影響を与えてるかもしれません
――――――――――――――
さて、色々言ってきましたが もちろん良いところもあるというところで
映像のクオリティ
代表されるのはドダイトスの庭ですかね。
あのシーンをはじめとして どうやってカメラに収めたのかと技術を知りたくなります
ポケモンの配役
先述のドダイトスの庭は甲羅の部分が森に見えることの拡大解釈で生み出された光景でしたが
移動する 森の 正体は 水を 探して 住処を移す ドダイトスの 群れだ。
大昔の 人々は 大地の 下には 巨大な ドダイトスが いると 空想していた。
オメガルビー、スカーレット
この他にも ちょいちょいポケモンの性質を活かしたシーンがありまして。
例えば警官の側にいるポケモン。
皆さん当然イメージするガーディもいるながらゴルーグもいるんですよね
何故ゴルーグなのかといえば 恐らく ここら辺の図鑑説明文による「守りポケモン」としての性質に由来してるからだと思います
ゴルーグを 作った 古代人から 人や ポケモンを 守るように 命令されていると 言われている。
ポケモンや 人を 守るために 古代人に よって 生みだされた。 謎の エネルギーで 活動する。
…メタモンの変身をサングラスを外すことで(点の目になって)ネタバラシするシーンは つくりは上手いっちゃ上手かったんですが、メタモン全員の性質ではないので明確な説明or伏線がほしかったですね
一応サンの図鑑説明文に こういう記述がありますが
細胞を 組み替え みた 相手 そっくりに 姿を 変化させる。 再現度は 個体に よる。
正義と悪の逆転、
セリフを区切って伏線回収の演出
ポケダンでおなじみ 正義と悪の逆転というのは視聴者をびっくりさせる演出の1つです。
加えて ミュウツーの「人間は愚かだ」と言った回想シーン。
あそこには 実は「だが信頼できる者もいる」という続きがありましたが、これも立場の逆転ですね
…それはそれとして この演出/展開により複雑になってしまったが故 説明がされないと こんらんするデメリットが生まれてしまいましたが
合体の原理の説明
(3DS版の時点で ミュウツーの合体のメカニズムについて触れられていたような気もしないでもないですが)人間とポケモンが合体するというのは 元々のポケモンから少し飛躍した事象で 受け入れ難い部分があるかもしれません
??「こんちわ! ぼく ポケモン……! ……ちゃうわい!」
しかし 映画中 Rがポケモンの自由意志を奪う(それにより凶暴化させる)という説明がされており、そのRで奪った自由意志に人の意志を入れ込むことで合体という事象を納得させにきてるわけです。
何なら3DS版より納得できるまであるかも
アメリカンジョーク
ところどころ最初期アニポケみたいなノリがあってコメディ要素もちょっとありましたね
セリフの伏線
闘技場のシーンにてティムが「ピカチュウの最強のわざはボルテッカー」と言及し、
最終決戦ではピカチュウが「ティムがボルテッカーが最強のわざだって言ってた」と。
そしてアメリカンジョークのノリでピカチュウが「腹の底からって言え」と言ったシーンがありながら
終盤、パートナーを心配するティムが「腹の底から」を修飾語として使っているんですよね
キャストがアニポケ勢
最序盤に登場したティムの友達のCVはシトロンで お馴染み梶裕貴さん。
ロジャーのCVはコジロウで お馴染み三木眞一郎さん。
研究員のCVはムサシで お馴染み林原めぐみさんなど。
画は違えどポケモン、そんな感覚を接種できるわけです
――――――――――――――
こうして見ると結構(良い意味での)ポイントも見られましたが
わたくし、あまのじゃくな節があるというか 変に強く煽られると「いや これのここはこうだったが?」みたいな反対意見を飛ばしたくなったり 反対の立場に立ちたくなるんですよね 自然と
実際 先週の金曜夜も うるさい とまでは言いませんが 思ってる以上に放送のポストが目立ってましたし
そう、そもそも映画「名探偵ピカチュウ」は ハリウッドが、特撮で、という
なんか普段のポに比べて(悪い意味での)大衆に対するウケを狙ってるというか(主に悪い意味での)ケレン味があるというか…。
そして今回は いつものテレビ東京ではなく読売テレビでの放送
特にテレ東以外の番組は、ウケだけ狙った番組作りをしているイメージがありますからね、(いやテレ東の番組もそういうのあるが)
(あくまで個人の感覚です)
穢された印象を受けなくもないのです
時に、以前の記事にも書きましたが わたくしの(特に物理的な)周囲には心無き者が集まるジンクスがあり、
そんな心無き者が やたら こういう番組を見ていた過去があるので相対的に信頼がなく 逆いろめがねで見るのが基準になってるのです。 マイナスのプラスはマイナス って理論ですね
その逆いろめがねが そのまま「名探偵ピカチュウ」にスライドされてしまった節も あるのかもしれませんね
関連記事↓