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この世は地獄だけれど、地獄でしか味わえないものもある
8月22日は母の命日。
雑務に追われ、
父母の顔を思い出すひとときもなく、
気づけば今日を迎えました。
お盆まっただ中は、オトフェスだったから、
この世にお迎えの準備も出来なかったな~
もう22年になります。
亡くなる一月前には、本人が痛みに耐えられないということで、
意識を混濁させるため、モルヒネを入れました。
モルヒネを入れるということは、
もう母とは二度と言葉を交わせない、ということ。
それまで、一年半ばかり、
自分の身体の不調も、仕事も、何もかもなげうって、母の看病をしてきたけれど、
私には敗北感しかありませんでした。
入院した頃は、術後が悪くあと二週間と言われて、西洋医学がだめなら東洋医学、サプリメント、乳酸菌、
巷のあらゆるものを研究して、結局飲める物が水しかなく、Πウォーターという、分子が小さいとされるお水を飲ませました。
最初は脱脂綿から、口の粘膜から吸収させて、
やがて、お茶やコーヒーも飲めるようになり、
抗がん剤を入れているにも関わらず、髪の毛が残っていて、どんどん元気になる母を見て、
私は『賭けに勝った‼️』と思いました。
担当医師に呼び出されては、
あと3ヶ月、あと半年、と余命を告げられるたび、
他人が決める命の時間に、甚だ疑問と言い知れぬ怒りが湧いたものです。
桜が咲く頃は、車椅子に母を乗せて花見ができました。
でも、それが、母と見た最後の桜でした。
https://youtu.be/U4xgACxzFGI
それを最後に、あっという間に悪化していきました。
ろうそくの火が、消える前に一瞬だけ輝くような、まさにそのように亡くなりました。
毎年、時期が来たら桜は咲きますが、
あのときの桜ではないのです。
きっと、人も同じでしょう。
あの頃のままではいられないのです。
よくも悪くも、私たちは常に変化しています。
一足お先に逝った友人も何人かいます。
この世は地獄かもしれないけれど、
地球でしか味わえないものもあります。
父も母も、今はいませんが、
大切に育ててくれた、愛された記憶ははっきりと残っています。
父母を想えば、そのようなメロディーが私に生まれてくるのです。
当たり前が、当たり前ではなく、
それは、奇跡であると。
最後に聞いた母の言葉が、
いまだに申し訳なく、
胸がチクチク痛みます。
モルヒネのせいで、ずっと眠っているので、
その間、洗濯しに帰ったり、
あまりに疲れきって病室に遅くにしか行けなかったり、
母が目覚めたときに私がいないと、やはり寂しかったようで。。
『お母さん、寂しいから、傍に居てちょうだいね』
どうして、
もっと、傍にいてあげなかったんだろう。
その言葉が、今も胸をチクチク刺します。
後悔の無いように生きよう。
今日は今日しかないから。
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